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10 魔物は生け贄を欲する

  戻ったとき、そこに老人の姿はなかったが、シンジは驚かなかった。老人はもうそこにいる必要がないからいないのだ。


 ぼくが3回目のリセットボタンを押した瞬間に、ストップウォッチの効き目はなくなった。だから、もう時間は止まらない。ストップウォッチを持っていてもしかたがないのだ。持っていてもしかたがないものを、わざわざ手渡す必要もない。


 だから、老人はいないのだ……シンジはそう考えた。


 だが、事実はそうではない。


 3時50分00秒のシンジは、まだストップウォッチを手渡されていないシンジである。3時50分00秒といえば、老人が機械を作動させた時刻である。その直後に、シンジはストップウォッチをうけとるのだが、ここでよく考えてみてほしい。3時50分00秒に戻ったシンジは、毎回おなじモノ──つまり、老人が作動させた直後のストップウォッチをうけとっていることになるのだ。はじめて戻ってきたとき、2回目のとき、そして前回も、シンジはすべて作動させた直後のおなじものをうけとっていることになる。


 どういうことかというと、仮にこの機械が老人の言うように3回しかつかえないようにできているとして、リセットボタンを押すたびに、数字がふえていくカウンターがついていた仮定しよう。


 老人が作動させた時点では、カウンターの目盛りはもちろん『0』である。


 それをうけとったシンジがリセットボタンを押すと、カウンターは『1』になり、シンジは3時50分00秒にもどる。と同時に、シンジのポケットからストップウォッチは消えてなくなる……実際は消えるわけではなく、3時50分00秒の時点では、シンジのポケットにはなにもはいっていないだけのことだ。ただ、記憶がのこっているから消えてなくなったようにシンジには思えるだけなのだ。タイムマシンのようにシンジ自身が機械に乗り込んで時間を戻るわけではないので、〈バック・トゥ・ザ・フューチャー〉という映画のように、未来からなにかを持ち帰ることはできない。考え方として、3時50分00秒のシンジに、4時00分00秒の記憶が転送されてくると思ってくれればわかりやすい。


 シンジが戻ったあとでうけとるストップウォッチは、老人がポケットからとりだして作動させた直後のストップウォッチであり、戻る直前にリセットボタンを押したカウンターが『1』になっているストップウォッチではない。老人がなんらかの方法で、10分未来のカウンターが『1』のストップウォッチを手に入れない限り、シンジはそれをうけとらないのだ。しかし、シンジがリセットボタンを押したカウンターが『1』のストップウォッチを手に入れる方法などない。なぜならシンジは、リセットボタンを押す瞬間は、4時00分00秒という時間が止まった世界にいるのであり、リセットボタンを押した直後のカウンターが『1』のストップウォッチを持っているシンジなど、どこにも存在しないからだ。

 

 ということは、ストップウォッチのカウンターが『2』や『3』にはぜったいにならないということである。


 この機械が、いつ、どこで、だれによってつくられたのか。ざんねんながら、現時点では定かではない。ただ、ひとつだけいえるのは、開発者がだれであったにせよ、3回しか使えない機能など、ぜったいにつけたりしないということである。なぜなら、そんな機能などまったくの無駄だから。カウンターが『2』や『3』にはぜったいにならないのに、そんな機能にいったいなんの意味がある? 作動させた時刻に、たった一度だけ戻ることができさえすればそれでいいのだ。


 だから、実際はなんどでもやり直せる。シンジは納得がゆくまでなんどでも、永遠に時間を行き来できるのだ。


 ただし、老人がそこにいて、シンジに機械を手渡せば……のはなしである。


 では、機械を自分で作動させたらどうなるのだろう。3時50分00秒に、シンジが自分で機械を作動させたのだとすると、老人がいようがいなかろうが関係ないではないか。そのばあい、シンジは永遠に3時50分00秒と4時00分00秒のあいだを行き来して、抜け出せないのではないだろうか?


 そんなことにはならない。4時00分00秒に、リセットボタンを押さなければいい……ただそれだけのことだ。


 話がそれた。では、ふたたび3時50分00秒にもどったシンジをみてみよう。


 


 今回は老人がいなかった。いないのにはわけがあるのだが、シンジにはそれを知る術がない。老人がいないから、シンジはストップウォッチをうけとらない。ストップウォッチがないから時間も止まらない。


 正真正銘のラストチャンス……その事実はかわらない。


 もちろん、シンジにはその覚悟ができていた。


 戻ってくるなり、シンジはすぐさま自転車に飛び乗って、この世でもっとも呪われた場所、本屋のある交差点にむかった。自転車を走らせながら、シンジはこれから自分のとるべき行動を、頭の中でもう一度整理した。


