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この作品には 〔残酷描写〕が含まれています。
苦手な方はご注意ください。

時には矜持など必要ない時もある

 エリザは生地の見本帳を眺めながら、小さく溜息を吐いた。そろそろ王家主催の夜会に出席する為のドレスの注文をしなければいけない時期だ。しかし、婚約者のウォルターから何の連絡もない。

 婚約が決まったのは、二人が十歳の時。同じ年齢である事、父親同士が寄宿学校時代、同じ倶楽部活動をしていた事から決まった事だ。

 エリザの父親はダラスの領主として手堅く治めている。伯爵家としてはまあ、それなりに裕福な方だ。

 ウォルターの生家は侯爵家だ。王家の信頼も厚く、一門には優秀な官吏を何人も輩出している。ウォルター自身も寄宿学校で優秀な成績を修め、卒業後、侯爵家を継ぐ為に領地の各地を見回ったり忙しい日々を過ごしている。

 婚約が決まってからエリザも侯爵家で教育を受け、今では侯爵夫人と共に貴族の催すお茶会に参加する事もある。

 エリザの地盤は確かなものだが、不安要素があるといえば、ウォルターの多情だ。エリザが知っているだけで、ゆうに二桁の女性と親密になっている。親密な度合いはそれぞれだし、若い時の遊びなど、多目に見てあげろというのが世間の常識だ。ウォルターにも侯爵家にも文句を言うつもりはないが、それはエリザを立てているという前提があっての事。

 今までは二人で参加する夜会や、劇場などへのお出かけの時にはきちんとエスコートをされていたし、事前にドレスや装飾品の贈り物や、当日に向けての打ち合わせがあった。

 だから、余程の事がない限り目を瞑っていようと思ったのだ。

 王家主催の夜会は外国の要人を迎えると噂になっている。そのような重要な時にエスコートがなければ、エリザは笑い者になってしまう。

 今、ウォルターと親密だと噂になっているのは、とある子爵家の令嬢だ。一度、二人でいるところを見た事がある。いつもの事だと思っていたのはエリザだけだったようだ。ウォルターは婚約者の義務を放棄する程入れあげているのだろうか。

 生地の見本帳を閉じた。

 良い気分転換になるかと思ったが、憂鬱になっただけ。心が少しも弾まなかった。

「エリザ、入りますよ」

「お母様」

 膝の上に置いていた見本帳をテーブルの上に載せ、エリザは立ち上がった。

「聞きましたよ、ドレスの事」

「はい。それで夜会用に一枚、仕立てたいのですが」

 今、持っているドレスでも構わないのだが、当日、別の女性をエスコートしているウォルターに会った時の事を思うと気が重く、ウォルターが以前に贈ったものを身につけているなんて、重い女だ、鬱陶しいと思われたくもない。

 婚約が決まった頃ならともかく、あちらこちらの女性に渡り歩くようなウォルターにもう気持ちを寄せる事はない。

 それなりにうまくやっていけると思っていただけに僅かばかりではあるが失望していた。

「ウォルター様はどうなさったのかしら?今まできちんと婚約者の義務は怠らなかったのでしょう?」

「はい」

 母娘は対面に座り、首を傾げた。

「その子爵家の令嬢がよほど美しくても、ネバダ侯爵様がお認めになるとは思えないのに」

「ええ」

 ウォルターの母、ネバダ侯爵夫人もだ。実際、彼女を見た事があるそうだが、愛人としても質がよくない、と零していた。

 貴族の世界は広いようで狭い。本人の知らぬ間に噂は広がるし、身辺調査も行われる。

 歴代に恋人の中には、息子の愛人として認めてあげてもよい、と夫人が語った女性もいたが、彼女達はもう既に婚姻している。

「そうだわ、一時期、流行ったでしょう?真実の恋だから婚約破棄するだの、反対に正論の述べてやり込めるだの」

「はい」

 エリザの母は目を伏せた。

「貴女はそんな事しないように。いいですね」

「どうしてですか?」

 侯爵夫人としての教育は厳しいもので、中にはきちんと自分の意見を口にする事、というものがあった。社交界で流されるように人の顔色を伺っていれば、存在自体も軽く扱われるからだ。

