28 ちょっと気になるこの女
「なんだって?もういっぺん言ってくれ!」
夕日は西の地平線に沈み、あたりは薄暗くなってきた。そろそろ帰ろうかということになり、3人は自転車・・・もちろんコースケはシンジのうしろだったが・・・で堤防の坂道を下りはじめた。下り坂なので、シンジは順調になにごともなくスタートがきれた。
「コウちゃんはDVDプレーヤー持ってない」
自転車をこぎながらシンジはこたえた。
「ほんとうか?じゃあ、おまえに借りたスタートレックはどうやって観るんだ?」
「どっかでプレーヤーかっぱらってくれば?コウちゃんならそれぐらい平気よ」
シンジのとなりに並んで走っているトモミが言った。
「うるさい!だまれ」
(なんて女だ、まったく。コースケもそんなことするか!って怒ってるじゃないか。しかし、シンジもそうだが、こいつもおれのことぜんぜん怖がってないな。おれはサタンだぞ!なに?おまえも怖くないって?おまえがいちばんたちが悪い。おれたちはいまや一心同体。ただの乱暴ものがおれといっしょになったせいでクールで頭の切れる不良になれたじゃないか。このほうが女にだってもてるぞ。イテッ!おれを殴るんじゃない!)
「うちで観ればいい。ぼくはなんど観たって平気だから・・・」
「するとなにか?おれは毎日おまえんちに行って、1時間のドラマを2話観る──それを10ヶ月つづけるってことか?」
(なに?おれはそんなことしたくない、だと?スタートレックきらいなのか?ゲーセンにいく?なんだゲーセンって?ゲームセンターのことか──だったら最初からそう言え!なんでもかんでも縮めりゃいいってもんじゃないぞ、言葉っていうのは!ゲーセン──おれは一瞬〈捕鯨船〉のことかとおもった。でもゲームセンターなら行ってもいい。ゴロツキにからまれたときはおまえがなんとかするんだぞ)
「べつに毎日なんて言ってないけど・・・」
「さんせい!それでいいよね、コウちゃん?」
「やかましい!だれもおまえまでいっしょに来いなんていっとらん」
(なにが『だってそう決めちゃったんだもん!』だ、小悪魔め。やれやれ、この女・・・とことんつきまとうつもりだな。うっとおしいから、あっちへいけと言えばいいのか?なんだ?そのうっとおしいっていうのは?どういう意味だ?ウザイ?ウザコイ?ウザッタイ?・・・・・・ますますわからん。でもああいう女のことをさすんだな?よし、おぼえた・・・)
「シンちゃんはぜひそうして欲しいって!」
「ぼくはそんなこと・・・」
「だめよ。ちゃんと顔に書いてあるもんね。わたしだってスタートレック観たいし」
(なにい?おい、いまのきいたか?おれは女の口から〈スタートレック〉という単語が飛び出したのはじめて見たぞ。おいコースケ、おまえも見たことないだろ?)
「えっ?トモミさんもスタートレック観るの?」
(あーあ、やれやれ。シンジの目を見てみろ!ダイアモンドみたいにキラキラ輝いてる。そんなのはうそっぱちだぞ、シンジ)
「ジェインウェイ艦長のやつは観たことがある」
「それ、ヴォイジャーっていうやつだよ!」
「だから、古いのも観てみたい!」
「ほんとに?ぼく全部持ってるよ!オリジナルに、新スタートレック・・・・・・」
(シンジのやつ、大切な宝物をやっと手に入れたって顔してる・・・あの女、戦術というものを心得てるな)
あいてをじぶんの思い通りに動かしたかったら、まず相手の痛いところをつく!ということが重要──そのためにあいての弱み、弱点を知ることが作戦の第一段階。弱点さえわかれば、それをカバーしようとする敵の動きも予測しやすい。弱点をカバーしようとするとほかの部分がおろそかになる。つまり、隙が新たな隙を生むというわけだ。あとはこっちの思い通りに、敵が勝手に右往左往してくれる。
(おれが〈黄金の精神〉をもつ忌々しい代物を屈服させるのも、基本的な部分ではこの女の戦術とおなじだ)
しかしこの女め、すっかりシンジの扱い方覚えやがったな。だがおれはシンジのように簡単に騙されたりせんぞ!おれは16歳の女子高生がスタートレックを観たいなんていうのはぜったいに信じないからな!おれは日本にどれくらいのトレッキーがいるか、おおよその数はつかんでるんだ。その数5000人──たったの5000人だぞ!その大半が30代から40代の中年オヤジだ。そのなかに16歳の女子高生が含まれているなんて、断じてありえない・・・信じないぞ!こら、シンジ!おまえもその女の言うことを鵜呑みにするんじゃない!
