45 ランドスピーダーは、あれで良い
ハン・ソロに会えるかな…だと?
こいつ、やっぱり、すっとぼけてやがるのか?
そうか! 自分が“海から来た獣”の特殊な能力をもっていることを、隠そうとしてるんだな?
…だったら、なぜいったい、こいつは俺の思考に話しかけたりしたんだ? 能力を隠したいのなら、そんなことしなければいい…。わからん…。理解不能だ。それに、“海から来た獣”はサタンの手下のはずだ。そんなやつが、ボスに能力を隠したりするか? ノーだ! 答えはノー! ぜったいにありえない。手下なら、ボスに認めてもらおうと、自分の能力の凄さをむしろアピールするはず!
「ほんとうに、おまえはおれの心に入り込んでないんだな?」疑い深い、値踏みするような目つきで、サタンはシンジの目をのぞきこんだ。
「やってない」シンジは首をふった。
「だが、おまえは、おれの問いかけに答えた。おれが『なぜ、ここに来たのか』と考えると、おまえは『サタンはルシファーではないと解らせるためだ』と答え、『どこに行けばいいんだ?』と考えると、『あそこに見える街だ』と答えた。これをどう説明する?」
「聞こえたんだ。ミスター・サタンの声が…。ほんとうは、知らず知らずのうちに、声に出してたんじゃないの?」
今度は逆に、シンジのほうが、疑うようないやらしい目つきでサタンを見た。
「ばっ、ばか言えっ! 見かけは老いぼれだが、おれはボケちゃおらん! 不老不死なんだぞ、おれはっ!」
「ふーん…」シンジはあごに手をあてて考え込んだ。
そのポーズを見て、サタンは、フンっと皮肉をこめて鼻を鳴らした。
人間ってやつは、なんてマヌケなんだろう。アゴに手をあてがっても、いい考えが浮かぶわけでもあるまいに! ようするに、それはすり込みなんだよ。パブロフ博士の犬っころとおんなじだ。条件反射なんだよ。ロダンの作った彫刻の影響を受けているにすぎんのさ。その証拠に、ロダン以前の人間で、そんな格好で考え事をする奴なんていなかった。
「へぇー、そうなんだ。はじめて知った」
「そ、それだっ! いま、またやった! おれの心の声が聞こえたんだろ?」
「あっ! たしかに、いま聞こえた!」
「おれは一言だって、声に出しちゃいないぜ。おまえには、他人の心の声と会話できる力があるんだ。おどろいたか? おれもおどろいた。だが、こいつは、ものすごい能力だ」
この力があれば、自分の思い通りに他人を動かすことなど、造作もないことだろう。全人類のトップに君臨するにたる、優れた力の持ち主だ。
サタンが、よくやったぞ、でかしたぞというように、シンジの肩をポンポンと叩くと、シンジは『そうか、ぼくにはそんな力が…』とちょっと照れくさそうに、頭をポリポリかいた。そんなふたりのところに、肩を怒らせて、拳骨をブンブン振りまわし、プラットフォーム・サンダルの、15センチのヒールの大半をドスドスと砂に突き刺しながら、トモミがやってきた。
「ちょっと、あんたたち。いったい、いつまで、わたしにこんな格好をさせておくつもりなの?」
ずっと、その格好でいてほしいな…とシンジが思った瞬間、ブゥゥゥーンッ!!と唸りをあげて、ハイヒール・プラットフォーム・サンダルの片っぽが飛んできた。シンジは、亀みたいに首をすっ込めて、間一髪で難をのがれたが、つぎの瞬間には、トモミの右手は、もう片方の靴にかかっていた。
おいおい、そんなものまともに食らったら、タダではすまんぞ。だいたい、その格好だって、自分が選んだろ? その格好で、おまえが勝手にここに来たんじゃないか。エーゲ海かどっかの砂浜なら、その格好で良かったかもしれんが、あいにくここは“地の果て”。リビアか、エジプトか、チュニジアか…。でも、その格好はおれ好みでもあるな。まえまえから、こいつ、けっこういいプロポーションしてるなって思っ…
ブゥゥゥーンッ!とサンダルが飛んできて、老いぼれの身体に間借りしているサタンは、それをよけきれなかった。
