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42 おしえよう。ほんとうの歴史というものを

 その瞬間、白の魔法使いガンダルフに似た老いぼれ教師の背筋がシャキッとのび、灰色だった顔がきゅうに生気をとりもどしたように、さっと赤みをおびた。ガンダルフはくるりと回れ右をすると、今日のテーマである『ナチスの台頭と…』の“ナチス”の部分に、チョークでおおきなX印を上から書いてそれを消した。


「ナチスなんていう呼び方は、正式なものではない!」サタンは拳で黒板をドンッ!と叩いて言った。


 これまで、この老いぼれ教師がそんなことしたのを見たことがない生徒たちは、びっくりして、全員が椅子のうえで姿勢を正し、それまでやっていた勉強以外の仕事を一時中断して、教師に神経を集中させた。


「正式には『国家社会主義ドイツ労働者党』という。ナチ党などという呼び方は存在しない。“ナチ”というのは『Nationalsozialistische Deutsche Arbeiterparte』のあたまの部分“Nati”からきているが、本来はほかの政治的勢力が、ある種の蔑みを込めてつかった呼び方なのだ。日本語でいうなら、ナチ公!とかナチ野郎!…そんな感じだ。だから、当時の党員たちは自分たちをNSDAPと呼んでいた。当の党員が自分たちのことを“ナチス”とか“ナチ党”なんて呼ぶはずがない。アメリカの戦争映画で、親衛隊の将校が「ナチスに栄光アレ!」とかなんとか言って自殺するなんて、笑止の極みだ。ハリウッドのいかがわしい宣伝映画に毒されているお前たちは、なんとも思わんかもしれんがね」


 この先生はいったいなにが言いたいんだろう…と生徒たちは、教師のつぎの言葉を神妙な顔つきで待った。


「そもそも、ハリウッドには、相当な額のユダヤ資本が流れ込んでいる…牛耳られているといってもいいだろう。マスメディアも同様だ。それどころか、ありとあらゆる場所に、やつらは浸透している。数がバカみたいに多いから、それも仕方のないことだが…」


「数が多いって…それってユダヤ人のことですか?」とひとりの女子生徒が質問した。


「そうだ。やつらはどこにだっている。ゴキブリみたいにな。誤解されては困るから言っておくが、べつにわたしはユダヤ人を蔑んでいるわけではないぞ。事実を言っているだけにすぎん。聖書を読めばわかるが、やつらはまるでネズミのようにポコポコ子供を生みやがる。そして、いつのまにかその国の王よりも強大な力を持つくらいまでに数が増えてるんだ。それはいまも昔もかわらない。その国の支配者が、それを脅威に思ってやつらを国から追い出したり、迫害したりしたとしても、わたしはそれを責められんね。放っておけば国そのものがやつらに乗っ取られてしまうかもしれない。だから、そうなるまえに手を打った…」


「では、ナチスによるユダヤ人虐殺も、そのためだったと先生はおっしゃるんですか?」さっき質問した女子生徒だった。


「きみはユダヤ人かね?」とサタンはその女子生徒に質問した。


「いいえ、とんでもない!」と女子生徒は顔を真っ赤にして答えた。「見ればわかるでしょう。わたしは日本人です」


「見てもわからないから質問したんだが…」


「どういう意味ですか?」


「きみたちは、なにか大きな思い違いをしているようなのでおしえてやろう。ユダヤ人というのは、ユダヤ教を信仰する人のことをいうのだ。人種や血統ではない。知ってのとおり、イスラエルというユダヤ人国家が成立する以前は、ユダヤ人は何千年ものあいだ、流浪の民だった。純血を維持できるはずなどないではないか!もともとは、パレスチナあたりが起源のヘブライ語を話す民族のことを指したが、混血が破滅的なまでにすすんだ現代においては、血統としてのユダヤ人などなんの意味もない」


「では、ナチスが虐殺したユダヤ人というのは、ユダヤという民族ではなく、ユダヤ教徒だったんですか?」


「そうだ。ユダヤ教を信仰するドイツ人、そしてポーランド人だ。少数のフランス人やロシア人もおそらくそのなかにふくまれるだろう。一種の宗教弾圧だな。断じて民族絶滅を目論んだわけではない。ところで、きみはほんとうにユダヤ人じゃないんだな?」


「わたしはユダヤ教徒ではありません!」とその女性とが金切り声で答えた。


「そうかね…」とサタンは興味なさげに言った。「きみが“ナチス”という単語を使ったもんだから、てっきりそう思ったんだが、どうやらきみも毒されているうちのひとりにすぎなかったようだ」


