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T-DAY:台湾戦争  作者: 中央国家安全委員会主席
第4章 窒息

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203Y年2月18日 台北

台北市

国家安全局の公用車は、検閲と銃口に支配された台北の街を、静かな、しかし確かな意志を持って進んでいった。マークは膝の上でカメラのジンバルを調整し、雨婷は録音機材の感度を確かめる。祐希は、これから自分たちが「目撃」するものが、世界の運命を変えるトリガーになるのだという重圧を、肺の奥に冷たく感じていた。

最初の目的地は、数日前に爆破テロに襲われた台北車站だった。かつて二十三万人の乗降客で賑わった巨大なホールは、いまや黒ずんだ火災の跡と、崩落した天井の残骸が積み上がる「墓標」と化していた。


「……撮ってくれ、マーク。この瓦礫の下には、まだ家族を待っている人たちがいるんだ」


警察官の誘導で構内に入ると、祐希の目に飛び込んできたのは、折れ曲がったチェックイン・カウンターの横で、泥にまみれた子供のリュックを抱きしめて座り込む老人の姿だった。彼は泣くこともせず、ただ虚空を見つめていた。  


「あのお爺さんの十歳の孫がまだ行方不明でね……ここは立入禁止だと言っても入ってしまうんだ……追い出すのも辛くてね……」


駅員が声を絞り出すように説明する。


マークが静かに録画を回し続ける。高解像度のレンズが、爆風で焼け焦げた壁に残された「台湾加油」の落書きと、その横に広がる血痕を鮮明に捉えた。


 次に車が向かったのは、大規模な給水拠点となっている栄星ヨンソン花園だった。 公園の周囲を数千人の市民が取り囲み、泥のような列を作っていた。一月の凍てつく霧雨に打たれながら、人々は空のポリタンクやバケツを抱え、数時間後の「一滴の水」を待っている。


「……お婆さん、少しお話を聞かせてもらえますか?」  

雨婷が、列の端にいた老婦人にマイクを向けた。婦人は、渇きでひび割れた唇を震わせ、静かに言った。


「電気も水もない。でもね、一番辛いのは、外の世界で何が起きているか分からないこと。大陸の放送は『もうすぐ解放される』なんて言ってるけど、私たちは知ってるわ。自由を奪われることが、どんなに冷たいことか。……私は死んでも、赤い旗を振るつもりはないわ……あの人たちが、やっと手に入った自由を守ってくれると信じてるの……」


彼女が指差した先には、戒厳軍のCM-32「雲豹」装輪装甲車が立ち、その上には泥に汚れながらも誇り高く翻る青天白日満地紅旗があった。  その背後で、親中派の工作員が撒いたと思われる「降伏勧告」のビラが、泥水に浸かって踏みつけられていた。



途中の交差点。コンクリートのバリケードと土嚢で固められた検問所に、T91小銃を胸に抱いた一人の若い兵士が立っていた。NSBの車両が停まると、マークは助手席の窓から超高感度レンズを向けた。


「……あいつ、経済学部のチェンじゃないか?」


祐希が息を呑んだ。数週間前まで、キャンパスのカフェテリアでiPadを叩きながら株式投資のシミュレーションに熱中していたはずの青年が、今はサイズの合わない重い防弾チョッキに身を包み、泥に汚れたブーツでアスファルトを踏みしめている。


雨婷がマイクを忍ばせ、車を降りる。NSBの局員が周囲を警戒する中、彼女は「友人に一言だけ」と断って彼に近づいた。


「陳さん、怖くないの?」


雨婷の問いに、若き予備役兵は一瞬、硬い表情を崩した。彼は銃のストラップを握り直し、遠く曇天の海峡の方角を見つめた。


「怖いよ。でもね、昨日まで僕が分析していたのはチャートの数字だったけど、今守っているのは、その数字を自由に動かせる『世界』そのものなんだ。ここを突破されたら、僕たちの自由な市場も、未来も、ただのゴミになる」


