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「本当にあったかもしれない」部分

はじめに。今回の話、おそらく「怖く」ない(だから番外編)。こんなのシリーズに入れていいものかどうか迷ったのだが、一応ホラー仕立ての話だし、「2段落ち」の話だとどうしても陰惨で気の滅入る話ばかりになる。たまには毛色の変わった話が合ってもいいかと入れてみた。

 今年――すなわち2025年の初夏のことである。

 大阪は、万博で沸いていた。

 開催前は、やれ予算超過だの、パビリオン建設の遅れがどうだの、好き勝手に批判していたメディアも、開催当日となった途端、くるりと手のひら返し。どのパビリオンが人気だとか、食べてみるべき食事はこれだとか、必見なのはこのショーだとか、連日その楽しさ、おもしろさをこれでもかと放送したこともあって、訪問者数はうなぎ登り。会社の雑談でも井戸端会議でも「もう行った」「いつ行く予定」などが話題となり、あまりの人気に某テーマパークの入場者数ががくんと減ってしまうほどの盛況ぶりを呈していたのである。

 が……そんな過熱ぶりも、A君にとっては異世界の出来事だった。

 奨学金で大学の学費はなんとか払えているものの、多くの兄弟を食べさせていくだけで精一杯の母親に、仕送りなどもちろん頼めず、一人暮らしのアパート代に食費光熱費雑費交通費といった、生活に必要な一切合切のお金を稼がなければならない。そのためにバイトを掛け持ちし、時には単発のバイトを入れたりして、授業以外はほぼ働き詰め。その日だって、朝から講義に出席した後、居酒屋で午後5時から閉店までずっと立ちっぱなしでジョッキや料理を運び続け、なんとかかんとか1日を乗り切ったところで、ふらふらの体を引きずるようにして、深夜の千日前通りを一人歩いていたのである。

 目の前には、もう五月だというのにツイードのジャケットをきっちり着込んだ初老の――というより、老境に入って久しい――男性が、ふらふらと左右に揺れながらゆっくり歩いている。

 早足で追い抜きざまにちらりと横目で見ると、小声で歌など歌いながら、細かいシワがあちこちに走る顔にしまらない笑みをとろっと浮かべ、実に心地よさそうである。

 なんばで飲んだはいいが長く尻を据えすぎて、終電逃したってとこかな。相手は昔の友達かなんかか。飲んでるうち、当然のように万博が話題になり、そこから昔の万博の話になって、思い出話が盛り上がり過ぎ、気がつけばいい年して午前様、って感じか。

 おじい――男性が口ずさんでいた歌というのが、以前に大阪で開催された万博の際の、「せんきゅーひゃく、ななじゅうねんのォ~」というサビで有名なテーマソングで、それでA君、そんなふうに思ったのである。

 当時生まれてもいなかった僕にはさっぱり分からないけど、そんなに印象深いものだったのかねえ、万博。店に来るオッサン達も、「月の石が」「太陽の塔が」「金網の穴から入って」とか、夢中になって話してるし。それにしても、いいご身分だよな。店のまかないで食費浮かして、こうして歩いて交通費浮かせて暮らしてる僕とは大違いだ……。

 荷物の重さがずっしりと肩に響く。今日は大学から直接バイト先に向かったので、リュックの中に教科書類が入ったままなのである。

 まあ、でも、無理して大学に行かせてもらってるんだし、頑張らないとな……。

 信号で立ち止まったついでに肩を揺すり上げて荷物を背負い直すと、A君、先ほどまでよりやや前屈みになって、再び歩き始める。千日前通りは谷町筋のやや手前から、軽い上りになっているのだ。

 登り切ったところで左に折れ、谷町筋を北に。そのまましばらく歩いて細い路地に入れば、アパートまですぐだ。普段は少しでも近道をしようと裏道伝いに帰るのだけど、その日、彼は路地に入る手前にあるコンビニで夜食でも買って帰るつもりでいた。

