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39 そして、あたらしい日のはじまり

 シンジのこころは安堵感に満たされていた。これほどのやすらぎを感じたことはなかった。あの装置でリセットされるんじゃないか?という恐怖心はひとまず消え去った。そして、もうひとつのことに関しても安堵感を味わっていた。トモミが目を覚まさなかったことにたいする安堵感である。恐い夢をみてガタガタ震えながら母親にすがりついているような姿を見られなくてよかった。知らず知らずのうちに、かなり強く力を入れて抱きついてしまったが、それでもトモミは目を覚まさなかった…ということは?


 いけるんじゃないか?いまならいけるだろう!ためしてみる価値はあると思うぞ!


 悪魔の囁きだとシンジはおもった。ひょっとすると悪魔ではなくてミスター・サタンが囁いているのかもしれない──断じてぼく自身の考えではない…とは決して言い切れない恐ろしい計画があたまに浮かんだ。


 やるならいまだ!ひょっとすると二度とチャンスはないかもしれない! こんなチャンスは今後二度とないっ!


 シンジは心臓がいまにも口からとびだすんじゃないかと思うほどドキドキさせて、悪魔の囁きに素直にしたがってさっそく行動を起こした──まったく立ち直りのはやいことだ…スイッチひとつで切り替えられる思考回路を持っているんじゃないか?と思わざるをえないような立ち直りの早さである。





 シンジの手は完全に出て行ったわけではなかった。もう1回ギュッとくるの?とトモミが期待で胸を膨らませていると、シンジの手は腋の下を下に向かってゆっくりとすべるように動きはじめた。


 あれ?ギュッと来ない?それで、いったいどこへいくつもりなの?


 じりじりしながらトモミが待っていると、シンジの手は腰のいちばん細くなったあたりでピタリと止まった。


 えっ?まさかそんな…


 そして、スェットのトレーナーとパンツの境目にゆっくりと侵入を開始した。その手は獲物を狙う豹のようにじわじわとある場所をめざして、わき腹を這い上がってくる…そして、とうとう獲物を見つけた豹は、鉤爪をグキッと出して目にもとまらぬ速さで襲いかかった。


 やったー!シンジはこころのなかで絶叫した。とうとうやった。なんてやわらかい手ざわりっ!こんなものはいままで触ったことがない!まるでマシュマロのようだっ!


「おい、こら!」ドスの利いたトモミの声が聞こえたような気がするが、空耳だ!ちょっとやそっとでは起きないんだからっ!とシンジは自分に言いきかせたが、こころの奥深くで警報が鳴リはじめた。


「シンちゃん?」また、空耳だ。そうに決まってる…。


「その手はいったいなんつもり?」


 獲物にかぶりついていた豹がピタリと動きを止めた。やばいっ!どうしようもなくやばいぞ、これは!


「なんのつもりだって訊いてるんだけど?」トモミは身じろぎひとつせずにそうくりかえした。顔はみえないがシンジにはどんな表情なのか容易に想像ついた。ジョリーンだ。敵のスタンド使いを前にした空条ジョリーンの顔になっている…。どうしよう…。オラオラですか?とテレンス・ダービーのセリフを真似てシンジは覚悟した。


「このドスケベッ!こら、シンジッ!ちゃんと警告したはずよ!」


 トモミは不法侵入したシンジの手をひっつかんでシャツのなかから引きずり出すと、グイッとねじあげた。


「いててっ!ごめん、つい…」シンジはあやまった。


「つい…なに?なんだっていうの?ちゃんとこたえなさいよっ!」


「ちょっと触っても…起きないんじゃないかと…、背中を触ったときは起きなかったから…、だからこいつはいけるぞって…」シンジはしどろもどろで弁解を試みたが、現行犯逮捕である以上、そんな弁解などなんの助けにもならない。


 トモミは跳ね起きてシンジのうえに馬乗りになり、めったやたらとシンジを叩きはじめた──叩くあいまにシンジのこめかみを両手の拳ではさんでグリグリしたりもした。そのあいだじゅう、トモミは「エッチ!ドスケベ!サイテー!」などと罵りつづけ、シンジはトモミの繰りだすやんわりした猫パンチを防ぎながら「ごめんね、ゆるしてー、もうしません!」とあやまりつづけた。





 なにやってるんだ?あいつら…。


 サタンは起きていた。ずっと起きていた──もともと眠る必要などないのだ。息を殺してふたりのようすをみまもっていたのだ。ときにはじりじりしたり、ときには「そうだ!いけ!」とシンジに声援をおくったりしながらみまもっていたが、その結末がこれかい!とサタンはすこしあきれていた。


