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T-DAY:台湾戦争  作者: 中央国家安全委員会主席
第2章 封鎖

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203Y年2月4日 台北


203Y年2月4日 14時15分

中華民国/台湾・台北市松山区 台北松山空港

台北市街地の中心に位置する松山空港は、かつてない阿鼻叫喚の渦に包まれていた。相当数の在留外国人は、ここ数カ月の政情不安や軍事的緊張を受けて徐々に帰国しており、観光客も激減はしていたが、それでもまだ数万人が台湾島内に取り残されているのだ。

北京の外交部報道官が「台湾省全域の閉鎖」を宣言してから、わずか十分足らず。ターミナルビルの出発ロビーを埋め尽くしていた帰省客や観光客の波は、絶望と怒りを孕んだ巨大な塊となって、すでに閉鎖されたチェックインカウンターの自動ドアへと押し寄せている。


「なぜ飛べないんだ! 俺たちはチケットを持っているんだぞ!」

「子供がいるんです! このままここに閉じ込めるつもりか!」


多言語の怒号が吹き抜けの天井に反響し、数少ない空港職員は憲兵と警察官の警備網の後ろで、顔面を蒼白にして謝罪を繰り返すことしかできない。電光掲示板の「出発(DEPARTURES)」欄は、まるで見えない血を流すように、一斉に赤く「欠航(CANCELLED)」の文字で埋め尽くされていった。

その混乱のさなか、一本の滑走路の端では、一機の旅客機が文字通り「最後の脱出」を試みようとしていた。日本の大手民間航空会社のボーイング787、羽田行きのJL8XX便である。

機内は、奇跡的に搭乗を終えた日本人客たちの、安堵と、窓の外の異常な風景に対する不安が入り混じった、重苦しい沈黙に支配されていた。


「……当機は、これより離陸いたします。皆様、座席ベルトを今一度ご確認ください」


機長の放送は、プロとしての冷静さを保とうとしていたが、その声は僅かに震えていた。管制塔からは「自己責任による離陸(Departure at your own risk)」という、平時ではあり得ない指示が下されていた。滑走路の脇には、スクランブル待機についていた台湾空軍のF-16Vが、アフターバーナーの炎を揺らめかせながら、不気味な沈黙を守っている。

エンジンが咆哮を上げ、機体は雨に濡れた滑走路を蹴った。

機体は急角度で上昇を開始し、眼下に台北の摩天楼と、霧に煙る陽明山の深い緑が遠ざかっていく。乗客の多くは、これで助かったと、シートに深く背中を預けた。

しかし、その安堵は、わずか数分で砕け散ることになる。


高度一万フィート。

機体は台北の北端、陽明山の主峰を越え、冬の荒れ狂う東シナ海の上空へと達した。

ここから北へ向け、台湾の領空ラインである沿岸十二海里(約二十二キロメートル)を越えれば、国際空域へと抜けるはずだった。

コックピットの機長は、気象レーダーではない、別の「輝点」を捉えていた。空中衝突防止装置《T C A S》の画面上に、猛烈な速度で接近してくる二つの影が映し出される。


「……来たか」


副操縦士が、乾いた声で呟いた。

雲を割り、突然姿を現したのは、所属標章を隠すようにマットグレーの低視認塗装を施された中国人民解放軍空軍の戦闘機、殲《J》-16の編隊だった。

彼らは民間機のわずか数十メートル横という、異常な至近距離まで肉薄した。窓の外に張り付いた巨大な軍用機の影に、機内の乗客たちが悲鳴を上げる。翼の下には、白く光る空対空ミサイルがその牙を剥き出しにしていた。

緊急用の国際無線周波数から、冷徹な英語の警告が響き渡った。


『Attention, aircraft at position north of Taipei. This is People's Liberation Army Air Force. You are crossing the Quarantine Line without authorization. Turn back immediately to Taipei Songshan Airport.』

「こちらJL8XX便。我々は国際航空路に従い、羽田空港へ向かう民間機である。進路を妨害しないでいただきたい」


機長が英語で応じるが、返ってきたのは対話ではなく、物理的な暴力だった。

先頭のJ-16が、旅客機の機首のすぐ前方で急旋回し、猛烈な後方乱気流を浴びせかけたのだ。


「うわっ!」

「きゃああっ!」


巨大な旅客機の機体が、まるで木の葉のように激しく揺さぶられる。客室では荷物棚から鞄が飛び出し、悲鳴が渦巻いた。

続いて、もう一機のJ-16が旅客機の側面に並び、コックピットの機長を威嚇するように、主翼を小刻みに振った。パイロットのヘルメット越しに見える無機質なバイザーが、こちらを射抜いている。


『Repeat. Turn back immediately, or you will be intercepted as a biological threat. You have ten seconds to comply.』


J-16の機首が、旅客機のエンジン付近へと吸い寄せられるように近づく。衝突を避けるためには、引き返す以外の選択肢は残されていなかった。


「……こちらJL8XX。指示に従い、台北へ戻る」


機長は苦渋の決断を下し、操縦桿を大きく倒した。

機体は東シナ海の水平線を斜めに見ながら、深い旋回を開始した。窓の外では、J-16が獲物を追い詰める猟犬のように、旅客機の尻尾に張り付いたまま離れようとしない。

日本への路は閉ざされた。


同じ頃、世界の空の地図は、まるで巨大なインクをこぼしたかのように黒く塗り潰されつつあった。

航空機追跡サイト「フライトレーダー24」の画面上では、異常な光景が展開されていた。

ロサンゼルスから、サンフランシスコから、そして成田や羽田、仁川から台北や高雄、その他台湾領土内の空港へ向かっていた百機以上の航空機が、一斉に不自然な曲線を描き、引き返し始めたのだ。

台北桃園国際空港への着陸を目前にしていた航空機たちは、空中に展開した中国人民解放軍機の威嚇により、行き場を失った迷子のように空を彷徨った。


「燃料が足りない! 高雄へ向かわせてくれ!」

「許可できない。高雄も閉鎖区域内だ。沖縄、あるいはマニラへ向かえ」


台北飛行情報区、福岡飛行情報区の航空交通管制施設には、台湾へ入れなくなった航空機からの緊急着陸要請が殺到し、パンク状態に陥っていた。

ただでさえ与那国島の海域に「琉球共和国」が展開した対空ミサイルの脅威により、航空機は台湾東方を大きく迂回することを余儀なくされ、燃料不足を訴える機体が続出している。


台北の街を見下ろす陽明山の麓。

国立台湾大学のキャンパスから、空を見上げていた桜木祐希は、再び低空を通過していく旅客機のエンジン音を聞いた。

しかし、その音は上昇していく力強さを失い、どこか絶望に打ちひしがれたような、重苦しい響きを伴って台北の街へと沈んでいった。


「……落ちなかった。でも、戻ってきちゃった」


隣でスマートフォンを握りしめていた雨婷が、震える声で言った。彼女の画面には、松山空港へ引き返してくる旅客機のライブ映像が映し出されていた。

一度は希望を抱いて飛び立った人々が、再び「隔離された島」という檻の中へと押し戻される。

台湾という名の、二千三百万人が閉じ込められた巨大な密室。

その壁は、目に見えない「防疫」という大義名分と、目に見える「軍事力」という暴力によって、一分一秒ごとに厚さを増していた。

社会が融解し、混沌が島を飲み込もうとしている。

逃げ場を失った二月の台北に、冷たい雨が降り続いていた。

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