 それで、このルートを選んだのだが……A君、この選択を後々まで後悔することとなる。

 「なんば」という大阪を代表する繁華街からまっすぐ東西に延びていることもあり、千日前通りは、午前1時を回っていながら、まだちらほらと歩いている人たちがいる。が、谷町筋に入ると、途端に人影はほとんどなくなる。コンビニ以外、深夜営業の店もなく、ぼんやりした街灯に照らされた高い塀が、時折直交する道路で区切られつつ、ずっと北まで続いているせいだ。

 「タニマチ」といえば、スポーツ選手、芸能人に多額の援助をするひいき客をさすが、そもそもはこの界隈には相撲部屋が多く、力士を応援する太客がこの谷町に集ったため、そのように呼ばれるようになったそうだ。で、そもそもこの辺りに相撲部屋が多かった理由として、この辺りは大きな寺が多く、力士の稽古場や相撲興業の場として、その広い庭を使わせてもらえたから、という事情があるらしい。

 戦後、多くの寺はこの地から他所へと移転したが、今でもなお、道沿いには有力な寺が並び……そのため、店が少なく、漆喰塗りの白壁の上に瓦を葺いた塀ばかりが続く道となっているのである。

 これが東京など他の大都市であれば、とっくに寺など全て郊外に移転し、この辺りも飲食ビルが建ち並ぶ繁華街になっている。そうならずに、ネオン瞬く歓楽街と静まりかえった寺町とが背中合わせに両立しているところが、大阪という町の面白いところかもしれない。

 いかにも歴史学を学ぶ学生らしく、そんなことを考えながら――実のところ、彼の興味は西洋史であり、たまたま今日の講義で、日本近世史の教授からこの界隈の歴史について教えてもらったところだったのだ――コツコツと先ほどより高く足音を響かせ、北へ歩いて行く。

 と……その足音に絡みつくかのように、妙な音がかすかに耳をつつく。

 ん?なんだ?

 立ち止まり、怪訝な顔で耳を澄ます。

 歌声?

 そうだ。あまりにかすかなので、なんの歌なのかまでは分からない。けれど、一定のリズムで発せられる声が、高くか細く伸び上がるかと思えば、低く地を這い忍び寄ってきたりしているところからして、おそらく歌っている。

 その声は、どうやら塀の向こうから聞こえてきているようだった。

 寺?いや、この向こうなら、寺っていうより墓地だ。しかも、こんな夜中に?

 A君、何度か塀の向こうを目にしたことがあった。

 昼間は谷町筋沿いの門が開いているので、たまたま通りかかった時、好奇心からちょっとのぞいてみた程度なのだが、その時の記憶では、この寺、本堂やそれに付随する建物群は西側の塀に沿って作られており、東側――今彼のいる側には、びっしりと墓が並んでいたはずである。

 お墓に参る人の便宜を図るために作られたらしい、今通り過ぎたばかりのその谷町筋の門は、この時刻とあって、ぴっちりと閉ざされていた。しかも、聞こえてくる歌の感じは、遠くでがなっているのが距離により薄められた、というよりかは、もともとか細い声がごく近いところでささやいているように思える。

 一体誰が?なんだってこんなところで?

 あまりの異常な状況に、A君の胸にたちまち不安の雲が湧き上がる。

 が……不安を軽く凌駕するほどの激しい勢いで大きく、強くふくらみ、とうとう彼の胸をぱんぱんに満たしたのは、好奇心だった。

 A君には、中高時代にオカルト系が大好きな親友がおり、その彼のたっての願いで、深夜の墓地や廃校といった場所に何度か一緒に出かけたことがあった。

 彼自身はあまり幽霊やら怨霊やらといったものは信じていなかったし、そうやってつれて行かれた「心霊スポット」なる場所でも、科学では説明のできない現象を体験することもなかった。

 だからこそ、この「寺の歌声」も、おそらくは超自然的ななにかではなく、生きた人間の仕業だろうとかなり強く思っていたし、もしそうだとするなら、一体誰が、どういった目的でこんなことをしているのかと、俄然気になってしまったのである。

