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T-DAY:台湾戦争  作者: 中央国家安全委員会主席
第1章 融解

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203Y年1月 宮古島/那覇/与那国/石垣


日本・沖縄県宮古島市 

宮古島の北西に位置する「佐和田の浜」。 東シナ海から吹き付ける荒々しい北風が、巨岩が点在する遠浅の海岸を鳴らしていた。夜明け前の冷たい月光が、かつての大津波で運ばれたという「津波石」の影を不気味に長く伸ばしている。 防犯ボランティアとして早朝のパトロールを日課にしている地元の漁師、真栄里は、波打ち際の砂地を見て思わず足を止めた。

そこには、潮が引いたばかりの湿った砂の上に、幾つもの「足跡」が刻まれていた。 明らかに島民が履くサンダルやスニーカーの類ではない、深く規則的な溝が刻まれたブーツの靴底の紋様だ。


「……なんだ、これは」


真栄里は腰を屈め、懐中電灯の細い光を当てた。足跡は波打ち際から始まり、海岸沿いの鬱蒼とした防風林へと続いている。歩幅は等間隔で、かなりの重量物を背負っているのか、砂が深く抉られていた。 そして、その足跡のすぐ傍には、海水に濡れて黒ずんだ数本の植物繊維と、見たこともない形状のプラスチック製留め具が落ちていた。


同じ頃、石垣島の川平湾に近い茂みでも、散歩中の住民が異様な光景を目撃していた。 「全身黒ずくめの、一言も言葉を発しない数人の男たち」が、道路を横切って瞬く間に山林へ消えていったというのだ。


さらに日本の最西端、与那国島。 久部良集落の裏手にある墓地近くでも、深夜に正体不明の手漕ぎ舟が接岸し、複数の人影が上陸したという通報が入る。 警察官がわずか2名(八重山警察署管内の与那国駐在所および久部良駐在所に各1名ずつ勤務)しか常駐していないこの孤島で、その通報は静かな、しかし致命的な波紋を広げようとしていた。

散らばっていた点と点が、巨大な悪意によって線で結ばれようとしていた。


沖縄県那覇市 沖縄県警察本部

警備部外事課の執務室は、鋭い緊張と高揚が入り混じった空気に支配されていた。


警察庁(サッチョウ)を通して防衛省情報本部に照会したところ、各地で採取された靴底の紋様から推測されるブーツは、中国人民解放軍の特殊作戦部隊が制式採用しているものと酷似しています!」


アジア担当係の警部補が、大型モニターに各地の駐在所やボランティアから送られてきた写真を次々と映し出した。 外事課長は、腕を組み、険しい表情でそれを見つめている。


「海保の目を盗み、この荒天の中で複数の島へ同時に上陸したというのか……有事への『事前浸透』と見るのが妥当だな。関係諸機関には通報済みか」

「管内全署の警備課にも警戒を指示しました。海保、陸上自衛隊にも通報済みです」

「よし、本部課員を早急に先島三島へ派遣しろ。任務は不法上陸者の一刻も早い発見、検挙だ! 必要なら躊躇わず相手の急所を撃て。予備の実包(実弾)も十分に携行させろ。責任は俺がとる。相手は軍人だろう。油断すればこちらが殺られるぞ。くれぐれも受傷事故なきよう」


数時間後、那覇空港の一般搭乗口には、登山用リュックを背負い、アウトドアウェアに身を包んだ、目立たない数人の男女の姿があった。 その表情に旅行者の高揚感はなく、ただ鋭い視線だけが、これから向かう「最前線の島」を捉えていた。


沖縄県八重山郡与那国町 

日本最西端の地には、異様な光景が広がっていた。 台湾海峡での軍事的緊張が高まり、島に駐屯する陸上自衛隊西部方面情報隊・与那国沿岸監視隊も部内の警戒レベルを大幅に引き上げたにもかかわらず、島の「比川共同売店」前には観光バスが横付けされている。

