12 おまえを屈服させてやる
「だれかが近づいてくる。いったいだれだろう…。コウちゃん?」
確認しようとしたがダメだった。あたまをうごかすことかできない。それどころか、手も足も、その指さきさえも、ピクリともうごかない。
じゃあ、目は?
だめだ。視界はすべて、中国の国旗を間近で見たようにまっ赤だ。目をひらいているのか、そうでないのかすらわからない。
耳は?耳はきこえるんだろ?
はたしてこれが聴こえているっていえるんだろうか。放送終了直後のテレビみたいな、ピィィィィィーという音が永遠につづくかのように鳴り響いている。
では、どうしてわかったんだ?
だれかが近づいてくるのが、どうしてわかった?
わかったんだ。どうしてかはわからない。でもわかった。
それがだれなのかも…
『やれやれ、まったくおまえには手を焼かされる』
ヤツだ。ぼくにはわかっていた。
『でも、おれはそんなの屁ともおもっちゃいないね。なぜかって?今日でもうおしまいだから。なにもかも今日でおしまい。でも、ほんとうはあとちょっとだけ骨を折らなきゃならない。おまえを〈屈服〉させるためにな。おまえさえ〈屈服〉させられれば、あとのやつらはちょろいもんだ。なあに、たいした手間ははとらせない。おまえがこうなったからには簡単だ。ほんの2・3分てとこだ。救急車がつくころには、おまえはおれに〈屈服〉しちまってる。え?なんだって?救急車を呼んだのかって?ああ、呼んだとも。おれが呼んだんじゃないがね。だれがおまえなんかのために!呼んだのはあの女かもしれない。あの女はどこへいったのか、だって?知らないね。そんなもん知ってたまるか!おれに、おまえのそばについてるようにって言ったあと、どっかへいっちまった。おまえなんかどうなってもいいってさ。えっ?うそじゃないよ。えっ?コースケ?やつもあの女といっしょにどっかへいっちまった。いまごろふたりでコーヒーでも飲んでるじゃないの。まったくばかな連中だ。おれとおまえをふたりっきりにするなんて。まあ、そのほうがおれはたすかるがね。救急車はいつくるかって?さあね。来てもこなくても、おれにはそんなことはどうでもいい。まさか、助かるとおもってるのか?救急車が来さえすれば、カリブ海を500年間さまよった難破船の旗みたいにズタボロのおまえがケロッと治っちまうとでも?無駄さ。助かりっこない。おまえは即死だ。そうだ。おまえ、即死の定義って知ってるか?なに、知らない?じゃあ教えてやろう。即死とは、事故発生時刻と死亡時刻がまったくの同時刻の状態のことをいうんだ。なに?じゃあぼくは即死じゃないだと?ブー、はずれ!死亡時刻ってのはだれが決めるとおもってるんだ?むろん、おまえじゃない。死亡時刻は医者が宣告するんだ。なに?ERで見たことがあるって?なんだ、知ってるんじゃないか!まわりを見てみな。なに?くびがうごかないって?じゃ、かわりにおれが見てやる。どれどれ…なるほど、見たところ、この界隈に医者なんてひとりもいない。ということはだ。おまえの死亡時刻を宣告できるやつがただのひとりもいないってことだ。わかるか?ようするにだ。おまえがいまこの瞬間にくたばろうが、一時間後にくたばろうが、おなじってことだ。医者がおまえの脈をしらべたそのときに、おまえがくたばってりゃそれでいい。医者にはおまえが正式にくたばった時刻なんてものはわかりゃしない。だから、おまえに死亡宣告したその医者は、死亡診断書に推定死亡時刻として事故発生時刻を書き込むしかない。わかるか?おまえの場合は16時00分と書かれる。だから、いつくたばろうが関係ない。おまえは即死だ。救急車が来るまでもつとほんとうにおもってるのか?希望をもつのは大事だが、おまえの場合は無駄だ。まったくの無駄。なんてったっておまえは即死なんだから!』
「ゲス野郎。おまえはゲス野郎だ。むかしからきまってるんだ。ゲス野郎ほどよく喋る」
『ゲス野郎ほどよく喋るだと?おまえが喋らせたんじゃないか!あれやこれや質問して……おまえまさか、時間稼ぎのつもりか?おれに〈屈服〉しないために、時間を稼いだつもりか?まったくあなどれんやつだ。即死のくせに。おまえの精神力のタフさには、まったくあたまがさがる。だから〈屈服〉に意味がある。おまえを〈屈服〉させる意味がある。あと、せいぜい2・3分だ。おまえがおれに〈屈服〉するのは時間のもんだい。抵抗できるとでも?おれに抵抗できるとでも?そんなわけない!精神はからだと表裏一体だ。おまえの精神はもはやボロボロのはず。即死状態のおまえのからだのようにな……ええい、くそう。最後のとどめをさすまえに、べちゃくちゃ喋りまくる──典型的なやられ役って風情じゃないか!そんなことはないぞ!おれはぜったいにやられたりせんからな!土壇場の大逆転なんてぜったいにない!……』
やっぱり、こいつはゲス野郎だとシンジはおもった。
だって、ぼくがなにもしなくても、勝手にひとりで喋ってるじゃないか!