「わたしが“毒されている”ですって?」といまにもヒステリーを爆発させそうな剣幕で、女子生徒は訊きかえした。


 サタンはそれには答えずに、その生徒に対して別の質問をぶつけた。


「ところで、きみたちがいう“ナチス”は、なぜ、ユダヤ人を弾圧したのだろう?」


「それは、さっき先生がおっしゃったじゃありませんか。ユダヤ人に国を盗られないように、先手を打ったのだと思います」女子生徒が答えた。


「ということは、当時のドイツに住んでいたユダヤ人たちには、ドイツという国を奪い取る意思があり、ナチスあるいはアドルフ・ヒトラーがそれに気づいた…ということだな?」


「・・・・・・」女子生徒は答えられなかった。


「だれか、答えられるものはいるか?」とサタンはほかの生徒にもおなじ質問をぶつけたが、だれも答えられるものはいなかった。それもそうだろう…サタンはため息をついた。おれにだって、ほんとうのところはわからないのだから。歴史というものは、だれにもほんとうのところというものがわからない学問なのだ。結局のところ、歴史なんてものは、残された断片的な記録から、研究者がそうだと推測した仮説の寄せ集めにすぎない。しかも、参考にした資料が確かなものかどうかすら、現代の研究者にはわからないのだ。その残された文書や記録は、たいていの場合、勝利者によって書かれたものである。戦いに敗れた側の、勝者に都合の悪い記録は抹殺されてしまうことが往々にしてある。いま、教科書に載っている歴史は、勝利者の残した記録に基づいてまとめられた、勝利者の歴史であって、決して真実ではない。世界がつくられたときに生まれたおれは、歴史とともに生きてきたといってもいいが、すべての真実を知っているわけではない──むしろ、知らないことのほうがはるかに多いだろう。あとになって本を読み、なんだ、そうだったのかと気づかされることも随分ある。だから、おれは本を読むのが好きだし、歴史が好きなんだが…。だが、本に書かれていることを、一から十まで鵜呑みにしているわけじゃない。それはもの凄く危険なことだ。むしろ、疑ってかかるほうがいい。なぜなら、本に書かれていることは、勝利者が都合のいいように捻じ曲げた歴史である可能性が、非常に高いからである。いっぽう、敗者の側の資料や記録というものが残っていれば、それは真実に非常に近い──つまり、それがほんものの歴史であるといえる。むろん、勝利者の手による脚色がなされていなければ…という前提での話である。


 であるから、歴史という学問は、より真実に近づこうとする学問であるべきで、勝利者や権力者が自分の都合のいいことだけを書き残し、それをもとにまとめられた本の内容を丸暗記する学問ではない。うそをならべた歴史書から出題し、回答の正否を問う現代の受験制度など愚の骨頂というべきだろう。なぜなら、そこに書かれた歴史が真実なのかどうか?ということは、だれにもわからない…その本の著者にすらわからないのだから…。


「わたしが思うに…」とサタンは、先の問いに対する自分の意見を述べはじめた。「はじめはあそこまでやるつもりはなかったんじゃないかって気がする。国民の関心を惹いて政権さえとることができれば、それでよかったんだ。いわゆる政権公約ってやつだな。流行の言葉でいうとマニュフェストだ。あの当時、ドイツは失業者であふれかえっていた。その大半が本来の意味でのドイツ人──アーリア人だった。いっぽうで、富裕層にはユダヤ人が多かった。選挙で勝つには数の多いほうが望むような公約を掲げればいい。だから、ヒトラー率いる国家社会主義ドイツ労働者党は、失業者に仕事を与え、憎悪の対象であった裕福なユダヤ人を弾圧するという公約を掲げ、国民の圧倒的な支持を勝ち取って政権の座についたのだ。そして、粛々と政権公約を実行した。アウトバーン建設という一大公共事業で失業者に仕事を与え、ユダヤ人を弾圧した。すべて、国民の承認を得てやったことだ。多少やりすぎだったかもしれんがね」


「多少やりすぎだった?」例の女子生徒がまた金切り声で叫んだ。「そんな生易しいものじゃない。600万人も殺したんですよ!」


「さて、ほんとうにそれだけ殺せたんだろうか…。第二次大戦のすべての期間中で戦死したドイツ兵は、およそ280万人といわれている。日本兵がおよそ230万人だ。収容所という限られた狭い空間で、きわめて短期間のうちに、この両国の戦死者以上の人間を殺すことがはたしてできるだろうか?できたとして、その遺体の処理は?火葬したなどとまことしやかに言われているが、はたしてあの当時のドイツに、それだけの遺体を燃やせるだけの石油があったんだろうか?戦車に入れるガソリンもないってときに、そんなことのために石油を使うだろうか?たとえそれがほんとうだったとしたら、燃やしたあとの大量の灰はいったいどこへ行ったのだ?」


