203Y年2月3日 与那国
【タイトル】
203Y年2月3日 与那国
与那国空港
高度数千メートルから、雨雲を切り裂いて降下してくる巨大な影――米国へ精密機器を輸送するインドの民間機、として国土交通省福岡航空交通管制部にこの時間の飛行計画を提出していた、ロシア製の超大型輸送機、アントノフ124「ルスラーン」だ。機体には実在する民間貨物航空会社の塗装が施されていたが、そのコックピットでは最新の合成視覚システムが、灯火の消えた闇に沈む与那国空港の滑走路を、赤外線と地理データによって鮮明に描き出していた。
「接地まで十秒。――逆噴射用意」
耳を劈くような四基の巨大な転換式ターボファンエンジンの咆哮が、静まり返った島の空気を暴力的に震わせた。本来、二千メートル級の滑走路では運用不可能な巨体だが、燃料を極限まで絞り込み、特殊な高揚力装置を駆使した決死の強行着陸だった。
タイヤがアスファルトを削り、凄まじい摩擦音とともに白煙を上げる。ルスラーンの巨躯は、機体重量を力技でねじ伏せるようにして、滑走路の端からわずか数メートルの地点で停止した。
完全停止とほぼ同時に、機首のノーズカーゴドアが、重々しい金属音を立てて上方へと跳ね上がる。そこから溢れ出したのは、予定されていた積荷のコンテナではなく、最新の暗視装備と自動小銃を携えた「兵士」の集団だった。その数、およそ四百五十名。
「動くな! 全員その場に伏せろ! 抵抗すれば射殺する!」
暗闇のターミナルビルに、怒声が響き渡った。空港に残っていた数少ない職員や、増援として待機していた数名の警察官たちが何よりも驚愕したのは、その警告が完璧な、極めて自然なアクセントの「日本語」だったことだ。
「な、なんだ、お前たちは……自衛隊なのか!?」
震える声で問いかけた空港職員の胸元に、一筋の赤いレーザーサイトが落ちる。
「黙っていろ。命が惜しければ指示に従え」
国籍不明、しかし日本語を自在に操る武装集団は、訓練された無駄のない動きで空港関係者と警察官を次々と拘束し、プラスチック製の結束バンドで手首を冷酷に締め上げていった。わずか数分のうちに、日本最西端の空の玄関口は、宣戦布告なき侵略者の強固な橋頭堡へと変貌した。
空港を完全に制圧した部隊の約半数は、現地協力者が事前に手配していたと思しき軽トラックや、空港内に残されていた車両を徴発し、即座に南へと動き出した。目指すは島の反対側に位置する比川地区、そして南西の久部良地区だ。
比川集落の静かな夜。
数日前から「土木工事の作業員」や「観光客」として民宿に滞在していた男たちが、深夜の静寂の中で一斉に蜂起した。彼らは隠し持っていたアタッシュケースや二重底のボストンバッグから、中国兵器装備集団公司製の「〇五式衝鋒槍(消音短機関銃)」や軍用無線機を取り出した。
比川地区の共同売店付近。
「……黒龍1より黒龍全隊、主作戦開始。フェーズ二へ移行せよ」
一人の男が短く告げると、潜伏していた工作員たちが音もなく霧の中へと溶け込んでいった。彼らにとって、島の詳細な地理はすでに頭の中に叩き込まれている。一班は比川駐在所へ、一班は比川小学校跡地の重要設備へと、その触手を伸ばしていく。
「機動隊の者です! 緊急事態です!」
駐在所のドアを叩く緊迫した声に、不審に思った警察官が中から鍵を開けた瞬間、サプレッサーを装着した銃弾が彼の肩を無慈悲に貫いた。
「なっ……」
呻き声を上げる警察官を、男たちは熟練の手つきで組み伏せ、瞬時にさるぐつわを噛ませる。
久部良地区でも、同様の事態が同時並行で進行していた。与那国町役場の支所、久部良港の船舶通信設備、そして島の生命線である電源インフラ。昨日まで「気のいい飲み仲間」として地元民と泡盛を酌み交わしていたはずの季節労働者が、今は冷徹なプロの工作員として、公共施設を次々と手中に収めていく。
「役場支所、確保」
「久部良港、制圧完了」
