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26 ここはシンジの大切な思い出が詰まった場所

 この街のまん中には大きな川が流れていて、その河川敷はスポーツ公園になっており、休日ともなるとサッカー少年団やら草野球好きが集まって、悲鳴やら歓声があちらこちらであがり騒がしいのだが、平日のこの時間は、ときどき橋をとおる車の音がやけに大きくきこえるほど、のんびりと静かに時間がながれていた。


 シンジとコースケは、2面ある野球場を見下ろす堤防の草の上に、ならんですわりこんでいた。


 この野球場は、休日こそ事前に申し込みが必要な予約制だったが、平日はその必要がなく、子どものころのシンジたちのかっこうの遊び場だったが、近頃はその子どもの姿すらめったに見られなくなった。いまは、小学校高学年くらいのおとこの子が、作業着すがたの父親らしき人物から、猛烈なノックを受けていた。


「あのおやじは鬼だな。星一徹か?」コースケが感想をのべた。


「あれはあれでけっこうたのしいんだ。しごかれてるほうもね。コウちゃんはお父さんと野球をしなかったの?」


「親父は帰りが遅かった。毎日酔っ払って帰ってくる。眠いのを我慢して起きていても、玄関に迎えにいくと、いつまで起きてるんだ?このバカ!とあたまをぶん殴る…そんな親父だった。野球どころかキャッチボールすらいちどもやったことがねえ」


(なんだか悪いこと聞いちゃったな)とシンジは反省した。(たしかにコウちゃんはいつもろくでもねぇクソ親父だとさんざん悪口を言っているけど、こんな真顔でお父さんの話をするのははじめてだ)


 シンジの父親は警察官だったが、テレビドラマや警察24時というドキュメントでみるように、毎日遅くまで聞き込みをしたり、徹夜で張込みをしたりというようなことはなく、ほとんどの警察官とおなじように、特別のことがない限り5時40分にはうちに帰ってきた。だから陽の長い夏なんかは、よくここで野球をした。ノックをうけることもあったが、シンジの場合、『からだがなまるといかん!』とか『あした課対抗のソフトボール大会がある!』といったような理由で、逆にノックをさせられることもたびたびあった。そんなときは、ここぞとばかりにわざと捕れないような打球を打って、あちこち走り回らせたりしたものだ。


 そうだ。こんなことがあった。


 あの日、シンジの父親はやけにはりきっていた。からだのキレも抜群で、シンジが難しいゴロを打ってもことごとく捕ってしまう──捕ったさきから『よし!もういっちょう!』とつぎをせがんだ。シンジはおしっこがしたくなり『ちょっとタイム!』と言いかけたがそれより先に『さあこい!』と父親がグラブをパンパン鳴らすものだから、この一球でタイムを…ということが10回ばかりつづき、いよいよシンジの膀胱がやばくなったとき、名案がひらめいた。ホームランだ!ホームランならぜったいに捕れっこない!なるほど、大飛球を打ち上げて父親がそれを捕りにいってるすきに、じぶんの用事を済ませてしまおうという魂胆だ。だが、誤算があった。ホームランが打てない!なんどやってもへろへろの内野フライになってしまう。もうだめだ!とやけくそで打った打球──待ち望んでいた大飛球。しかしそのときはもう手遅れで、とうとうズボンを濡らす破目になった。草むらからボールを捜しだしてもどってきた父親は笑いながら『おまえその歳でまだションベン漏らすのか?』とからかったが事態は深刻だった。うちまでこのズボンで帰らなきゃならないのだ。そこで父親は一計を案じ『よし、ボールが川にはまって捕りにいったことにしよう。そしておまえが川にはまり、おれが助けに行ったことにしよう』といって、ふたりで川にざぶんと飛び込んだ。


 『かあさんには内緒だぞ。おれまで怒られちまうからな!』


 そういって父さんは笑い、ふたりともびしょ濡れのかっこうで手をつないでうちに帰った。


 うちに帰ったときの母さんの顔といったらもう…


 コースケはもの思いにふけっているシンジの顔をみつめていた。ニタニタ笑ったとおもえば、こんどは目に涙がいっぱい溜まり、いまにもこぼれ落ちそうになっている。そしてこんどは泣き笑い……


(ここはシンジの思い出がいっぱい詰まった大切な場所なんだな)


 そうおもいながらシンジの顔をみつめていると、胸が張り裂けそうになったが、コースケはなにも言わなかった。


 シンジは学生服の袖で、目にいっぱい溜まった涙を拭った。


「ところでコウちゃん、大切な話ってなに?」


「ん?ああ、えーと、なにからはなしていいやら…」


(躊躇している。あのコウちゃんがめずらしく躊躇している)


 こんなことは絶無だ。コウちゃんと躊躇には銀河の反対ほどの距離がある。行動や言動が思考回路から切り離されているコウちゃんにはまずありえない…それはつまり、事態の深刻さをものがたっている。