コッツゥゥーン!!と音をたてて、ハイヒールの尖った先が、サタンのおでこのど真ん中に当たった。
「痛ってーっ!」
サタンは、両手でおでこを押さえて、その場にうずくまった。そして、涙のチョチョ切れた目で、トモミをギロリとにらみつけ、なんてことをするんだと抗議をすると、トモミは、そんなサタンの情けない姿を指さして、キャハハハハッと笑った。サタンのかたわらに、心配げにひざまづいたシンジは、サタンのおでこの真ん中が、直径1センチほど、赤くなっているのに気づいた。その赤円は、ちょうどヒールの先っちょの形のように、かまぼこ形になっていた。そして、その部分だけ、すこし凹んでいるように、シンジには見えた。
「ちくしょう。あの女にも、どうやら、おまえと同じ力があるらしいな」
そうだろう。そりゃそうだ。あいつが“陸からきた獣”なら当然だ。
「陸から来た獣? なにそれ? あんた、なに言ってんの? それに、わたしがこの格好を、自分で選んだって、さっき言ったけど、冗談じゃないわ!」
うずくまったサタンの目の前に、両手を腰にあて、左右の脚を大の字に開いた、トモミが立ちはだかった。その姿は、初登場のときの、惣流・アスカ・ラングレーを彷彿とさせた。
「これを見なさいよ!」
そう言って、トモミはガウンの胸元をグイッとめくって、サタンに生地の裏側を見せた。今度は片方の腕で、胸を抱きかかえるようにガウンを押さえていたので、残念ながら、シンジが期待したようなことは起こらなかった。トモミがサタンにみせた生地の裏地には、四角いタグが縫い付けられていた。そして、そのタグにはこう書いてあった。
『Mr.Satan』
「ガウンだけじゃない! 帽子も、サングラスも、サンダルも、みんな“Mr.Satan”ブランドよ! これをどう言い訳するつもり?」
サタンは砂の上にころがっている、さっき痛い思いをさせられたサンダルをひろいあげて、よく観察した。
なんてこった! このヒールは、ジャンマルコ・ロレンツィばりに、金属で出来てやがるじゃないか! よく、おでこに突き刺さらなかったもんだ…。
そしてサタンが、美しいカーブを描いたサンダルの中敷に目をやると、そこにもタグがついていて、そのブランド名も、トモミが言うように、“Mr.Satan”となっていた。
これはいったい、どういうことだ? この事実は、いったいなにを意味しているんだ? そっ、そうだっ!
「シンジ! おまえのはどうなってる?」
「なにが?」
「ブランドだよ。おまえの着ている服のブランドは?」
シンジは、学生服のボタンをはずし、左胸の内ポケットに縫い付けられているタグをサタンに見せた。
「やっぱりだ! おなじだ…」
カンコーでも、サクラでもない。“Mr.Satan”ブランドの学生服…。これはいったい…
ひょっとすると、こいつらをここに連れてきたのは、俺だった…ということになるんじゃないのか? こいつらの能力ではなくて、無意識のうちに、俺が呼んだんじゃないのか? …ということは、こいつらは、海の獣でも、陸の獣でもない…ということか?
「さっきから、いったいなにを言ってるの?」もう我慢できないといった口調で、トモミが言った。「海の獣って? 陸の獣ってわたしのこと? そんなことは、いまはどうだっていい! いま問題なのは、わたしのこの格好よ! 一刻を争うんだからっ! こんなところで、こんな格好をしてたら、日焼けしちゃうじゃないの! シミになったらどうしてくれるの?」
やってみるか。この女のリクエストを聞き、そのとおりになったら、こいつらを呼んだのは俺だったという証拠にもなる…。
「わかったよ、うるさいなあ、もう。で、お嬢さんは、どんな格好をお望みかな?」
「そうね。“トゥーム・レイダー”のアンジェリーナ・ジョリーみたいなのがいい。あの映画、観たことある?」
あるとも! 当たり前じゃないか! この俺にそれを問うなど失礼千万ってものだ。だが、あの格好って、いまとあまり変わらんのじゃないか? 黒いタンクトップにショートパンツ、それにコンバットブーツだろ?