海底ケーブルの切断と電波塔の破壊、さらに強力な通信妨害によって日本本土との連絡を完全に絶たれた島民たちは、家のすぐ外で何が起きているのかすら知る由もない。ただ、窓の外を通り過ぎる不気味な軍靴の足音と、闇の中で明滅する赤いレーザー光だけが、与那国島がすでに「日本の統治」から切り離されたことを静かに告げていた。
空港から南下する主力部隊の車列が、比川の入り口に差し掛かった。待ち受けていた潜伏部隊と合流し、彼らは手際よく検問所を設置していった。
与那国町 久部良港
日本最西端の海の玄関口、久部良港。
冬の東シナ海から吹き付ける烈風が、岸壁に打ち寄せる波を白く泡立て、潮騒の重低音が深夜の静寂を支配していた。情報の動脈を完膚なきまでに断たれ、警察戦力も壊滅したこの島で、久部良の住民たちは、窓の外で進行している「日常の終焉」にまだ気づく由もなかった。
港の闇を切り裂くように、一隻の無骨な大型貨物船が、タグボートの助けも借りず、確かな操船技術で岸壁へと接岸を開始した。船体には「天祐8号」と記されている。数時間前に海底ケーブルを切断した龍豊号とは異なる、重機や車両の輸送に特化した車両運搬《R O - R O》船だ。
岸壁では、先行して潜入し、港湾設備を完全に制圧していた武装集団の構成員たちが、赤外線シグナルライトを振り、獲物を招き入れるように待ち構えていた。接岸と同時に、船首の巨大なランプドアが重々しい金属音を立てて岸壁に降りる。そのランプドアの奥、船倉の闇から、地響きのようなディーゼルエンジンの野太い咆哮が漏れ出してきた。
最初に姿を現したのは、八輪の巨大なタイヤを持つ「〇八式歩兵戦闘車」だった。続いて、キャタピラがアスファルトを削り取る不快な破砕音を響かせ、「〇五式水陸両用歩兵戦闘車」が次々と上陸を開始する。
日本周辺でこれらの車両を実戦配備しているのは、中国人民解放軍以外に存在しない。本来ならばその砲塔や車体側面には、「八一」と書かれた紅い星の標章が誇らしげに描かれているはずだった。しかし、目の前の車両群は、粗い刷毛で急ぎ塗り潰されたようなマットグレーのペンキで覆われ、所属を証明する一切の記録が抹消されていた。標章なき「ゴースト」の軍隊が、ついに日本の領土を蹂躙し始めたのだ。
重さ二十トンを超える装甲車両が、久部良地区の狭隘な路地を家々ごと揺らしながら進む。三〇ミリ機関砲の長い砲身が、獲物を探す猛禽の嘴のように左右に振れ、闇に沈む民家を無言で威圧する。上陸したのは車両だけではない。後続するトラックの荷台からは、最新の暗視スコープと防弾装具に身を固めた武装集団が音もなく飛び降り、路肩の影へと迅速に展開していった。
彼らの目的は明確だった。島の西側の高台に位置し、日本防衛の「目」として機能してきた――陸上自衛隊与那国駐屯地だ。
沿岸監視隊の隊員たちが、途絶した通信の復旧を試み、島内で上がった不審な火柱の正体を突き止めようと、極限の緊張下で駐屯地に立てこもる中、目に見えない包囲網は着実かつ冷酷に完成へと近づいていた。
〇八式歩兵戦闘車の列は、久部良から駐屯地へと続く一本道を北上し、正面ゲートからわずか数百メートルの地点で停止。三〇ミリ機関砲の照準を、駐屯地の監視塔と庁舎の窓へと固定した。同時に、〇五式水陸両用戦闘車の一隊が、駐屯地の背後に広がる牧草地を大きく迂回し、西側の外周フェンスを完全に取り囲んだ。
「……目標、与那国駐屯地。包囲完了。突入準備」
無機質な無線音声が、遮断された電波帯域の隙間を縫って工作員たちの耳に届く。
ゲートの影、あるいは茂みの中。無数の銃口が、眠りから覚めようとする駐屯地の灯火を正確に捉えていた。通信を失い、外部からの「行動命令」という法的盾を持たない自衛隊員たちは、自分たちを包囲しているのが正規の「軍隊」なのか、あるいは正体不明の「テロリスト」なのかも判別できぬまま、決断を迫られていた。