①コウちゃんに犬をつかったイタズラをあきらめさせる


②オープンカフェのふたりのところに行き、トモミのハンカチをなんとかする……トモミなんて呼び捨てにしてしまった。たしかにぼくは彼女のために戦っているけど、彼女より立派になったっていうわけじゃない。人間としての〈階級〉が、彼女よりあがったってわけじゃない。


 それなのに、呼び捨てだなんて……シンジは反省した。


 シンジという少年は、他人を呼び捨てにできない少年だった。精神分析の専門家ならあれこれ理由をつけたがるだろうが、シンジ本人は、なぜ呼び捨てにできないのか…などと考えたことはない。そういう性質たちなのだ。頭のなかでは、『くそったれ野郎』だの『ゲス野郎』だのさんざんひどい呼び方をしているくせに、他人の名前を呼び捨てにすることだけは、ぜったいにしなかった。


 だから、テレビで、あのシーンを見たときは、かなりのショックをうけた。気になって、気になって、しかたがなかった。そう、あのシーン…。ホワイトベースが地球の大気圏に突入する寸前に、赤い彗星に攻撃されるあの話……


 シャア少佐がなんども『カプセルにもどれ!』と命令しているにもかかわらず、言うこときかないバカなクラウン……


 ガンダムを深追いしすぎたバカなクラウンのザク……


「少佐ぁぁっ!シャアァァァァ!助けてください、減速できませーん!」


 いま、呼び捨てにしたんじゃないのか?…命令をきかないバカな下っ端のくせに、少佐を呼び捨てにしたんじゃないのか?…たしかに『シャアァァァ!』っていったよね。…それとも、ただの叫び声だったとでも?…『クラウン、おまえいま俺を呼び捨てにしたなっ!』って怒らないシャアはやっぱりカッコイイな。


 そういえば、アムロもいつも『シャアめ!』とか『来い、シャア!』なんて呼び捨てにしてたな。ホワイトベースの仲間は『カイさん』『セイラさん』と呼ぶし、それだけならまだしも、ジョブ・ジョンまできちんと〈さん付け〉で呼んでいるくせに、いくら敵とはいえ曹長の分際で少佐を呼び捨てにするとは……。もっとひどいのはあのときだ。ジャブローにズゴッグとアッガイで進入して、ジムの工場を爆破しようとする話……あのときのアムロのあの言いよう


「シャアのことだ。このすきに逃げたな」


 失礼にもほどがあるってものだ!……いけない!いまはこんなバカなことを考えてるときじゃない!


 シンジはあらためて、今後のスケジュールを確認した。


①コウちゃんに、犬をつかったイタズラをあきらめさせる。


②オープンカフェのふたりのところに行き、トモミさんのハンカチをなんとかする──テーブルの上からひったくって、ぼくのポケットにしまうのが一番確実だろう。


③交差点にむかって全速力で走り、床屋のオヤジに跳び蹴りを食らわせ、ひっくり返させる。


④……ここからが問題だ。ヤツは必ずなにかしかけてくるはずだ。でも、それがなにかはわからない……でも、ヤツとはいったいだれのことだ?……アイツだ。トモミさんをお茶に誘ったあのクソ野郎のことだ。ヤツのほんとうの目的はなんなんだろう?

 

 コウちゃんはトモミさんに告白するためだと言ったが、ぼくにはそうは思えない。最初はヤツが犬を蹴った。2度目は床屋のオヤジのせいだが、3度目は、ヤツが机のうえから手でハンカチをサッとはらったからだ……BMWの来るタイミングを見計らって、最初のときのように、子犬のフリーキックを蹴ったときのように、急行電車が通過するホームで、まえのひとの背中をポンと押すみたいに…。


 でも、2度目の時は……、いや、待てよ。もしかすると…。


 2度目のとき、トモミさんは本屋のなかにいた。ヤツがそうなるよう仕向けたのだとすると?ぼくが自転車で来たのをそれとなくトモミさんに伝え「いっしょにお茶を飲もうと誘ってみたら?」と提案したんだったとしたら?……トモミさんはきっと本屋に探しに来るだろう。ぼくがそこにいると思って本屋に入り、店のなかをぐるぐる見回して、ぼくの姿を探すだろう…。そこにたまたま床屋のオヤジが携帯電話をのぞき込みながらやってきて、信号が赤の交差点に進入し、マヌケがそれを見て、慌ててハンドルを切り、BMWが本屋へ突っ込む……いや、床屋のオヤジはたまたまやって来たのではない! 携帯のメールもたまたま入ったんじゃなく、すべてヤツが仕組んだことだとしたら?


 ヤツはいったいなにものなんだ?


 クソ野郎の目的っていったいなんだ?


 なぜ、あのゲス野郎は、トモミさんを殺そうとするんだ?