「なあ、シンジ。じつはおまえ…」


「なに?」シンジはゴクリとおとをたてて生唾をのんだ。


「じつはおまえ、いちど死んだんだ…」


 それは想像を絶する言葉だった。この地球上でこの言葉を目のまえにつきつけられた人間が、いったいなん人いるだろう。シンジにはこのあとじぶんがどんな反応をしたらいいのか?ということすらわからない。そんなことはもちろんコースケ…いや、サタンにもわかっている。だから、サタンはシンジの反応を待ったりはしない。


「こいつを知ってるだろう?」そう言ってサタンは例の時計を取り出してシンジに見せた。


 シンジは心を奪われたかのように、食い入るようにしてサタンの手のなかの時計をみつめている。


「これでおまえを助けた。おまえはいちど死んだが、それをこれでなかったことにした」


 シンジにはその説明でじゅうぶんだった。サタンの言いたいことはシンジには完全に理解できた。ほんのなん分かまえまで、シンジはその機械をつかって大切な人を守るために戦っていた。


「コウちゃんの言ってる意味はわかった。ぼくはやっぱり失敗したんだね」


「いや、そうじゃない。おまえは失敗なんかしていない。ほかのやつにはぜったいにできんような、ものすごいことをおまえはやった。おまえのやったことはだれにでも誇れる立派な行為だ。失敗なんかじゃない」


「じゃあ、なんでやり直しを?」


「それは、さっきも言ったようにおまえが死んでしまったからだ。おまえはじぶんを犠牲にして、ほかのひとを守ろうとした。そして、それは成功した。だが、おまえの成功はおれにとっては失敗。だからこいつでやり直した」


「いましゃべってるのはコウちゃんじゃないな。おまえはコウちゃんじゃない。だれだ」


「さすがにするどいな。どうもあいつになりきるにはおれには無理があるな。おれはこうみえて紳士だから…ところで、自己紹介がすっかりおそくなったが、おれはサタンだ」


「サタン!あの魔物のことか?」


 シンジの目に憎悪の炎がメラメラと立ち昇った。


(たいしたもんだ)とサタンはあらためて感心した。(目のまえの男におれはサタンだと名乗られたら、たいがいのヤツなら恐怖におののくか、笑い飛ばすかのどっちかだ。しかし、こいつは憎悪のこもった目でおれのことをにらみつけている)


「コウちゃんになにをした!」


「べつに、なんにも。なにかされてるのはむしろこっちのほうだ。いまもあいつは暴れまくってる。説明を聞こうともせん。手がつけられんよ、まったく…ところで、どうしてコースケでないとわかった?」


「そんなのはかんたんさ。ぼくがコウちゃんとなんど言ってもぜんぜん怒らないからだ。コウちゃんならすぐに拳骨が飛んでくる!」


「そうか!そいつはいいことを教えてくれた!今後の勉強になったな」


「今後?いったいいつまでコウちゃんのなかにいるつもりなんだ?」


「とくに決めてはいない。おまえを助けるのに都合がよかったから入ってるだけだ。それにおまえにいろいろと説明するには誰かにしゃべってもらう必要がある。おまえに入り込めたら楽なんだが、そう簡単にはいかんからな」


「ぼくには入れない?簡単には入れない?なぜ?」


(ああー、やれやれだ。またこいつの質問責めがはじまっちまった。しかも、おれがまえに教えてやったことだ…いまのこいつにじゃないが、しかし、おなじことをもういっぺんしゃべるのは面倒くさいったらありゃしない。しかし、このプロセスを踏まないことにはこいつにわからせることなどできんからなあ。面倒くさいなあ…)


「おまえはほかのヤツとはちがうからだ!」と多少投げやりな調子でサタンはまえの時間──消えてなくなってしまった時間のなかでシンジに話したことを、もういちどいまのシンジに話しはじめた。




 そして、30分後…




「…というわけだ。理解できたか?おれがだれも殺そうとしてないとわかってくれたか?」


「うん。すべてが完全にってわけじゃないけど、わかったよ。スタートレックのDVDはあとでコウちゃんのうちに持っていくよ」


「そうか、ありがたい。おれはそのことがいちばん気がかりだった……ところでシンジくん」


「えっ?なに?」


「こいつはなんでここにいる?」


「だれ?」


「こいつだ!おれとおまえのあいだに、満員電車でオバサンがやるみたいに無理やりケツを押し込んできてすわってるこいつのことだ!」


「べつにいいんじゃない?」とシンジは平然とした顔でさらりと言った。


 その人物はグイッとジュースを飲み干すと、空になった缶をポイと投げ捨ててこう言った。


「オバサンとは失礼ね!…へー、シンちゃんが〈黄金の精神〉をもってるとはねえ。ただものじゃないとはおもったけど、すごいんだね、シンちゃんって!」


「べつに、すごくはないとおもうけど…」


「あれ?シンちゃんの耳、またまっ赤になってるよ。ちょっとさわってもいい?おねがい、さわらせて!……」


 じゃれあうふたりをみながらサタンはつぶやいた。


「こいつらまじめに聞いてたんだろうか?」

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