「……おまえを〈屈服〉させるには、負けを認めさせる必要がある。だから、おまえの精神にもぐりこんでだなあ、いいか、おまえの精神のいちばん深いところまでもぐりこんで、おまえの弱点をみつけなきゃならんのだ……」
いったいいつまで喋るつもりなんだ?
でも、なんだか憎めないおもしろいヤツだな。
こいつ、ひょっとして、いいヤツなんじゃないのか?
『冗談じゃない!断じておれはいいヤツなんかじゃない。現におまえを殺しただろ?なに?まだ死んでないって?おまえは死んだも同然の身の上だ。おまえのちっぽけな心臓が、ERで待機している医者のところにつくまで動き続けられるはずがない。だから、だれがなんといおうと、おまえは即死だ!その事実にかわりはない。でもねぇ、ちっぽけな心臓くん。あとすこしだけがんばっておくれ。ほんのちょっぴりでいいんだ。こいつを〈屈服〉させるまで、あとすこしだけがんばっておくれ。なにしろ、こいつらのもってる〈黄金の精神〉ってやつは……え?なんだって?〈黄金の精神〉とはいったいなにかって?そいつはあとで説明してやるから……ええっと、なんだっけ。そうだ。おまえらの〈黄金の精神〉っていう厄介な代物は、おれにとっては目の上のタンコブだ。〈黄金の精神〉をもったやつは、そいつが生きているあいだに〈屈服〉させる必要がある。でないと、〈黄金の精神〉はほかのだれかに受け継がれちまうからだ。なんだって?GARO?なんのことをいってるんだ?黄金騎士?そいつとおなじだって?その黄金騎士とやらも受け継がれるものなのか?テレビ?バカかおまえ!いまはテレビのはなしをしているんじゃない!これは現実だ!〈黄金の精神〉という厄介な代物は、遥かむかしから受け継がれている。おまえたちが神と呼んでいるやつがおれたちを創ったときから……なに?おれたちってどういう意味か、だって?おれたちとはおれたちのことにきまってるじゃないか。ああ、そうだ。おれをつくったのも、おまえたち人間をつくったのも、おなじやつだ。バカバカしい。呼びかたなんてどうだっていい。冒涜?天罰?そんなのはたわごとだ。もっともあいつはおれを創ろうとしておれを作ったんじゃない。勝手にできちまったのさ。物質と反物質みたいにな。〈創世記〉って本に書いてあるだろ。やつが全部つくったんだ。「ひかりあれ!」とかなんとか言ってな。おまえの好きな椅子に乗った学者が〈ビックバン〉と呼んでいるあの爆発のときだ。あのときすべてが同時にできた。おれやおまえもふくめて、すべてが同時にできた。創るのに七日かかったなんてのはうそっぱちだ。やつにしてみれば、ちょっとは苦労したようにみせたかたんだろうよ。なに?いや、ちがう。おまえたちは猿から進化したんじゃない。最初から人間だった。猿は最初から猿だったし、ミミズは最初からミミズだった。進化したものなどなにひとつない。証拠?化石?アンモナイトとか恐竜の?生きているアンモナイトは最初からそう創られたし、化石のアンモナイトは最初から化石だった。だって、よくかんがえてもみろ。生き物が進化するんなら、なんだっていまだに進化しないやつがいるんだ?バクテリアだのプランクトンだの、いまだに残ってるのはへんだとはおもわないのか?なぜやつらは進化しない?こたえは、生き物は進化などしないからだ。最初からやつがそう創った。いや、創ったたんじゃない。勝手にできちまったんだ。おれができちまったみたいにな。ちっとは本を読めよ。ぜんぶそこに書いてある。なに?本じゃなくて聖書だと?旧約聖書?でも、本は本だろ?キリスト教の信者じゃないから読まないだと?おれだってそうじゃない。でも、おれは読んだ。あの本にはおれのことも書いてあるしな。ちなみに、キリストをぶっ殺したのもこのおれさ。あの野郎もおまえとおなじ〈黄金の精神〉を受け継ぐ厄介な代物だった。あのときは失敗した。やつの〈黄金の精神〉はだれかに受け継がれちまった。あの本には、善と悪との最終決戦のはなしはも書いてある。ヨハネの黙示録ってやつだ。知ってるか?なに?アルマゲドン?ブルース・ウィリスのでていた映画?知らんな。おれはテレビだの映画だのはあまり見ないんでな。でも、本はよく読むぜ。とくにあの本はな。おまえもちょっとは本を読んだらどうだ?勉強になるぞ。ところで、おまえはどうやら勘違いをしているようなのでおしえてやるが、アルマゲドンとかハルマゲドンというのは、おれが仲間を集める予定になっている場所の地名、たんなる地名にすぎない。最終決戦自体をさす言葉ではない。もっともおれは、仲間を集める予定などないがね。ひとりでじゅうぶんだ。準備さえうまくやれば、おれひとりでじゅうぶん。