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15 ここは地獄だ…とサタンはおもった

 とっとと治せだと?なんだ、そのもの言いは!おまえは患者だろ!


 まあ、いい。ところでこのあとどうすればいいんだ?おれは殺し方なら何百通りと知ってるが、助け方なんてなにも知らん。


 勉強不足だ。勉強はやはり大事。戦いに勝つためには、敵のことを知ってなくちゃならない。「孫子の兵法」という本に書いてある。最大の武器は〈情報〉、それを甘くみると痛い目にあうぞ!と書いてある。まさか人助けをするはめになるとは、さすがのおれでも想定外だ。だが、まてよ。いまから勉強する時間などないが、ひとつだけ方法があるじゃないか!あの場所、あの場所に行ってファイルをさがしてココへもってくればいい。厳密にいえばこれはカンニングという不正行為だが、これはテストではなく戦いだ。戦いにルールなどない。ルールがあるのはスポーツだ。だから、なんのもんだいもない!こいつに〈指摘〉されてもきりぬけられる。




 ◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆




「シンジくん、ちょっとまっててくれ!」


 そう言うと、グリーン先生はシンジをストレッチャーにのせたまま、突然クルリと回れ右をしてドアを開け、廊下をダダダダッーと走ってどこかへいってしまった。


「先生どこへいったのかしら……」


 太った黒人の看護婦が言った。


 ハサウェイ婦長は、さあね、さっぱりわからないと手をひろげたあとで、シンジに言った。


「ごめんなさいね、シンジくん。ドクター不在でわたしたちだけでの医療行為は禁止されているの。だから、待ってもらうしかない。ほかにだれか手のあいた先生がいればいいんだけど……」


 

 

 ◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆




 その場所についたとき、サタンの息はすっかりあがっていた。両手をひざについて前かがみになり、ハァハァと肩で息をしていた。スポーツ万能の若い男のからだをつかっているが、なにせこの距離だ。


 大きな倉庫のような建物の入り口の扉を、医者の姿をしたサタンが、ゴロゴロ……と重々しい音をたててあけた。まっ暗な建物のなかに、開いた扉のすきまから、光がさしこんだ。


「はあぁぁぁ…」サタンはため息をついた。「またここにこなけりゃならんはめになるとは…」


 この建物はこいつのこころ、いわば知識の格納場所……倉庫だ。入り口のところに、ご丁寧に、やつのへたくそな字で


『関係者以外の無許可の立ち入りを禁ず』と書いた看板が貼りつけてある。


 甘っちょろい警告だ。許可さえ取れば、いつでもなんどでもだれでも、なかにはいっていいのか?そのことの意味をわかってるのか?この倉庫のなかに足を一歩でも踏み入れるということは……


 こころを土足で踏みにじられる!


 ということなんだぞ。言い換えれば、それは〈精神の蹂躙〉だ!たいがいのやつならこれだけで〈屈服〉する……それほどひとにとっては重要な場所!それなのに


「無許可の立ち入りを禁ず」だと?


 最初みたとき、おれは冗談かとおもったぜ。その甘っちょろさに、おもわずプッと吹きだしちまった。おれなら、エリア51の立て札みたいに「侵入者には警告なしで発砲する!」って書くところだ。壁だって薄っぺらだし、こともあろうに、扉に鍵すら掛っていない。なかにはフォートノックスのFRB中央銀行の地下にある大金庫みたいになっているやつだっているというのに。もっとも、そんなやつはめったにいないが、それいがいのやつでも鍵はちゃんと掛ってる。このての倉庫には、だれでも、鍵くらいは掛けているもんなんだ。しかし、こいつときたら、ちっぽけな南京錠ひとつもついていない。それどころか、扉を固定するカンヌキすらないじゃないか!ついていたという痕跡もない──最初からなかったんだ。おれは最初にこの穴のあいたザル同然の警備体制をみたとき、おれのような侵入のプロをなめているんじゃないのか!と腹がたったくらいだった。


 でも、ちがった。


 甘っちょろいのはおれのほうだった。


 おれは最初から、こいつのことを舐めてなんかいなかった。おれは敵を舐めてかかる……なんてことはぜったいにやらない。むしろ敵を過大に評価する。「石橋をたたいて渡る」どころか、「石橋ではまだ心配だから、じぶんで鉄橋に架けかえてから渡る」というくらいの慎重さを信条にしている。いくら時間がかかっても、鉄橋が完成し、数度にわたる厳重な検査にパスしてからでないとぜったいに渡らない。なぜなら、おれは時間的に追い詰められていないからだ。おれは不死身で、寿命なんてものはない。だから時間なら無限にある。無限だから時間がないとかあるとかいう考え方はしない…時間という概念すら最初はなかった…が、いまはちがう。勉強したからな。にんげんとは、オギャァと生まれた瞬間から、時間というものに精神的に追い詰められている生き物なのだ……生まれた瞬間から、ぜったいに途中で中止にならないカウントダウンがはじまっちまうからだ。だからにんげんは、その石橋がいつ、だれに、どうやって作くられたものなのかということすら調べずに、石だから大丈夫だろうくらいの安易な判断で、棒でたたくという不完全な検査方法をオンタイムで実施しながら、せっぱつまったようにいそいで渡ってしまうのだ。


 ところがどうだ。おれはいま追い詰められている。時間などという、おれにとってはどうだっていいようなもののために、おれは追い詰められている。はやくしないと、あのやろうが死んでしまう…とあせっている。サタンがひとの生き死にの心配をするなんて、これほどバカなことはない──だが、事実は事実だ。サタンともあろうものが、あんなチビスケのせいであせりまくってる。


 これは、いったいどういうことだ?これが、あいつの〈能力〉なのか?