 ヤツはたぶん…、そんなこと考えたくもないが


 ヤツはたぶん……


 ……人間じゃない


 シンジには確信があった。その根拠は…ヤツの目だっ!まっ暗な新月の夜の洞窟の入り口のような目…。その遥か奥深くで、光がけっしてとどくことのない洞窟の奥深くで、得体のしれないなにかが燃えているような、薄暗くボゥゥゥーッと光る青白い光…。最初にそれを見たときから、シンジには確信があった。


 ヤツは人間じゃない!


 なにものなのかはわからない。


 神様が創ったものではないなにか……


 悪魔が作った腐った汚らわしい代物……魔物


 そうだ。ヤツは魔物だ。そうとしか言い様がない。ペニーワイズをITイットとしか呼びようがないように…

 

 地獄から来たのか、宇宙から来たのか、わからない。だけど、断じてこの世のものではない。


 魔物、それがヤツの正体


 助けられるだろうかっ!

 

 泣き虫で、怖がりのぼくに、彼女を助けることができるんだろうかっ!

 得体の知れないものと戦って、ぼくは勝てるんだろうかっ!


 ひょっとすると、今までのぼくのやり方は、間違っていたのかもしれない。

 

 事故はどうやっても、止められないのじゃないだろうか?


 今日の4時きっかりに事故が起こるというのは〈確定した事実〉で、それはぜったいに変えられないのではないか。そして、誰かがそれに巻き込まれるのも、やっぱり〈確定した事実〉で、それを阻止することはできないのではないか!


 ホーキング博士は、「過去へのタイム・スリップはぜったいに不可能だ」といっている。なぜなら、パラドックスが発生するから。過去に戻って自分を殺せるのか?というようなパラドックスがどうしても発生してしまう。だから、ホーキング博士は「自然界がそんなことを許すはずがない」と言って、過去へのタイム・スリップの可能性を否定した。


 だが、現実はちがった。過去へのタイム・スリップは可能なのだ。ぼくが10分まえにもどるというのは、厳密にはタイム・スリップとはいえないかもしれない。でも、あの老人、あのひとは未来から来たにちがいない。なぜなら、事故のことを知っていたから。あのひとはぼくに機械を渡し、自分にとっての過去、ぼくにとっては未来……それを変えさせようとしているにちがいない。


 でも、あのひとも、なにが可能で、なにが不可能か……ということまでは知らない。


 未来には〈確定した事実〉などというものは存在しない。だが、過去にはそれがあって、ぜったいに変えられないなにかがある……ということではないんだろうか?


 4時00分00秒に起きる事故は、シンジにとっては未来の出来事であるから、彼がなにをしようが、どうふるまおうが、彼自身にはなんの影響もない。だが、未来のひとからみれば、その事故は〈確定した事実〉なのだ。問題なのは、なにが確定していて、なにがそうでないのか…ということではないのだろうか。


 過去の歴史とは、言い換えれば〈記録〉である。巻物や書物、フロッピー・ディスクやUSBメモリー、そして、ひとの記憶など、それらに〈記録〉されたさまざまな事柄が歴史になるのだ。ただ、〈記録〉には残されていないささいな出来事も過去には山ほどあるはずで、未来のひとがまったく知らないような、取るに足らないようなちっぽけな出来事は〈確定した事実〉ではない…ということなのではないだろうか。

 

 未来のひとがまったく知らないことを、多少いじくっても、もともと知らないのだから、なんの影響もない。だから、〈確定した事実〉でなければ、変えることができる…ということなのではないだろうか。


 シンジはそう考えた。


 要するに、なにが〈確定〉されていて、なにがそうでないのか……それを見極めればいいのだ。


 『事故が起きる』……おそらくこれは〈確定事項〉だ。だから、なんどやっても事故は止められない。


 『誰かが事故の巻き添えになる』……これも〈確定事項〉。BMWの単独物損事故なら、あの老人はわざわざ時間をさかのぼって、ぼくにこんなことをさせたりしないだろう。


 『犠牲者はトモミさん』……わからない。というより、これが〈確定事項〉だったら、もはやどうしようもない。


 事故が起きて、それにだれかぼくに関係のあるひとが巻き込まれる……というのはどうやら〈確定〉しているようだ。問題は、それがだれなのか?


 いまわしい考えがシンジのあたまにうかんだ。


「生け贄」


 魔物は生き血を欲している…


 事故の引き金を引いたのは、まちがいなくヤツだ。


 ヤツは魔物……


 魔物を鎮めるのは“生け贄”


 だれが生け贄になるのか……


 いったいだれが生け贄になるのか……


 魔物は生け贄を欲している





 シンジは頭をはげしく振って、いまわしい考えをふりはらった。


「とにかく、やれることを精一杯やるだけだっ!」


 シンジは自分を奮い立たせるように、大きな声で言った。


「おまえなんかに負けるものかっ!絶対に、彼女は絶対に、僕が助ける!」

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