 なあ、シンジよお。その女が一筋縄でいかないってことぐらい、おまえだってそろそろわかってるだろ?撒き餌にだまされて、のこのこやってきて、針についたミミズにおもいっきりがぶりと食らいついたみたいなもんだぜ、そりゃあ。でも、餌に食らいつかなきゃ釣り人はがっかりするってもんだ。だから、おまえはまちがってない──むしろ正しいことをしたとも言える。トモミの顔を見てみろ!本気で怒ってないのがわからんのか?おまえとじゃれあいたいだけだ──犬コロとおんなじだ。問題なのはことが発覚したあとのおまえの態度だ!…まあ、いいだろう。いずれ経験をつめばわかることだ。はやいとこやっつけちまわねえと、夜が明けちまうぞ!


 サタンの心配は現実となった。東の空がとうとう空が白みはじめた。シンジとトモミのふたりはキャーキャー言いながらあいかわらずじゃれあっている。


 シンジにとってほんとうに長い夜だった。ちょっぴり残念ではあるが、それもとうとう終わりに近づいていた。


「ああ、もうおわりか…。きょうの夜もトモちゃん…」


「おい、朝っぱらからおまえいい度胸してるな!」


 突然聞き覚えのない声がきこえて、シンジはビクッとからだをひきつらせた。だれだ?なにものだ?クスクスという笑い声も聞こえた。だれだ?だれが笑ってるんだ?なにがおかしいんだ?「バーカ!」という女の声と「どあほう!」という男の声もきこえた。このふたつはなんとなく聞き覚えがあった──そういえば、最初の声もどこかで聞いたことがある。どこで聞いたんだろう…。


 パシンッ!とでっかい音がして、頭のてっぺんになにやら重そうなものがぶつかった──手の上にうつぶせになっていなかったら、ムチ打ちになるんじゃないかというほどの衝撃だった。…えっ?なに?うつぶせ?ぼくはうつぶせなのか?


「まったくまだ一時間目だっていうのに!」最初の声が怒ったように言った。「とっとと起きんか!」


 もう一度あたまになにかがぶつかった。おそらくそれは紙でできている。何枚もの紙でできたまるい筒状のもの…まるめた新聞紙?いや、そんななまやさしいものじゃない──ムチ打ちになるような代物なのだ。まるめた本?…そうだ、そうにちがいない。シンジは目を開けて、ゆっくりと顔を上げた。まん前に仁王像が立っていた──その仁王像は腕を組み、まるめた本のようなものをもっていた。イライラしたようすで、履いたスリッパをパタパタいわせて貧乏ゆすりをしている。その仁王像がうなるような声で言った。


「おまえ、顔を洗いたいんじゃないのか?どうだ?おれにはそう見えるが…。おまえは顔を洗いに行かにゃあならんと思うがな」


 シンジは思い出した。目の前の仁王像は数学βのフルハシ先生だった。見かけもウルトラセブンのフルハシ隊員そっくり──つまり、毒蝮三太夫に似ていた。


 シンジはパッと立ち上がると、直立不動でフルハシ先生にペコリと頭を下げ、「すいませんでした」とあやまった。先生はうむとうなづくと、さっと指で教室のとびらをさし、「チャイムが鳴るまで帰ってこなくていい」と言った。それは鬼瓦のような顔をしたフルハシ先生にしてはめいっぱいの温情だといってもいい処遇だった。「だが…」と教室を出て行こうとするシンジの背中に、先生は声をかけた。


「つぎの授業が始まるまでにはちゃんともどって来るんだぞ」


「はい」とシンジはこたえた。いったいどうなってるの?ぼくはいつのまに学校へ来たんだ?


 扉を閉めるとき肩越しに振り返ってトモミを見ると、トモミは前の黒板のほうを向いていた。まったくつまらないことで授業を中断させて!はやく再開して欲しいもんだわ!というよそよそしい態度にみえる。まさか、ぜんぶ夢だった?うそだ!そんなはずはない…でも、トモちゃんはぼくなんかにはなんの関心もないっていう態度にみえる…チラッとこっちを見ることさえしない…。


 シンジががっくりと肩をおとして扉を閉めようとしたとき、トモミがこっちを向いた。トモミはにかーと笑い、シンジが大好きな口が声には出さずに「ばーか!」と言った──そのあとでアカンベーまでした。シンジはそんなトモミを見てほっとすると同時にうれしくてうれしくてたまらなくなった。


 よかった!夢じゃなかったんだ!


 シンジがアカンベーを返すと、トモミは声を殺して肩を引きつらせてさも愉快そうに笑った。

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