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6 午後4時00分00秒…

 遥か前方に、シンジが学校帰りに毎日といっていいほど立ちよる本屋が見えた。


 その本屋は、信号機のある交差点の角にあり、そのとなりが、公園をぐるりと囲む植木にさえぎられていまは見えないが、スターバックス・コーヒーだった。


 シンジにとって『スターバックス・コーヒー』はアメリカそのものの象徴だった。スターバックときいてまっさきに連想したのは、もちろん『宇宙空母ギャラクティカ』というSFドラマだ。主人公アポロ大尉の友人が、スターバック中尉だったのだ。オリジナルシリーズでは、ダーク・ベネディクトという俳優がスターバック中尉を演じていた。ちなみにこの役者は、『特攻野郎Aチーム』のフェイス役もやっていた。リメイク版の『ギャラクティカ』では、なんと、スターバック中尉は女!で、演じている女優さんは、どこかロシア人っぽい感じのひとだ。なぜそんな気がするのかというと、雰囲気が、新スタートレックの保安部長ターシャ・ヤーに似ていたからだ。でも、ほんとうにロシア人なのかどうかはわからない。


 だから、シンジはそのコーヒーショップに特別な思いいれがあった。社長はきっと『宇宙空母ギャラクティカ』のファンにちがいない・・・・・・と確信していた。


 シンジは公園の横を、風のように駆け抜けながら、腕時計を見た。


「3時59分15秒・・・・」


 高校に入学するとき、お父さんがくれたブライトリングのクロノグラフ〈ナビタイマー〉

 松本零二の漫画が好きなシンジの父親が、若いころに買ったものだった。シンジは毎朝NHKの時報できっちり合わせているので、時間は正確だった。コウスケがいつも、『時間にルーズなくせに、時計だけ正確ってのもおかしなもんだぜ』とからかうブライトリングの秒針が、情け容赦なく、時を刻み続ける。


 4時に、いったいどこで、なにが起きるんだろう。


   3時59分25秒・・・・


 本屋の角にある、信号が『赤』にかわった。


 シンジはブレーキを目一杯かけた。反骨心旺盛なブレーキが、泣こうがわめこうがいっさいお構いなしだ。


   3時59分30秒・・・・


 公園の植え込みが途切れ、スターバックス・コーヒーが見えた。


「あっ!」

 シンジが思わず叫んだ。

 予想もしていなかった光景が、シンジの目に飛び込んできたからだ。

 

 ビュンビュンと行きかう車のあいだから見えたのは、シンジが、たとえ1キロ離れていても、絶対に見間違えることのないシルエット・・・・・・トモミだった。

 彼女がスターバックス・コーヒーのオープンカフェにいる。

 楽しげに微笑みながら、誰かとおしゃべりをしているようだった。

 

 おしゃべりの相手はいったい誰なんだ?

 

 真っ黒なワゴン車がトモミの姿をかくし、ワゴン車のお尻のほうからあらわれたのは、あのいまいましい、デキスギのクソッタレ野郎だった。


 しかもさらに腹立たしいのが、あの野郎までもが、にやけた笑いを浮かべている────という事実だ。


「こんちくしょうめっ!」


   3時59分40秒・・・・


 シンジは横断歩道のところでとまった。目の前を行きかう車など、まったく目に入らない。

 シンジの目は、楽しげにおしゃべりをする二人に釘付けになっている。


   3時59分50秒・・・・


 本屋の建物と、コーヒーショップの間の隙間から、誰かが出てきた。


「あれは、コウちゃんだ!」


 コウスケは、薄い茶色い毛の子犬を抱えていた。そして、ゆっくりと、二人に近づいてゆく。

 先に気づいたのはデキスギのくそ野郎のほうで、コウスケを見るなりバネ人形みたいに立ち上がった。 白いプラスチック製の椅子が後ろにすっ飛び、テーブルの上の、熱いコーヒーの入った発泡スチロール製のカップが倒れた。

 

 そんなことはお構いなしに、コウスケはさらに近づいて、「ほらよっ」と言って、子犬をくそ野郎に向かって放り投げた。


   3時59分53秒・・・・


 デキスギのくそ野郎は、「ギャッ!」と叫び、からだをのけぞらせた。信じられないことに、あのくそ野郎は子犬を受け止めなかった。たいがいの人なら、両手でガシッと受け止めるところなのに、あの野郎はそうしなかった。


 だが、シンジの心配をよそに、子犬はやんわりと、なに事もなかったように、野郎の足元に着地した。


   3時59分55秒・・・・


 くそ野郎は、東大寺南大門の仁王像のような形相で、自分の足元にすり寄ろうとする子犬をにらみつけ、またもや、普通の人間なら絶対にしない行動─────かなりイカれた奴でも、まずしないであろう行動にでた。


 あのクソッタレ野郎は、まるでサッカーのフリーキックでも蹴るみたいに、子犬を蹴とばした。


 シンジのいやな予感、人間であると感じさせない、あの不気味な目の光を見たときに感じたいやな予感・・・・。そうか、これだったんだ!