そうだ!いいこと思いついた。おれがこの女に入り込んで、『きょうはもう帰る』って言わせりゃいいんだ。シンジには申し訳ないが、そうさせてもらう。おれたちには、まだまだ相談しなくちゃならないことが山ほどある。そのくせ残り時間はすくない。一刻を争うというほどではないが、のんびりかまえているわけにもいかん。
サタンはコースケにシンジの自転車からぶち落ちるんじゃないぞ!と命令しそこからはなれた。
サタンはトモミの背後に近づいた。きっといまごろ背筋がゾクっとしているにちがいない。理由もないのに背筋がゾクッとしたら、おれか、もしくはおれに近いなにかがうしろにいる証拠だ。
『あれ?入れん。入り込めんぞ』
サタンはもう一度試したがやはりトモミには入れなかった。しかたがないのでふたたびコースケにもどった。
(またもどったのか、だと?しかたないだろう。あの女にはどういうわけか入り込めんのだ。おれの射程圏内にはおまえしかいないんだから。だから、もうしばらくココに・・・家賃を払えだと?バカ言うな。こんな居心地の悪い部屋に家賃なんか払えるか!だいたいガードが甘すぎるんだ、おまえは・・・イテッ!殴るなとさっきから言ってるだろ!)
コウちゃんさっきからひとりでなにぶつぶつ言ってるんだろう。コウちゃんなのかミスター・サタンなのかはわからないけど・・・もしかしてその両方かなあ。ふたりで喧嘩でもやってたりして!
「ねぇ、コウちゃん。うちに着いたけどどうするの?」
「なに?もうついたのか?川からこんなに近いのか・・・」
「知らないってことは、いまはミスター・サタンだね」
「ミスターはつけるな!おれはあんなアフロ頭じゃないぞ、まったく!ヒゲも生えとらん」
「シンちゃんのうち、わたしのうちのすぐ近くじゃん!」
「えっ?ほんと?ぜんぜん知らなかった」
「国道の反対側だから学区がちがう。だからわたしもぜんぜん知らなかった。でもほんとうは、ちいさいときからなんども会ったり、すれちがったりしてたかもね」
(この女、結局ついてきちまった。まあいいか。どうせなにもかも知ってるんだから。それに・・・気なることもあるしな)
「コウちゃんのうちもココから近いの?」
「コウちゃんコウちゃんって気安く呼ぶんじゃない!」
「あれ?怒った?ひょっとしてほんもののコウちゃん?」
(そうじゃないが、あんまりコウちゃんコウちゃんってうるさいから、いいかげんおれだって怒りたくなるぜ。コースケもそうおもうだろ?お!そうかそうか、やっと意見が一致したな)
「それじゃあ私は・・・」
(おや?どうした?かえるのか?心がわりしたのか?いざ家の前まで来ると、男の子の家に行くという現実にぶるっちまったのか?)
「うちに帰って、お風呂に入って、ご飯をたべて、それから来る!」
(歯磨きを忘れてるだろ!いかりや長介に怒られるぞ。あ、いまのおもしろかったか?なに?だっていまおまえ笑っただろ。まったくひねくれたやつだ・・・イテッ!殴るんじゃ・・・蹴るのはもっとだめだ!)
「それじゃあ、シンジ。おれたちはさっそくスター・・・」
「ダメ!わたしが来るまでダメ!ぜったいに観ちゃダメ!」
(なんて自分勝手な女だ。血液型はぜったいにB型だな。なに?おまえも?しんじも?最悪だな。このメンバーじゃあ、チームプレーなんてぜったいに無理だ。おれか?血液型なんか知らん。献血したことがないからな。そもそも血なんてないんじゃないか?血も涙もない悪魔とかよく言われるから)
「じゃあ、おれたちはさっきの話のつづき・・・」
「ダメ!それもダメ!」
「それじゃあ、おれたちはおまえが来るまでなにしてりゃあいいんだ?」
「くだらない世間話」
「バカか、おまえは!男っていうのは、たとえ無人島にふたりっきりでも、くだらない世間話などせんものだ!それよりおまえは、とっとと帰ってメシ食ってこい!」
「そうね、そうする!ところでシンちゃん。携帯の番号教えてよ。行く前に電話するから」
「ごめん、持ってないんだ」
「ええーっ!ほんとにー!・・・じゃあ、訊くだけ無駄だと思うけど、コウちゃんは?」
「おまえの言うとおりだ」
(おれは電話なんて必要ないが、コースケ、おまえには必要だろう。いらない?うっとおしいから?なに言ってる。どうせ掛かってきやせん。うっとおしくないはず・・・イテツ!おまえしまいにはそこの柱に縛り付けるぞ!)
「勝手に押しかけるからいいわ。じゃあね!」
そう言いのこして、トモミは風のようにビューンと去っていった。シンジは100メートル離れていてもぜったいに見間違うことがない、大好きなうしろ姿をぽけーとつっ立って見送っていた。
(あの女の本性を目の当たりにしてもなおこれだ。シンジのこの様子じゃあ、いよいよ本格的にまいっちまったってえわけかい。やれやれ、しあわせそうな顔しやがって)