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T-DAY:台湾戦争  作者: 中央国家安全委員会主席
第4章 窒息

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203Y年2月5日 台北

203Y年2月5日

中華民国/台湾 台北市大安区 国立台湾大学

本来であれば、爆竹の音が響き、赤い春聯が街を彩る一年で最も華やかなはずの春節の中日。しかし、台北のは、暴力的な静寂と、冷たい霧雨に包まれていた。

国立台湾大学のキャンパスは、帰省した学生たちの不在と、出口のない閉塞感によって、巨大な廃墟のような趣を呈していた。椰子並木道には、数日前に降った雨が黒い水たまりを作り、ガジュマルの巨木が、重く湿った空気を吸い込んで低く喘いでいる。


「……二人とも、よく来てくれた」


社会科学院棟ライブラリーの軒下で、桜木祐希は、雨に濡れたコートの襟を立てながら、廖雨婷とマークを迎えた。


「寮に一人でいても、スマホの画面を見つめるだけで頭がおかしくなりそうだったの」


雨婷は、いつものポニーテールも少し乱れ、その瞳には隠しきれない疲労が滲んでいた。隣に立つマークは、愛用のカメラを回すこともなく、ただ硬い表情で自分のタブレットを胸に抱えていた。

ライブラリーのロビーに置かれたテレビの周囲には、休暇中も学内に残った僅かな学生や事務員たちが、吸い寄せられるように集まっていた。


「……静かだ。静かすぎる」


マークが呟いた。テレビ放送も、自分たちの携帯電話のアンテナも、奇妙なほど正常に機能している。しかし、その「正常さ」こそが、かえって彼らの不安を煽っていた。

モニターの中では、郭文耀総統が、総統府の重厚な執務室を背景に、カメラを真っ向から見据えていた。


『……国民諸君。わが中華民国台湾は今、一九四九年以来、最大の試練に直面している』


郭総統の声は、抑制されてはいるが、その奥に悲壮な決意を孕んでいた。


『中国共産党による不当かつ無法な海上封鎖、そしてわが国の主権を脅かす挑発の数々。これに対し、私は本日ただいまをもって、国家非常事態を宣言する。あわせて、憲法増修条文第二条第三項に依拠する緊急命令を発出し、エネルギー、食料、医療物資の供給すべてを政府の統制下に置くことを決定した。これは、わが国の命脈を繋ぎ止め、国家の主権と国民の生命そして自由を守護するための、苦渋の、しかし不可避の決断である……』


郭総統の声は、抑制されてはいるが、その奥に悲壮な決意を孕んでいた。しかし、その凛とした声をかき消すように、マークが震える手でタブレットを差し出した。


「……見てくれ。掲示板に流れてきた、ポーカー大統領の緊急会談の『スクープ』だ」


そこには、ホワイトハウスの会見室でニヤニヤ笑いを浮かべるポーカー米大統領の姿があった。


『先ほど周華平国家主席と電話会談を行い、台湾は歴史的に中国の一部であり、アメリカはこれ以上の不必要な介入を避けると伝えました。これは数千のアメリカ人の命を守る平和のための決断です。中国側も、わが国の製品に対し、新たに数兆ドルの市場開放を約束しました』

「嘘だろ……。これ、本当なら俺たちは完全に見捨てられたことになる」

「だけどちょっと待ってよ、この右横の星条旗の模様、なんか歪んでない?AI生成映像かもよ」


凍りつく祐希に、深呼吸して少し冷静さを取り戻した雨婷が言う。

そのとき、ロビーのテレビ画面が激しいノイズに包まれた。数秒の静寂の後、それまでとは全く異なる、洗練された、それでいて血の通わない極彩色のグラフィックが溢れ出した。


「な、何これ……電波ジャック?」


雨婷が息を呑んだ。どのチャンネルに切り替えても、そこには「平和への架け橋 両岸一家親」という文字と共に、穏やかな暖色のスーツに身を包んだ女性アンカーが座っている。その物腰は極めて丁寧で落ち着いたものだった。


「台湾同胞の皆さん、こんばんは。本日も、皆さんの安全と健やかな生活を願い、特別番組をお届けします」


その声は耳に心地よいほどに柔らかい。背後のスクリーンには、巨大な灰色の軍艦十数隻が、青い海の上を悠々と進むイメージが流れていく。


「皆さん、どうか安心してください。人民解放軍の措置は、あくまで平和を愛する皆さんを、一握りの台独分裂主義者や外国勢力から守るための人道的な『隔離』です。私たちは同じ血を分けた家族であり、家族が家族を傷つけることなど、あってはならないことです。現在、祖国政府は皆さんの生活を再建するため、具体的な支援策を準備しています。統一が実現したあかつきには、台湾に居住するすべての方に対し、お一人あたり五十万デジタル人民元の『新生活復興支援金』を、滞りなく、速やかに支給する予定です。これは、新しい時代を共に歩むための、ささやかなお祝いです」

「五十万元……? 」


学生の一人が、震える声で漏らした。しかし、番組のトーンは即座に冷ややかなネガティブキャンペーンへと転換した。


「ですが皆さん、悲しいことに、この平和を望まない者たちがいます。アメリカは自国の利益のために皆さんを盾にし、最後には皆さんを見捨てました。日本はかつての侵略の野心を隠して、皆さんの大切な海を汚しています。そして何より、皆さんのすぐ傍にいる『独立派』の過激な人々。彼らが無意味な抵抗を続けることで、皆さんの食卓からパンが消え、子供たちが怯えているのです。もし周囲に、独立を煽り立て、この隔離状態を長引かせようとする者がいましたら、専用のホットラインまでお知らせください。それは裏切りではなく、家族を守るための慈愛に満ちた決断です。通報された方のプライバシーは、わが軍が責任を持って厳重に守ります」