「でも、教科書にはそう書いてあります!」いまにも泣き出しそうな顔で女子生徒が言った。


「たしかにその本にはそう書いてあるし、世界中どこの国の教科書にも、おそらくおなじことが書いてあるだろう。だが、事実はそうではないかもしれない。だれかがそう思わせたがっているだけなのかもしれない」


「先生はいったいなにがおっしゃりたいんです?教科書に書いてあることは全部嘘っぱちで、ヒトラーはほんとうは国民思いのいい指導者だったとでも?」


 その質問には答えずに、サタンは逆にその生徒に質問をかえした。


「きみは、アドルフ・ヒトラーをどう思うかね?」


「はっ?」まったく虚をつかれたといった顔つきで、その女子生徒は訊きかえした。「わたしがどう思うか…ですか?」


「ヒトラーのことは知ってるな?」


「もちろん、ヒトラーのことは知っています。ナチス・ドイツの総統で、ナチスの党首でもありました」


 この野郎…とサタンはその生徒をギロリとにらみつけた。あくまでも、おれに逆らうつもりらしい。また“ナチス”という単語を使いやがった。


「20世紀最大の虐殺者で、第二次世界大戦をひき起こした張本人です。まともな精神構造だったとは、とても思えません!」その女子生徒は、きっぱりとそう言い放った。


 別の生徒が、ハイッと手を上げた。サタンはその生徒をほうを見てうなづき、発言を許可した。その男子生徒はうれしそうにもう一度『ハイッ!』と言い、立ち上がった。


「ヒトラーには、サタンが憑りついていたんだと思います」とその男子生徒がとんでもないことを言った。


 教室のなかが水をうったようにシンと静まり返ったと思った瞬間、こんどは一転して騒然となった。皆が口々に、そんなばかなとか、おまえアホか!とその生徒を罵倒しはじめた。黙っていたのは、シンジとトモミのふたりだけだった。ふたりとも、こころなしか顔が青ざめている。ふたりの脳裏に、同時に不吉な考えがうかんだ。まんざらありえないことではない…という考えが。


「いったいなにをもって、きみはそんな意見を主張するにいたったのだ?」サタンはその生徒に訊いた。


 ふたたび教室が静まり返った。


 その生徒は答えた。


「ヒトラーの予言…」


そんなものがあったのか…。サタンはちょっと驚いた。と同時に、激しく興味をそそられた。


「わたしはその予言のことはなにも知らなかった。ちょっと教えてもらえないだろうか?」


 待ってましたとばかりに、その生徒は満面の笑みを浮かべて力強くうなづくと、神妙な顔つきで話しはじめた。


 その内容とは、ヒトラーが側近と呼ばれる人たちに語ったとされる、彼の予測した未来観をまとめたもので、有名なノストラダムスの予言とは一線を画するものだった。ミサイル兵器や月面着陸、原子爆弾の出現を予言し的中させたとしているが、サタンに言わせれば、ヒトラーほどの人物であれば、それくらいのことはいとも簡単にやってのけるだろう…といった内容だった。予言の内容はさておき、注目すべきは、ヒトラーが“あいつ”とよんでいる声の存在だった。


『わたしはあのとき、戦友たちと夕食をとっていた。すると突然、ある声がわたしにこう命じた「いますぐ立ってむこうに行くのだ!」それがあまりにもはっきり聞こえたので、わたしはまるで上官の命令に従うように機械的に、その場を立って20メートルほど移動した。そのとたん、さっきまでいたところに砲弾が落ちてきて炸裂し、戦友たちはひとり残らず死んでしまったのだ…』


『それは“あいつ”の命令だったのだ。そのときから、わたしには“あいつ”が憑りつくようになった。恐ろしいことだが、わたしは“あいつ”に選ばれたのだ…』


 これは、ヒトラーが伍長として戦った、第一次大戦での経験を語ったものだが、彼が言うには、“あいつ”はその後も彼のもとを離れようとせず、ほとんど棲みつくようになった…という。


『アドルフよ、おまえは選ばれたのだ。そして、数々の試練に耐えた。おまえはドイツ民族をひきいて、ヨーロッパを征服するだろう。そして、新しい世界をつくるのだ。それがおまえの使命だ』


 “あいつ”とはいったい誰だろう。サタンにはもちろん身に覚えがない。世界が誰によって支配されようと、サタンにはまるで興味がないからだ。とうぜん、代理人をつかって世界を支配してやろうという野心などもまったくない。では、ヒトラーは、いったい誰にあやつられていたのだろう?


 それとも、彼にしかわからない理由で、あやつられたフリをしていた…のか?

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