203Y年2月21日 台北/与那国
2月21日 中華民国/台湾 台北市大安区 国立台湾大学
サンフランシスコでのスカイX社の決死の修正作業により、衛星の指向性と周波数の調整が適用された瞬間、台北の地下深くで眠っていたデジタルな神経系が、猛烈な勢いで脈動を再開した。遮光カーテンに仕切られたラボの中で、数十台のモニターが同時に青白い光を放ち、沈黙を保っていた通信モデムが、狂ったようにステータスランプを点滅させ始める。
「繋がった……世界と繋がったぞ! スターネット、全セクター回復! ハンドシェイク成功だ!」
マークが椅子から飛び上がり、ヘッドセットを投げ捨てて叫んだ。数日間、死に絶えた灰色の砂嵐しか映し出さなかったスマートフォンの画面に、色彩が戻る。そこへ、堰を切ったように世界中の「善意」が流れ込んできた。ニューヨーク・タイムズスクエアの巨大スクリーンに映し出される「#StandWithTaiwan」の文字。渋谷のスクランブル交差点を埋め尽くす赤、青、白のペンライトの波。ロンドン、パリ、デリー、ジャカルタ、さらにはヨハネスブルグに至るまで、欧米でもグローバルサウス諸国でも世界中の主要都市で巻き起こる救援デモのライブ映像が、タイムラインを埋め尽くしていく。
「見て、祐希。……世界は、私たちを見捨てていなかった」
雨婷が、スマートフォンの画面に映る無数の連帯メッセージを指でなぞりながら、声を震わせた。そこには「自由を止めるな」「台湾の呼吸を支えろ」といった、数えきれないほどの言語での書き込みが溢れていた。
回復したのは受信だけではなかった。これまで「封鎖の霧」によって島内に閉じ込められていた台湾各地の生々しい映像が、市民たちの手によって、弾丸のような速度で世界へと射出され始めたのだ。
高雄の軍港では、事実上の閉鎖状態に置かれた岸壁で、錨泊する中華民国海軍の康定級フリゲート艦を見守る数人の若者の姿があった。彼らはスマートフォンのライトを掲げ、国旗を振りながら、かつての民主化運動の象徴的な歌を合唱していた。その歌声は海霧を切り裂き、沖合で旋回する中国海軍の艦艇へ向けて、目に見えない不屈の防波堤を築いていた。
台中の中心部、広場に設けられた臨時配給所では、電力が制限された暗闇の中、市民たちが整然と列を作っていた。一斗缶を抱えた老婆が、後ろに並ぶ見知らぬ子供に自分の分のわずかな水を分け与え、静かに微笑む。その背後では、迷彩服を着た予備役兵たちが、疲労に耐えながらも、市民の尊厳を守るために背筋を伸ばして立っている。
太平洋に面した花蓮の海岸線では、断崖絶壁の下、波飛沫を浴びながら水平線を睨みつける兵士のクローズアップが世界を震撼させた。その鋭い眼光の先には、救援に駆けつけるはずの米海軍空母打撃群の影を待ち望む、祈りにも似た闘志が宿っていた。
それらの映像は、独裁政権が喧伝する「戦意喪失した台湾」という虚像を、根底から打ち砕く決定的な証拠となった。
そして、何より台湾人を歓喜の渦に叩き込んだのは、世界最強の国家たちが下した「決断」のニュースだった。米国のポーカー大統領がホワイトハウスのオーバルオフィスから行った、国家非常事態宣言と、台湾周辺海域への武力行使を含む軍事介入命令。そしてほぼ同時に、日本の高城総理による防衛出動の決定と、自衛隊の統合任務部隊の展開。
「米軍が来る。自衛隊も動いた。私たちはもう、一人じゃない……本当に、一人じゃないんだ」
雨婷は膝から崩れ落ち、画面を食い入るように見つめながら涙を流した。戒厳令下の重苦しい沈黙、いつ工作員の凶弾に倒れるかわからないという窒息しそうな恐怖の中に、希望という名の新たな酸素が、冷たく、心地よく流れ込み始めた。
通信の回復は、絶海の中座で孤立奮闘していた最前線の守備隊にも届いた。スターネットを通じて、郭総統のビデオメッセージが、金門、馬祖、そして南シナ海の東沙諸島の地下壕へと届けられた。
『最前線の同胞たちよ、諸君。私は今、諸君の目の前に立っている。諸君の孤独な戦いは、今この瞬間、終わろうとしている。見よ、空と海を。日米の友軍が、我々の自由を守るために動き出した。救援の火蓋は切られたのだ。あともう少しだけ、我々の国家と自由のために持ちこたえてほしい。我々は必ず、勝利する』
郭総統の静かだが力強い言葉が、ノイズの消えた通信機から響き渡る。まだ大規模な砲撃や爆撃という物理的な戦闘は始まっていない。しかし、嵐の前の静けさの中で、台湾全土の地下壕や塹壕、そして台北の街角に至るまで、巨大な「反攻」のエネルギーが、静かに、しかし確実に臨界点に達しようとしていた。
祐希は、窓の隙間から見える、サーチライトが交錯する夜空を見上げた。その光の向こう側に、確かに自分たちの未来を繋ぐ「意志」が近づいていることを、確信していた。
日本 沖縄県八重山郡与那国町
一方、日本最西端の与那国島は、2週間以上が経過した今も依然として、今や住民の前でも平気で中国語の会話を交わすようになった「標章なき軍隊」による支配下にあった 。二千人の住民たちは、祖納や比川の公民館、小学校、そしてその周辺の民家に分散して収容され、武装集団の監視下に置かれていた。投降した自衛官と警察官の多くは、占拠された与那国駐屯地内に拘束されている 。
その包囲網を逃れ、祖納地区の民家を転々としていた沿岸監視隊員六名と沖縄県警外事課員四名の計十名は、極限の緊張の中にいた 。
「……待って。スターネットの信号が復活しているわ」
県警外事課の藤沢巡査部長が、手元の端末のアンテナ表示を見て息を呑んだ。それまで完全に死んでいたデジタルの脈拍が、力強く打たれ始めている。
「逆探知されるなよ。奴らは必ず電波源を追ってくる」
沿岸監視隊員が警告する。彼らは武装集団による三角測量を避けるため、民家に残されていた複数のスターネット端末をアドホック通信で繋ぎ、自分たちの位置から数キロ離れた場所のアンテナを最終的な送信元として経由させるという、即興の隠蔽工作を施した。
「こちら、与那国沿岸監視隊残存部隊。……西部方面総監部、応答願います」
冷たい雨の降る島から放たれた極小のパケットは、中国軍が構築した電子の檻をすり抜け、決戦の準備を急ぐ自衛隊という巨大組織の本体へと、ついに届けられた 。