 サタンはシンジの倉庫のなかにはいり、壁にある、ざっと数えて50個以上はあるのが確実な照明器具のスイッチを、かたっぱしからONにしていった。


「くそっ!さっき出るとき消さなきゃよかった……」


 スイッチをぜんぶONにしたにもかかわらず、天井からぶらさがっている電灯はなかなか明るくならない。工場によくある水銀灯だった。


 だったら、工場には天窓だってある。明かりをとるための天窓がな。だから、工場の屋根は、のこぎりの歯みたいにギザギザになってるんだ。でも、ここにはそれがないじゃないか!天窓くらいつけておけ!これでは仕事にならんじゃないか!


 いや、ここは倉庫で、工場ではない。だから、ここで滅多に仕事なんてやらないし、ひとがくることなどほとんどない!だから照明設備はこれでいい。スイッチがたくさんあるのも、いやがらせでも時間稼ぎでもない。照明が、いつもかもぜんぶいっぺんに点いてしまわないようにそうなってるんだ。倉庫ではじぶんの目的地とその途中のルートさえ明るければそれでいい。倉庫全体を明るくする必要などまったくないのだ。あるとすれば、棚卸とか大掃除といったスペシャルなときだけである。だからサタンは…


「倉庫はこれでいい。おかしなところなどない。やつの攻撃などではない!」と断じた。


 あせりは禁物だ。あせりはスキをうむ。精神をまもる壁に隙間ををつくる。壁の隙間は蟻穴となってやがては精神の崩壊をまねくことになる。


 3分後、正式な日の出時刻の何分かまえの東の空のように、倉庫のなかがじわじわと明るくなりはじめた。


「やっとなかが見えるようになったか。まったく無駄な時間……」


 いや、無駄な時間、有益な時間なんてものはない!たわごとだ。時間は無限にあるものだから。一秒だろうが1000年だろうがおれにはなんの意味もない。だから、あせらなくていい。…しかし、やつにとっての、にんげんであるやつにとっての時間がのこりがすくないのもまぎれもない事実。


 だから、おれはいそぐ必要がある。あせりはせんが、いそぐ!


 いまや、倉庫の全体がみえるほど明るくなった。本棚が並んでいる。ひとの背の高さの3倍ほどもある本棚が向かい合わせになっており、そのあいだが幅が約5メートルの通路、それが3列あった。通路というのは名ばかりで、得体の知れないガラクタで埋め尽くされている。本棚から落ちた本やファイル、書類の束が散乱し、マグニチュード8級の地震が直撃したコンビニの店のなかのような状態だ。本棚の列は延々とつづき、いちばん遠いところは、霞んでみえない。まさか、地平線まではつづいているのではあるまいな。サタンは不安な表情を隠しきれず、前人未到のジャングルにこれから入ろうとする探検隊の心境で、決死の覚悟で最初の一歩をまえに踏みだした。


「扉に鍵がいらない理由がわかった。こんなクソ溜めに、好きこのんで入ろうとするやつなんかぜったいにいない!いるもんか!ついでに扉もとっぱらっちまえ!」


 几帳面でなによりも正確性を尊ぶサタンにとっては、そこは、悪夢としかいいようのないような有り様だった。


 〈黄金の精神〉もやつの〈弱点〉も、すべてがこのクソ溜めのなかのどこかにあるはずだが、そんなもの、なん十年かかってもぜったいにみつからない。おれにとっちゃあ時間はさほど問題じゃないが、おれの性格からすると、片付けをはじめてしまうおそれがある。だから、そんな無駄なことはやらない。ERの資料はすぐみつかるはずだ。こいつはしょっちゅう出したりしまったりしているはずだから、入り口の近くにあるはず。しかも、本棚にはぜったいにはいっていない。一箇所にまとめて積みあげてあるはずだ。


 サタンは、本やらガラクタやらを、東京の街を徘徊する怪獣のように、手で掻き分けたり、足で蹴とばしたりしながら、ER関係の資料をあちこち探しまわった。


 そして、やっぱりそれは、おれのあの覚悟はなんだったんだ!と叫びたくなるほど簡単にみつかった。ココでは、もっとも原始的な分類方法が採用されていた。よく使うものは、手がすぐに届くところ…という単純な分類のしかただ。あたらしく興味を持ったものがあれば、そいつがいちばん手前で、あとは順ぐりに奥へ奥へ送られる。多少興味がうせたものについては、意思決定によって故意に奥へとはこばれるのではない──新しいものを置く場所を確保するときにちょっと脇へずらされ、それが長年つみ重なった結果にすぎない。


 サタンはみつけた資料を可能なかぎり持ちだした。二度とココへはきたくないからだが、慎重なかれは、こんどは照明をつけたままにしておいた。なあに、かまわんさ。電気代をはらうのはおれじゃない。持ち出したのは、ファイリングブックや本など20冊ほどだった。


「しかし、ココは地獄だ。職業がら地獄は見慣れているが、ここよりはずっとましだ!ココにきたあとで地獄にあるおれのアパートにいってみろ。きっと天国だと勘違いすることだろうぜ!」

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