マークがシャッターを切った。兵士のヘルメットの下に見える、まだ幼さの残る横顔と、その対極にある鋼鉄のような意志が素材に加わる。


車はさらに、歴史の影が色濃く残る萬華ワンホア地区の路地裏へと入った。断水と停電により、多くの飲食店がシャッターを下ろす中、一軒の古びた朝食屋の前に、小さな人だかりができていた。


店主の老人は、ガスが止まった厨房の代わりに、店先に持ち出した七輪で炭を熾し、慣れた手つきで焼餅を焼いていた。


「おじいさん、水も火もないのに、どうして店を開けているんですか?」


祐希が日本語で問いかけ、雨婷が通訳する。老人は、立ち上る灰色の煙を払いながら、歯の抜けた口元で笑った。


「大陸の連中は、我々を飢えさせれば膝を突くと思っているんだろう。だが、台湾人はしぶといよ。電気がなければ火を熾し、水がなければ雨を溜めるだけだ。腹が減っていては、自由のために戦う力も出ないだろう?」


彼は焼きたての餅を一つつかみ、祐希に差し出した。


「食べなさい、日本の若者よ。私たちが屈していないことを、君の国の家族に伝えてくれ。私たちは『管理』されるために生きているんじゃない、『生きる』ためにここにいるんだ」


マークは、赤く燃える炭火が老人の深い皺を照らし出す瞬間をスローモーションで捉えた。


最も過酷な現実は、病院の中にあった。 台北の医療の要である国立台湾大学医学院附設病院は、断水と電力不足により、戦場さながらの様相を呈していた。予備発電機は手術室とICUに優先され、廊下は懐中電灯の細い光だけが頼りだった。


「……先生、今の状況は?」  


祐希の問いに、防護服の上から血の滲んだガウンを羽織った医師が、充血した目で応えた。


「地獄ですよ。水がないから器具の洗浄もままならない。人工透析の患者も、ICUの赤ん坊も、あと数日で電気が切れれば……。でも、看護師も研修医も、誰も職場を離れません。私たちが逃げれば、この島は本当に終わるからです」


 マークは、非常用バッテリーに繋がれた僅かなモニターの明かりの中で、必死に患者の心音を聞く医師の横顔を動画に収めた。そこには、中国共産党のプロパガンダでは決して描かれない、台湾人の「土壇場の底力」と、静かな怒りが刻まれていた。


最後に向かったのは、台北最古の寺院、龍山ロンシャン寺だった。 電力が失われた境内は、月明かりと、市民たちが持ち寄った無数の赤い蝋燭の火だけで満たされていた。重厚な線香の煙が、闇の中に龍のようにうねっている。


そこには、戒厳令下の外出制限の間を縫って集まった、何百人もの市民がいた。誰もが声を出すことなく、ただ静かに手を合わせ、自分たちの国と、海峡の向こうで牙を剥く嵐が去ることを祈っていた。


「……音が、しないな」

マークが独り言のように呟いた。聞こえるのは、風が木々を揺らす音と、誰かが啜り泣く微かな声だけだ。雨婷は、祈りを捧げる若い女性の隣に跪き、録音機を向けた。


「何を祈っているのですか?」


女性は目を開け、涙を湛えた瞳で雨婷を見つめた。


「……負けないように。憎しみで自分が壊されないように。そして、明日もまた、自分の好きな歌を、好きな場所で歌える世界でありますように」


赤い蝋燭の火が、彼女の瞳の中で揺れていた。マークはその「光」を逃さなかった。 数千機の衛星、数万発のミサイル、巨大な空母打撃群。それらすべてを動員した国家の暴力が、この小さな蝋燭の火を灯す一人の女性の「願い」に勝てるのか。


「素材は揃ったわ」


雨婷が立ち上がり、二人を見つめた。


「あとは、この火を世界中に広げるだけね」


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