バスから降りてきたのは、数十人の中国人団体観光客だ。彼らは大陸の旅行会社が主催する「台湾・沖縄離島縦断クルーズ」の客だという。


「……あんなに騒がしく写真を撮らんでもいいだろうに」


店先で煙草を燻らしていた地元の老人が、眉を顰めて彼らを眺めていた。 観光客たちは、普段なら見向きもしないような島の何気ない風景を熱心に撮影している。しかし、そのレンズが向けられている先は、風光明媚な海岸線だけではなかった。

集団の一部、高価な望遠レンズを装着したフルサイズ一眼カメラを構える数人の男女が、牧場の牛にレンズを向けるふりをしながら、その背後にそびえ立つ陸上自衛隊与那国駐屯地のレーダードームを、執拗に連写していた。

彼らは住民と目が合うと、すぐに愛想笑いを浮かべてカメラを下げ、流暢な英語や、あるいは片言の日本語で、景色の美しさを賞賛する。


「おじい、この島はもうすぐ戦場になるって本当か?」


一人の若い男が、老人にスマートフォンの画面を突きつけた。そこには、SNS上で爆発的に拡散されている動画があった。


『自衛隊、先島諸島で住民を強制排除。抗議する女性を拘束』

『日米軍、沖縄を再び「捨て石」にする秘密計画を策定』


動画の中で、迷彩服を着た男たちが住民を怒鳴りつけ、銃を向けている。背景にあるのは、紛れもなくこの与那国島の駐屯地正門によく似た風景だ。 しかし、真実を知る島民から見れば、それは巧妙に合成された「ディープフェイク」であることは明らかだった。だが、動画の下には、世界中の言語で日本政府と自衛隊を非難するコメントが数万件も書き込まれている。


「何言ってるんだ、自衛隊の人らはいつも親切だし、祭りの手伝いもしてくれる。こんなことは起きてないさ」


老人が一蹴すると、男は無表情なまま「そうですか」とだけ答え、再びレーダードームへとカメラを向けた。


沖縄県石垣市

石垣島の公営住宅の一室。主婦の美香は、夕食の準備をしながらスマートフォンの通知音に急かされていた。 地元のLINEグループやSNSには、不安を煽る書き込みが秒刻みで溢れ、止まることを知らない。


『【緊急拡散】与那国島で自衛隊が島民を盾にして中国を挑発中。石垣島も標的になる。今のうちに島を出るべき!』

『那覇空港が閉鎖されたのは、米軍が核兵器を持ち込んだからだという噂』

『自衛隊員による島内での暴行事件、県警が隠蔽か』

『台湾上空の無人機は米軍の自作自演! ポーカー大統領は中国人を殺し合わせて大笑い!』

「……ねえ、本当なの? テレビのニュースでは何も言ってないけど」


美香は、居間でテレビゲームをしていた中学生の息子に問いかけた。息子は画面から目を離さず、吐き捨てるように言った。


「ネットではみんな言ってるよ。テレビは政府に規制されてるんだって。宮古島ではもう戦闘が始まったって動画も上がってるし、学校でもみんな怖がってる」


美香は震える手で画面をスクロールした。 そこには、馴染みのある川平湾が火の海に包まれ、真っ黒なステルス戦闘機が飛来するコラージュ画像が、あたかも「未来の予言」のように表示されていた。

窓の外、石垣の街はいつも通り穏やかに見える。だが、手の中のデバイスから溢れ出す悪意ある情報は、人々の心から「日常」という防壁を、一歩ずつ確実に、そして冷酷に削り取っていた。 目に見える戦火はまだ上がっていない。しかし、住民たちの心の中では、すでに宣戦布告なき「認知戦」の第一撃が着弾していた。


日本政府の安全保障・危機管理当局は当然ながら、刻一刻と深刻化する事態に極めて深刻な危機感を覚えていた。

防衛省は、「ボウケイ」ーー防衛警備計画、自衛隊の日本有事における作戦計画であり、内容は「特定秘密」に指定され厳しい保全措置がとられているーーに基づく事前配備実施の検討を速やかに開始した。