「そうそう、それでいい! あと、オートマチックの拳銃二丁…」
「おいおい、拳銃はいらんだろう。だいいち、そんな物騒なものお前に持たせたら、こっちはいくつ命があっても足らんぞ!」
「50口径のデザートイーグル2丁ね」
やれやれ。しょうがないな。とりあえず、エアガンでも持たせておけばいいか…
次の瞬間、トモミの姿が、ララ・クロフトに変わった。ご丁寧なことに、髪型まで、後ろで束ねた一本三つ編みに変わっていた。
「ほんとうは、背をあと10センチばかり高くして、胸をもっと大きく…、体重はいまのままでいいか。顔は…おまえ、けっこうアンジェリーナ似だな。眉毛のつり上がり具合といい、そのたらこ唇といい…」
目の前に、12.5ミリの黒い口をぽっかり開けた、ヤバそうな物体がぬっと現れたので、サタンは思考を停止した。
「身長がプラス10センチで、体重はそのままでいいって、どういうこと?」
「し、しかし、彼女は実際にモデル並みの体型なんだから、計算するとどうしてもそうなってしまうんだよ」
「計算が間違ってる! わたしは168センチの53キロ。アンジェリーナは174センチで54キロ。比率でいえば、だいたい似たようなもんでしょ? それに、アンジェリーナの54キロっていうのは、ちょっと眉唾もんね。60キロはあると思う。…なにも、からだまでいじくれって言ってないじゃない! でも、胸だけはいい。胸だけは、ちょっとだけ大きくして!」
トモミは屈託なく、ニカーッと笑った。
シンジは、映画の中のアンジェリーナ・ジョリーそっくりに変身したトモミに、すっかり心を奪われていた。
アンジェリーナが美人かどうか、人それぞれで、さまざまな異論もあることと思う…。でも、ぼくは美人だと思うし、大好きだ。しかし、いま目の前に立って、デザートイーグルをオモチャにしているこの女性は、アンジェリーナ以上にかっこいい! それにひきかえ、ぼくは…
「ねえ、ミスター・サタン! ぼくの格好もなんとかならないの?」シンジが訊いた。
「ん? なに?」
「ぼくの格好だよ。インディ・ジョーンズみたいな格好がいいんだけど」
「砂漠で学生服なんて、空条丞太郎みたいで、いかしてるじゃないか」
「えっ? そっ、そう?」
「ああ、いかしてるぜ。いまにも、スタープラチナが飛び出してきそうだ」
本当は違和感バリバリだが、めんどくさいからな。こいつはジョジョのファンだから、こう言ってやればあきらめるだろう。ほんとうのところ、シンジのやつはチビスケだから、丈太郎というよりは、むしろバビル二世っぽいが、それを口に出すと、またごちゃごちゃとうるさいからな…、しまったっ! こいつらは、俺の考えがわかるんだった!
「そうか! バビル二世もそうだった! だったら、このままでいい!」
ふぅー、やれやれ。こいつはバビル二世のファンでもあるようだな。助かった。
「じゃあ、そろそろ…」となぜか気分のよさげなシンジが切り出した。
「あの街に向かって出発しない? いざ、モスアイズリー宇宙港!」
「モスアイズリーって、なに?」
デザートイーグルを軽々とぐるぐる回しながら、トモミが訊いた。
「えっ? トモちゃん、知らないの? スター・ウォーズに出てくる街だよ。銀河中の荒くれどもが集まるという…」
「ふーん。そうなの」
「そうなのって、おまえ、スター・ウォーズ観たことないのか?」びっくりしたようにサタンが訊いた。
「ない!」ときっぱりトモミが答えた。
マジかっ! 全人類の75パーセントが観ている映画を、こいつは観てないのか?
「どうでもいいけど、あそこまで、けっこうな距離よ。どうするの?」
「それなら、心配いらない。あそこにいいものがある」
シンジの指さしたむこうに、それはあった。
「あれは…、ランドスピーダー…」
サタンがつぶやくように言った。
「ずいぶん、オンボロね。あちこち凹んでるし、ペンキだってハゲハゲじゃない。エンジンだって、片っぽのほうは剥き出しだし…。だいじょうぶなの?」と、映画を知らないトモミがシンジに訊いた。
「あれでいいんだ。ランドスピーダーは、あれでいい」と、なにやら感慨深げにシンジが答えた。