「貴女は、まだ伯爵家の娘だからです。貴女のお友達は、貴女の将来を見据えてのお付き合いのつもりの方もいらっしゃるでしょう」

 そんな事はない、と言いたいが、エリザも似たようなものかもしれない。親しくしているが、もし、自分の不利になっても付き合いたいか?と考えると全員は難しい気がする。

「もし、婚約破棄となったら、その方達、ただ離れていくだけならよいけれど、ネバダ侯爵夫妻にどう接するかわかったものじゃありませんからね」

 母の言葉にエリザは俯いた。

 婚約者に恋人が複数いる事について、すこしばかり傷ついた時もあった。婚約破棄ならば最後に、なにかやり返したいと思いもしていた。

「よろしいですね。当家で催す会ならばともかく、他家でなんてそのお家をも敵に回す事になるのよ。ええ、王家主催ならば当然、どうなるかわかりますね」

 躊躇った後、頷いた。

 貴族は人のトラブルは大好きだが、自分のテリトリーでそれを起こされるのは好まない。

「もしもの時には、黙ってそのまま帰宅なさい。出来ればそのお家の方にご挨拶だけして」

「お母様……」

「大丈夫。後は親のわたくし達の出番よ」

「はい」

「納得出来ないでしょうけど、我慢なさい。……昔、そのような方がいらっしゃったのよ」

「婚約破棄された方ですか?」

「貴女と同じ、伯爵家に娘が侯爵家に嫁ぐ。それ自体珍しい事ではない。でも大勢の前で婚約破棄を宣言され、その女性は不貞を責め、女性にうつつを抜かし仕事を疎かにした相手を責めました」

 エリザだってそうしたい。

「結果、婚約破棄して、侯爵家の子息は家臣の娘と婚姻しました。その時、問題になった女性は行方不明。伯爵家の娘は婚姻相手が中々見つからず、適齢期を過ぎた頃、領地へ引きこもるように」

「まあ……。なぜ、お相手が見つからなかったのでしょう?」

「当然でしょう。婚約者の不貞を大勢の前で責める。侯爵家の内情を明らかにしたも同然。その女性と婚姻しうまくいけばよい、いかなかったら家の内情を言いふらされる、そう思われたのでしょう」

「そんな」

「それに騒動となったのは別の侯爵家での事。お祝いの催しだったのに、台無しなされた、とお怒りで、その伯爵家はもちろんの事、親戚もお付き合いを拒まれたわ。ええ、高位貴族に付き合いを望まれない娘を嫁にだなんて誰が思うのかしら?」

 何も言葉を返せなかった。確かに醜聞にまみれた貴族女性は嫁ぎ先に苦労するが、そこまで難航するとは考えもしなかった。

「その方は病を得て亡くなりました。と、正式に届けが出されましたが、実際はご両親が跡継ぎの弟君の為、毒をもったともっぱらの噂よ」

「お母様……」

 エリザは両腕で自分の体を抱きしめた。震えているのを知らさないように。

「そんな姉のいる男に嫁ぎたい、嫁がせたいと考える方は少ないでしょうから」




 エリザはウォルターの恋人に二度ほど絡まれたが、黙って微笑んだ。同席していた友人もお気の毒ね、と慰めてくれた。



 王家主催の夜会にはネバダ侯爵の嫡男となったウォルターの弟、セガールにエスコートしてもらった。エリザより二歳年下のセガールは他国へ留学していて今回、初めて会った。侯爵夫妻にあまり似てはいないが、既にウォルターからセガールへと嫡男変更の届けが出され、承認されている。

 あの日、エリザの両親は話し合い、ネバダ侯爵へ夜会のドレスについて問い合わせた。ネバダ侯爵家では、使用人がドレスショップへ予約を入れたから安心していたようだが、ウォルターは恋人を同伴しドレスを注文したが、エリザは放置している事を知った。

 ネバダ侯爵家でどのような話し合いがあったのかエリザは知らない。ただ、ウォルターは病にかかり、回復の見込みがないから婚約者の変更を打診され、そのまま頷いた。

 エリザの両親は晴れやかに笑い、ネバダ侯爵家に恩を売る、と言った時にはよく分からなかったが、もしかしたらウォルターはエリザを貶める何かを企んでいたのかもしれない。

 夜会のドレスの事を母に相談せず、もし、一人で勝手に決めていたら、今頃、邸の片隅で寝付いているのは、ウォルターでなく、エリザだったかもしれない。

 侯爵夫妻はエリザに面倒をかけた事を侘び、セガールは両親に言い聞かせられているからか、エリザを丁重に扱った。

 セガールの侯爵夫人に対する緊張感は気になるが、それ以外は特に問題ならない。

 ウォルターの恋人はもうエリザの前に姿を見せなくなった。どのような対処をしたのか聞かされてはいないが、暫くすると遠方へ嫁いだらしい、と噂を聞いた。



 この件でエリザは貴族の体面というものをよく考えるようになった。

 個人の矜持は大事だが、時にはそれを犠牲にした方がよい時がある、と。





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― 新着の感想 ―
[良い点] なるほど、その通りですよね。納得のお話でした。
[良い点] そらそうだと納得が深い [一言] 組織(家)ぐるみの契約なんだから結ぶにしても切るにしても当然一度話を持ち帰りますよね 飛び込みの営業マンと窓口の受付嬢がその場で提携の商談とかありえません…
[気になる点] セガールは侯爵夫妻の実子なのでしょうか? 侯爵夫人に対する緊張感の部分を読んで、もしかしたら公表されていない愛人若しくは第二夫人が生んだ子息ではないのか?と感じました。 [一言] 一味…
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