おれの言うこときくヤツに、ひとりひとり〈666〉の刻印を打って行くなんてことはぜったいにやらない。だって、めんどくさいだろ。いちいちそんなことやってられるか!ヨハネのやつはおれの計画は知ってても、性格は知らなかったんだな、きっと。え?ああ、やつはちがう。大勢いる雑魚のうちのひとりにすぎん。だからおれは会ったことがない。あの本でおれもはじめて知った。〈黄金の精神〉をもつ厄介な代物の……え?なに?ああ、そうだ。《〈黄金の精神〉をもつ厄介な代物》というのが、おまえたちの正式名称だ。おれが名付けた。なに?長ったらしくてかっこわるいだと?なにをいってる。おまえなんかほんとにかっこわるいからピッタリじゃないか!気に入らんなら、おまえが考えろ!よかったら採用してそれを正式名称にしてやる。ただし、おまえがさっきいっていた〈黄金騎士〉はだめだぞ。やっぱりな。おまえはそれをつけたかったんだ。ばかめ。よくかんがえろ。馬に乗って戦うひとのことを〈騎士〉というんだ。おまえは馬に乗っとらんじゃないか。だから〈騎士〉じゃない。おれは正確さを尊ぶ。〈黄金ナイト〉もダメ!騎士を英語にしただけじゃないか!〈黄金戦士〉〈黄金ファイター〉もダメ!ぜんぶ却下!いいか、よくきけ!〈黄金仮面〉と〈黄金の仮面〉どっちがいい?どっちの言葉に重みがある?〈黄金仮面〉見るからにやすっぽいだろ。昭和30年代のやすっぽさだ。じゃあ、〈黄金の仮面〉……どうだ、ぜんぜんちがうだろ?こっちは古代エジプトの財宝って感じだろ?ナイル文明4000年のずっしりとした重みがある。仮面を造るのにつかった金の量も相当なものだぞって感じがする。いいか、ここからが肝心なところだ。〈黄金の…〉のこの〈…の…〉の一文字が大事なんだ。あるとないとで大違い、重みがぜんぜんちがうだろ?それがコツだ。宮崎駿のアニメの題名もちゃんとそうなってる。なに?宮崎アニメだけは観るんだ。……そんなことはどうでもいい!おれが言いたかったのは、おれは善と悪との最終決戦などぜったいにやらない!ということだ。だから、勘違いするなよ。いまのおれたちの状況は、断じてアルマゲドンなんかじゃない。おまえなどただのチビスケにすぎん。おまえが救世主だという可能性などゼロだ。0%だ。おまえは、キリストの〈黄金の精神〉を受け継いだ者ではない。だが、厄介な代物であることにはちがいない。だから、ぶっ潰す。なぜなら、おまえたち〈黄金の精神をもつ厄介な代物〉は、おれの言いなりにはぜったいにならないからだ。悪魔の刻印〈666〉を押そうにも、ぜったいにそうはさせない厄介な代物だからだ。いつかかならずおまえたちは、〈キリストの黄金の精神をもついちばん厄介な代物〉のもとにあつまって、おれを抹殺しようするにちがいない。だから、ぶっ潰す。そうなるまえに、ひとつずつ、ほかのやつらにきづかれないようにな。それがおれの〈準備〉だ。〈準備〉が完了したときには、戦いも終わっている。厄介なのは、ただぶっ殺せばいいってわけじゃないからだ。おれがぶっ潰すのあくまでも〈黄金の精神〉であって、おまえ個人ではない。ぶっ殺すのはかんたんだが、ぶっ潰すのは並大抵のことじゃない。だからこんなにも苦労をしているんじゃなないか!!……なんで、おれはこんなことまでこいつにはなしてるんだ?くそっ!おまえ、また時間稼ぎを!』
ほんとにおかしなヤツだな。これが、ぼくが怖がっていた魔物の正体なのか?
『バカ言え!こんなのがおれの正体なものか!おまえだ、おまえがおれを誘導しているんだ。それほど厄介な代物なんだ。〈黄金の精神〉ってやつは。だから、そいつを受け継いだやつらは、全力でぶっ潰す』
シンジのからだからは、血がドクドクとあふれつづけている。幾筋もの血が、まるでアマゾン川のようにあつまって大河となり、アスファルトのうえをながれて、排水溝のふたの格子のあいだからまっ暗な下水道へと、ボタボタとしたたりおちていた。
学生服姿の男が、ボロ布のように地面に横たわっているシンジのとなりにひざまづき、まるで、シンジをいたわっているかのように、右手をそっとシンジの頭に添えている。
でもそうではなかった。
いたわってなどいなかった。
『いまならできる。おまえのいちばん深いところまで、もぐりこめる…』
学生服の男は、口の両端をキュゥゥゥゥーッとつりあげて、見たものが一瞬にして凍りついてしまうような、どす黒い笑みをうかべた。
『待っていろ。いまいくからな。おまえはそこで待っているがいい』
シンジの頭に添えられている手の爪が、突然グググゥゥゥッとのびた。
そして、ぶきみな弧を描いて、猛禽類の鉤爪のようになった。
その鉤爪の手が、シンジの頭をガシッと鷲づかみにした。
『おまえを〈屈服〉させてやる』