   3時59分58秒・・・・


 「キャンッ!」とひと声あげた子犬は宙に浮きあがり、弧を描いて、道路のほうへ飛んでいった。

 子犬にとって運の悪いことに、そのフリーキックに反応して混戦のゴール前に頭から飛び込んできたのは、地面すれすれのボールでも、躊躇なく頭から飛び込んでいく、元名古屋グランパスの森山選手ではなかった。


 飛び込んできたのは、ドイツ工業製品の特徴であるオーバー・クオリティの象徴、滅多やたらに頑丈なBMWだった。


 左手に持った携帯電話でにたにた笑いながら話している、見るからにマヌケ面の運転手は、とっさにハンドルを切って、子犬を避けようとした。

 

 何かの本で読んだことがある。

 目の前に、突然障害物が現れたとき、人間は本能的に、心臓のある左側へ避けようとする・・・・そう書いてあった。

 

 BMWの運転手は、顔こそマヌケ面だが、心臓の位置はまともだったようで、本能に従って左にハンドルを切った。運転手はマヌケで腕のほうもヘボだったが、車はさすがに優秀で、瞬時に反応し、タイヤを軋ませはしたものの、尻を振ることもなく、瞬時に向きをかえた。


 ヘボ運転手のBMWは歩道に乗り上げ、スターバックスのオープンテラスに突っ込んだ。

 無人の椅子とテーブルを粉々に蹴散らして、突進してゆく。

 特徴あるBMWのフロントグリルが次の獲物を求めて、ギラリと鈍く光った。

 

 探すまでもなかった。獲物はすぐ目の前にいた。


 この獲物は無人ではなかった・・・・


 そして、4時00分00秒・・・・


 なにもかもが止まった。しかし、ひとりだけ止まらなかったものがいた。


「大変だっ!」

 シンジは叫んで、自転車を飛び降りた。

 

 自転車は、シンジの身体が離れると、斜めに傾いたまま、まるでビデオの一時停止ボタンを押したかのように、ピタリと止まった。信号は赤だったが、シンジは横断歩道を横切り、宙に散らばったまま浮かんでいる、そうなる前は椅子やテーブルだったプラスチックの破片を掻き分けて、トモミのところへ向かった。

 BMWのバンパーが、トモミの腰掛けている椅子の背もたれに、微かに触れていた。BMWは完全に静止しているのだが、ものすごいパワーを秘めているのが、感覚でわかった。手で触ってみたが、小刻みに振動すらしていないのに、圧倒的なパワーが伝わってくる。

 

 そのとき、シンジはあることに気づいた。

 確認のために、自分が通ってきたほうに振り返った。


「やっぱりだっ!」


 バラバラに散らばっているはずのプラスチックの破片が、シンジの通ったところだけ、ひとのかたちのトンネルみたいに空洞になっていた。プラスチックの破片を手で掻き分けたのは、そうできると確信があったわけではない。いうなれば咄嗟の行動だった。


 『時間が止まっていても、物を動かすことが出来る!』ということは、いま彼女の腕をひっぱって、BMWの進路から脇へずらせば、助けられるんじゃないだろうか。

 同じようにして、コウちゃんと、アイツも・・・。


「なにも、あの野郎まで、助けることないんじゃないか?」


 悪魔のささやきだ、とシンジは思った。トムとジェリーに出てきたような、でっかいフォークみたいな槍を持ち、頭にちっぽけな角があって、尻尾の先が矢印みたいになっている悪魔が、煙とともに姿をあらわして、そっと耳打ちをする。


「アイツはあのままでいいんじゃないのか?」


「そんなわけにはいかない!」


 シンジは声にだして言った。そう言ったあとで、へんな声だなと思った。

 プールで泳いだあと、耳に水が入ったまま喋ったような、そんな声だった。大気中の窒素や酸素の分子も止まっているから、音がうまく伝わらないのかもしれない。ぼくは束縛されていなので、おそらく声は骨を伝わって耳まで届くのだろう。


「でも、三人を助けたとしても、そのあとは? 店の中の人たちはどうなる?」


 シンジは店の窓ガラスのほうを見た。窓際に座っている、買い物帰りらしい若い奥さんと目が合った。 奥さんだと判断したのは、彼女のとなりに、3歳くらいの男の子がちょこんと腰掛けていたからだ。

 目が合ったといったが、おそらく向こうは何も見えていないにちがいない。

 口をぽかんとあけて、まっすぐこっちを見ている。


「事故そのものを止めなくちゃダメだ」


 答えは簡単だった。文字にすればわずか6文字・・・・『ジ・コ・ヲ・ト・メ・ル』


 はたして、そう簡単にいくんだろうか・・・・


 時間が止まってから、いったいなん秒がたったんだろう。

 時間が止まっているのに、なん秒がたったとか、再び動き出すまでに、あとなん秒あるのか・・・と考えるのはへんだと、あの老人は言った。確かにそうかもしれないが、ぼくはこうして動いているんだから、ぼくの時間は動いているってことなんじゃないかな。それで、あの人は、なん秒と言ったっけ?


 10秒・・・・確かそう言った。止まった時間の中での10秒


 ぼくだけが動ける10秒・・・・

 ほかの人にはない10秒・・・・ 

 ほかの人にはない・・・・


 何度も繰り返されるその言葉に、シンジは不吉なものを感じた。

 

 ここに長くとどまっているのはマズイ!

 

 理由はよくわからないが、なぜだかそんな気がする。

 本当はもっと長く止められるのかもしれない。だけど10秒となっているのは、きっとなにかマズイ事があるからだ。

 ほかの人にはなくて、ぼくだけそれが与えられるって云うところがなにかヤバイ気がする。

 だから、10秒で、3回なのだ。本当は何秒でも、何回でも出来るんじゃないだろうか?だけどそうなっているのは、それ以上ココにいると、ぼくにとってなにかよくないことがあるからにちがいない!


 シンジはポケットから、老人のくれたストップウォッチのようなものを取り出した。

 そして、躊躇することなく、右上についたリセットボタンを押した。


   カチッ

 

 と小さな音がして、長い針と短い針の両方が同時に、ゼロの位置に戻った。



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