新・私のエッセイ~ 第277弾:夏目漱石先生の『こころ』に思う・パート3
・・・この長い小説について書くのは、
これで三度目である。
高校の現代文の教科書の定番なので・・・
誰しも、
一度は読んだ経験がおありのことと思う。
ぼくも、高校2年のときに、
はじめて教科書で読んで、
かなりの「衝撃」を受けたものだ。
・・・『K氏の自殺』という事件にね。
ともすればこの作品は、
その一点のみに意識や着眼点が集中・収束してしまい、
物語全体を読むことがおろそかになり・・・
『1本1本の木を見ることも大切だが、森全体も見よ!』
『個別の、強烈極まりない事件ばかりを、注視・注目するな!!』
・・・と、
作者である漱石先生に、
厳しく叱責されかねない事態である。
だいたいにおいて、
『なぜ、K氏は死んだのか?』についての議論・推測・推理・憶測・審議・判定等々が、むなしく「ひとり歩き」し・・・
空中で、ステレオタイプの「共通の話題」として飛び交い、
読書感想文や書評のカタチでもって、
文字・文章が紙やデジタル媒体へと刻まれ、
「記録」されつづけてきた。
・・・ぼくにとってそれは、
あまり重要ではない。
物語の『中核』『核心部分のひとつ』ではあっても、
ぼくを魅了・刺激しはしないのだ。
この小説において、ぼくがこよなく愛しているのは・・・
物語全体に流れる、
おだやかで、
しずかで、
知的で、
しめやかな空気感・・・
そして、『この物語特有の世界観』なのだ。
『春のにぎわい』や、
『夏の喧騒』ではない。
木々が枯れ、
落ち葉が木枯らしに舞う晩秋や初冬のさなか・・・
雑司ヶ谷墓地で、
亡き友をしのぶ、
『先生』の暗いたたずまい、
『私と先生』の、おだやかで親密だが、
どこか「不思議で奇妙な」関係。
・・・流れゆく日々。
それらが、
たまらなく好きだ。
心が落ち着く。
『先生の奥さん』も『K氏』も、
ぼくの心・・・魂をゆさぶることはできなかった。
K氏のあとを追うようにして、
冥府へと旅立っていった『先生』・・・
その遺志をたくされた『私』。
先生が生前、ずっと孤独に背負い続けていた『罪業』『罪の意識』『重い十字架』を知ってもなお、
『私』の、
先生への思いや尊敬の心は、
いっさい変わることはなかった。
・・・亡くなった先生を軽蔑することも。
作品全体に満ちているのは、
『私』からの、
亡き先生に対する・・・
『愛のこころ』なのかもしれない。
・・・そしてぼくは思う。
受け取った、先生から『私』への『最後のメッセージ』を読んで、
先生のもとへ駆けつけた、
『私』の悲しみを。
・・・喪失感を。
先生の葬儀が済み、
ただ涙と悲しみにくれる奥さんをなぐさめ、
励まし・・・
思い出すごとに『私』自身も涙し、
やがて青年の『私』は、
先生と同い年になる。
先生よりも年上になる。
・・・結婚し、
子供もできたのかもしれない。
『先生の奥さん』も亡くなり、
世に、
『先生の遺志』を解き放つ時期・・・タイミングがやってくる。
・・・ようやくやってくる。
「妻が生きている限りは、この手紙を世に出してはくれるな」という、
男と男の約束を誠実に、
固く守り・・・
ひたすら封印し続けてきた『先生の遺書』を、
こうして、
後世のぼくたちの前に、公開するときがきたのだ。
・・・先生を回想する『私』のまなざしは、
おだやかでやわらかく、
そしてまた・・・
あたたかい。
ぼくは、
そんなふたりの関係が、
とてもうらやましい・・・。
年を取っても、
こうしてまぶたを閉じると、ありありと浮かんでくる・・・
その人の記憶を呼び起こすたびに、
つい、
『先生』と呼びたくなる・・・
そんなすばらしい、
『人生の師』が、
ぼくも、ほしかった・・・。
m(_ _)m