 人間の仕業だとしたら、どこかから中に入り込めるはずだ。

 A君、謎を解明する気満々で、寺を囲う塀に沿って、注意深く歩いて行く。

 すると、果たして、角を折れたすぐ先に小さな木戸があり、その木戸を閉めておくための横木が壊れているのか、そっと押しただけで、抵抗なく開く。

 A君、細く開けた木戸から、するりと墓地へとその身をすべり込ませた。

 住職はじめ、寺の方々は既に寝入っているのか、はるか右手の建物群は、町灯りを背景に黒々とそそり立つばかりで、灯り一つすらともっていない。

 灯りらしきものといえば、塀の向こうからかすかに漏れる街灯の、ぼんやりした光のみ。

 幾百となく立ち並ぶ墓は、幾列かがその光にかすかに照らされ、かろうじてその輪郭をつかめる程度に見えるのみで、それ以外は、黒々とした闇の中に沈み込んでいる。

 その漆黒の中、先ほどよりもややはっきりと、か細い歌声が聞こえてきた。

 陰々滅々とした雰囲気にそぐわない、明るい感じのメロディーではある。だが、ささやき声で、音程もあやふやに歌われているため、どうにもこうにも不安な気持ちを生起させる。

 いや、まあ、こんな時間だし、大声出したら迷惑になるからとか考えて、ああいう声にしてるんだろうな、きっと……。

 そんなことを考え、A君、一人納得する。

 少し考えれば、常識をわきまえた人物は夜中に墓地など入り込んだりしないし、ましてやそこで歌を歌おうなどとはしないと当然理解できるはず。なのに、そういった考えがまるきり浮かばなかったことからして、やはり彼も、非現実的な出来事に遭遇したことで少々興奮し、冷静な判断力を失っていたのかもしれない。

 A君、ポケットからスマホを取り出し、ライトをつける。そして、地面に浮かび上がる小さな光の円を頼りに、声の聞こえてくる方向へと向かって、そろそろと歩き出した。

 十数メートルほど進み、もう少しでぼんやり、歌声の主が見えてくるのでは、といったところで、突然、歌声がやんだ。

 気づかれたか!?

 真っ暗な中、灯りをつけて近づいているのだから、気づかれないわけがないのだが、それまでずっと歌声が聞こえていたから、きっと歌うことに夢中で、周囲に全く注意を払っていないのだろうと思っていたのである。

 それが突然やんだ。ということは、光にようやく気づいた?じゃなきゃ、はじめから気がついてて、わざと僕をおびき寄せたのか?

 好奇心が急速にしぼみ、どうしてよく考えもせず、こんなところに足を踏み入れてしまったのか、という後悔の念と共に、隠れていた不安が膨れ上がり……恐怖となる。

 肩のリュックの重みが急に増したように感じ、額にぷつぷつと汗の粒が浮かぶ。周囲に無言で立ち並ぶ墓石や、その後ろ、斜めに覆い被さるかのような卒塔婆をライトで次々照らし、誰の姿も見えないことを確認してから、そうっときびすを返す。

 そのまま、入ってきた木戸に向かい、一歩、二歩、足を進めたところだったろうか。

 不意に、右肩にひやりとした感触があった。

 はっと目をやると、白い浴衣のような袖から伸びた青白い手が、ひたりと吸いついている。

 ひゅっ、と息を飲み込んだ、その瞬間。

 こんにちは……。

 死にかけのカラスが呪言を発したかのような声が、耳元でそうささやいた。

 うわああああああっ!

 体中の毛穴という毛穴が鳥肌だち、気がつけばA君、真っ暗な墓地の中を、やみくもに走り出していたのだった。


 

 

 

 

 


 

  

 

  

 

 

 

  

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

  

  

 

 

 

 

「本当にあったかもしれない」部分投稿(遅れて申し訳ありません)。来週頭に「ある意味怖い話」部分投稿予定。

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