画面の下部には、不気味な青色のスクロールバーと共に、QRコードと「愛国通報番号」が絶え間なく表示され始めた。


「皆さん、私たちは家族です。共に温かい食卓を囲む日は、もうすぐそこまで来ています。無意味な抵抗は、愛する人を傷つけるだけです。どうか賢明な選択を――」


アンカーが優雅に微笑み、さらなる毒を紡ごうとしたその時だった。

プツン……。

何の前触れもなく、テレビの画面が吸い込まれるように黒い一点に収束し、消えた。寮全体の電力が落ちたわけではない。廊下の非常灯は点いている。


「……切ったんだ。放送局の電源か、あるいは送信所を台湾側が物理的に遮断したんだな」


祐希が低く呟いた。

テレビの画面が黒い虚無に呑み込まれた直後、ロビーを支配したのは耳が痛くなるような静寂だった。しかし、その静寂は長くは続かなかった。学生たちの手元にあるスマートフォンが一斉に、まるで何かの断末魔のような通知音を立て始めたからだ。


「……嘘よ、まだ続いてる。ネットの中じゃ、あのアンカーの声がまだ響いてるわ」


雨婷が震える指で画面をスクロールする。そこには、先ほどのCCTVの番組と連動した「台独分裂主義過激分子通報受理平台」へのリンクが、凄まじい勢いで拡散されていた。


『今この瞬間も、あなたが飢えているのは一部の台独分子が大陸同胞の慈悲を拒んでいるからです。家族を救いたいなら、隣に潜む過激派の座標をこのプラットフォームへ。人民解放軍による解放こそが、我々に残された唯一の出口です』

『通報は正義。受理された情報は直ちに軍へ共有され、その地域の隔離解除が優先されます。今すぐ行動を!』


そんな書き込みが、一分間に数千件のペースでタイムラインを埋め尽くしていく。投稿者のプロフィールはどれも普通の台北市民を装っているが、検証は不可能だった。


「祐希、これを見て。台南の状況が……」


マークが提示したタブレットには、あえて画質を落とした凄惨な写真が表示されていた。


『台南、戒厳軍によるロックダウン開始。病院に押し寄せた患者と家族を、台湾軍の兵士たちが大量射殺。遺体は広場に積み上げられている。政府はこの虐殺を隠蔽するために通信を絞っている』

「……そんなはずない。さっきまで連絡が取れてたのよ。でも、今はもう誰とも繋がらない。既読にさえならないの! もし、もしこれが本当だったら、私たちは誰を信じればいいの?」


雨婷の声が悲鳴に近くなる。周囲の学生たちも、スマートフォンに映し出される「地獄」の断片に顔を青ざめさせていた。彼らは台湾の最高学府で学ぶエリートであり、これが情報戦であることは頭では理解している。しかし、外部との連絡が物理的に断たれ、身近な人間の安全が確認できない極限状態において、その知性は容易に恐怖に塗り替えられていく。


「……決定的なのが来たぞ」


マークが絶望的な顔で画面を指差した。それは、暗視カメラで撮影されたような緑がかった粗い映像だった。


『速報:郭総統、国民を見捨てて逃亡。三十分ほど前、米国在台協会の関係者と共に台北松山空港から米軍のC-130輸送機に乗り込み、嘉手納基地へ向けて離陸。逃走の様子を捉えた。今の放送はやはり録画による偽装だった』

「松山からC-130が……? でも、空域は中国軍が封鎖しているはずだろう?」

「低空飛行で抜けた、あるいは裏取引があったと書かれている。見てくれ、この『逃亡機』を見上げる市民たちの怒号を。これ、本物の松山空港の裏手だぞ」


祐希は唇を噛み締めた。画面の中では、確かに軍用機のシルエットが台北の夜空へ吸い込まれていき、それを見送る人々が「裏切り者!」「自分たちだけ助かるのか!」と絶叫していた。


「……ねえ、これ本当に台湾人が書いてるの?」


一人の学生が、消え入りそうな声で呟いた。


「アカウントは台湾の番号で認証されてる。でも、言葉の端々に違和感がある。でも……もし本物のパニックだとしたら? みんなが本当にそう信じ始めていたら? 誰も否定しないなら、それはもう『真実』になっちゃうじゃない!」


ロビーのあちこちから、すすり泣きや、やり場のない怒りの声が上がり始めた。


「もう無理だ、北京の言う通りにしよう。五十万元もらえるなら、それでいいじゃないか。戦って死ぬよりはマシだ」

「誰が独立派だ? あの教授か? あいつのせいで俺たちが殺されるのか?」


電波ジャックによって植え付けられた「柔らかい毒」は、ネットという名の増幅器を通じて、瞬く間に疑心暗鬼の猛毒へと変質していた。大陸地区からの工作員なのか、あるいは正気を失った本物の市民なのか。もはや誰が味方で誰が敵かも分からない。

祐希は、スマートフォンの電源を力任せに切った。


「……見ちゃダメだ。これは俺たちの心を壊すための兵器なんだ」


しかし、外では祝祭を失った台北の街に、冷たい雨が依然として降り続いていた。社会を繋ぎ止めていた信頼という名の糸が、目に見えない無数のデジタルの刃によって、今、完膚なきまでに断ち切られようとしていた。


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