演習名目で、宮古島に熊本県北熊本駐屯地の陸上自衛隊第八師団第四十二即応機動連隊、石垣島に北海道名寄駐屯地の第二師団第三即応機動連隊、与那国島に香川県善通寺駐屯地の第十四旅団第十五即応機動連隊それぞれを航空・海上輸送で送り込み、平素から各島に駐屯する警備隊と連携して、中国人民解放軍の着上陸侵攻に対する強力な抑止・対処態勢を整えようというのである。

結論から言えば、防衛省のアイデアは実現しなかった。

この数カ月続くスキャンダル報道やSNS上での反政権インフルエンサーたちの活躍によって、民自党・高城沙奈子内閣の支持率は低下の一途を辿っており、民自党内でもこの数年封じ込められていた反主流派が再び息を吹き返し、政権基盤は弱体化していた。

そこへ、何者かによるSNS上の一大キャンペーンと、実際に米海兵隊普天間基地近くで発生した未解決の連続婦女暴行殺人事件の影響で、特に沖縄県の反米軍・反戦感情は十数年ぶりの高まりを見せている。

沖縄県の玉川ジョニー知事は、中国との軍事的緊張をいたずらに高め、県民生活にも制約や損失を加える軍事行動は容認できず、自衛隊や米軍の沖縄県内へのいかなる追加配備や作戦行動にも沖縄県庁は協力しない、と記者団に向かって発言し、自衛隊員たちを歯ぎしりさせた。

沖縄本島や石垣島の港湾労働組合指導部も、いかなる戦争準備にも協力しないという声明を一方的に表明しており、自衛隊の事前展開に必要な海上輸送もままならないおそれがあった。

ただでさえこの数日間、九州・沖縄県各地の港湾では、荷揚げクレーンやコンテナ追跡システムに原因不明のシステム障害が相次いでおり、鹿児島港や沖縄・金武湾港では、ランサムウェア感染によって、港湾管理システムそのものが完全な機能麻痺に陥っていたのである。

よって、東部戦区で着上陸侵攻作戦準備を整える中国人民解放軍の最低2個集団軍、数万人が万が一台湾から転じて先島諸島に刃を向けた際の守りは、戦闘ではなく海上監視が本来任務である西部方面情報隊与那国沿岸監視隊百五十人、わずか一個普通科中隊を基幹とする第十五師団八重山警備隊、宮古警備隊と、石垣・宮古島の独立地対艦ミサイル中隊及び高射中隊、各島五百人程度という平時の兵力のみに委ねられることになった。

一方、警察庁は、自衛隊という外見上明らかな軍事組織よりも政治的制約がかなり僅少であり、動く余地はあった。

尖閣諸島に最も近い有人島である石垣島と、沖縄本島と先島諸島を隔てるチョークポイントの宮古海峡を抑える宮古島の場合は、自動小銃を装備し野外戦闘の訓練を受けた沖縄県警察警備部国境離島警備隊、計百五十一名が、ヘリコプター輸送で石垣空港及び下地島空港(宮古島市)に分散して前進配備された。

台湾からわずか百十キロの与那国島には、沖縄県警察と増援の福岡県警察の隊員によって構成される機動隊の一個中隊七十名が、チャーター機で与那国空港へ前進配備された。与那国に配備された機動隊には、MP5機関拳銃を装備した銃器対策部隊員も含まれる。

ただし、警察官はあくまで警察官である。軽武装の工作員やテロリストをなんとか検挙することはできても、中国人民解放軍の正規軍が大挙上陸すれば勿論、各島へ事前に搬潜入した武装工作員・特殊作戦部隊相手ですら、相手の装備や人数によっては瞬殺されかねない。

迫りくる危機のスケールと烈度に対し、このとき日本国土の南西端でとられた備えはあまりに規模が小さく、貧弱だったというのが客観的な評価であろう。

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