75_フェリクスの悪夢(フェリクス視点)
俺は、カインにも言っていない話をついに打ち明けた。ララーシュ嬢の手に触れると、必ず見るようになってしまった夢の話。
「ええっと、それは、どんな夢なのかを聞いても?」
ルシルが遠慮がちに聞いてくる。むしろ、聞いてほしい。本当は吐き出したくてたまらなかった。自分の中だけで抱えていると、その夢に取り込まれてしまいそうで、恐ろしくなる。
「夢の中でも、ルシルは罰としてこのレーウェンフックに来た。だが、婚約者となっている現実とは違い、夢で俺達はすぐに夫婦になっていた」
じっと俺の話に耳を傾けてくれているルシルに話しながら、俺は夢のことを整理するように思い出していく。
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夢の始まりは、現実でも俺がルシルに対して言い放ったあの言葉だ。
『俺は君のような心の醜い愚かな女が一番嫌いだ』
……今思えば、どうして俺はあんなことが言えてしまったのだろうか。後悔しかないその言葉を、しかし夢の俺は心の底から思い、現実に俺が口にしたよりも強い気持ちで言い放ったのだ。
夢のルシルはそれを聞いて、みるみる顔を歪め、憎々しげに俺を睨みつけた。
そこから、現実とは到底かけ離れた日々が始まる。
離れに入り、怒りを爆発させ、物を手当たり次第に投げつけ、部屋を滅茶苦茶にしたルシルは、すぐに水晶でサラを呼びつけると手をあげた。
現実と同じように、少しの反抗心からルシルの世話を最初から万全に整えるようなことはしなかったサラは、一番の標的となったあとも、自分の失態のせいでもあるからと、すぐに俺に相談することはなかったのだ。
気付いたときには、全てが酷い有様で。噂以上の心醜い悪女の所業に、心の底から冷えていくのを感じる。
(なんなんだ、この女は……)
あまりにひどい評判に、先んじて釘を刺したつもりだった。俺から距離をとり、少しでもしおらしくしておいてくれればそれでよかったというのに。呪いにおかされた俺は、どうせ彼女を満足させることもできないのだから、お互いが距離をとり、干渉せず、それなりの自由で満足してくれればいいではないか。
どうせ、この婚姻は彼女に与えられた『罰』なのだから。
いや、そもそも、俺との婚姻が罪人への罰などと本当にふざけている。
頭を悩ます俺をよそに、ルシル・グステラノラの行動はどんどんエスカレートしていった。
討伐で俺が不在がちなばかりに、使用人たちには苦労を掛けてしまう。心苦しく、せめて少しでも彼女を抑えられないかと顔を出して見れば、いつだって使用人に当たり散らし、時には怪我まで負わせる始末。
だがそれも、俺の最初の対応が間違っていたせいだというのはよく分かる。ルシル・グステラノラは、俺と目が合うと悲しそうにその瞳を揺らすのだ。あれは、見覚えがある。愛を求めている目。アリーチェやカイン、そして、鏡の中で見る自分の目……。彼女もまた、心に深く暗い闇を抱えているのだ。
しかし、だからと言って、許容できるものではない。
なによりも、なにがどうしてそうなったのか、彼女はどうやら俺を気に入っているらしく、隙さえあれば触れようとしてくる。
……あの遠慮のなさで、あの強引さで、もしも何かの拍子に、俺の素手に触れてしまうようなことがあれば、きっとルシル・グステラノラは無事ではいられないだろう。
彼女のことは好きになれないが、だからといって傷つけたいわけではない。ありえてしまいそうな可能性にゾッとして、より一層ルシル・グステラノラから距離をとるようになった。
──エルヴィラに出会ったのは、そんな時だ。
『あの!私、実は光属性魔法を使えるんですが、能力がなかなか向上しなくて……不躾なお願いなのは承知していますが、このレーウェンフックの地で、どうか働かせていただけませんか!?』
……最初は、また面倒ごとが増えたと、そう思った。
しかし、ひょんなことから、エルヴィラは俺の呪いの影響を受けないことが分かったのだ。素手に触れても、平気な顔をして笑っている。あまりのことに、呆然としてしまった。
エルヴィラだけが、俺に触れることができる……。
それは俺に差した唯一の光。この人は特別な存在なのだと、本能が訴えかけてくる。
それからは、常にエルヴィラを側に置いた。
彼女は光魔法の使い手で、討伐においても素晴らしい存在感を発揮してくれている。彼女が一人いるだけで、討伐が安心して行える。それに、何よりも、俺の呪いをものともしない彼女といると、自分が普通の人間であるかのように感じることができたのだ。
驚くことに、エルヴィラは俺に好意を寄せているようだった。だから、俺はできるかぎりそれに応えようと思った。与えられる安らぎと、普通であるという証明に、返せるものはそれくらいなのだから。側に寄ってくれば、それを受け入れ、愛の言葉をねだられれば、言われるがままに贈り、見つめられれば、決して目を逸らすことなく視線を返す。そうすることで、エルヴィラが嬉しそうに顔をほころばすことが、自分にとっても喜びだと感じられた。
エルヴィラは、俺とルシル・グステラノラとの婚姻を可哀想だと泣いた。
可哀想、か。そうなのかもしれない。しかし、きっと、俺以上に可哀想なのは、こんな呪われた男に無理矢理嫁がされたルシル・グステラノラだろう。聞けば、バーナード殿下が、寵愛する恋人のために彼女に冤罪をかけたのが今回の婚姻の始まりだったというではないか。
そのことを知らせてきたカインは、俺がエルヴィラを側に置くことに対して、あまりいい顔をしない。
『俺はお前の幸せを願ってるから、止めろとは言わないけどさ。ルシル・グステラノラ嬢は、離れで一人で、どんな気持ちなんだろうな。そりゃ、使用人たちに乱暴しているのはいただけないけど、正直少し、気持ちは分かるからさ……』
その言葉が、胸に小さな棘となって刺さっている。だが、だからといって、どうすればいいと言うのだろうか。俺は呪われていて、決して、ルシル・グステラノラを本当の妻にはできないのだ。
結果、どうしようもないのだと自分に言い聞かせている間に……ルシル・グステラノラはあろうことかエルヴィラを害そうとし、失敗して、闇魔法を暴走させた。それは、このレーウェンフックごと覆い込む程、大きな闇。
なんの因果か、その闇を払うために、エルヴィラは真の力を覚醒させ、聖女の称号を得ることになった。そして、信じられないことに、エルヴィラはその力の覚醒に際し、俺と、このレーウェンフックの地にかけられた呪いを、綺麗さっぱりかき消したのだ──。
聖女になった彼女が、王族に望みを聞かれ、乞うたのが俺との婚姻だった。
俺に否やがあるだろうか?いや、ない。エルヴィラは俺の唯一であり、特別な人であり、呪いを解いてくれた恩人だ。
こうして俺はエルヴィラを妻に迎えた。
そして、ルシル・グステラノラは処刑されることが決まった……。
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──夢のこととはいえ、ルシルが処刑などと、考えるだけで気分が悪くなる。どうして俺は、ララーシュ嬢をエルヴィラなどと親しげに呼び、特別な存在などと思ったのだろうか。目が覚めてみれば分かる。夢の中の俺は、ただ俺の呪いの影響を受けない存在がいるという事実に、安堵しただけだ。その安堵が安らぎのように感じられ、錯覚していただけだ。
馬鹿げている。夢の俺は、本当になにも知らない大馬鹿者だったのだ。
特別とは、唯一とは、本当に側にいてほしいと思う感覚とは、そんなものではないのに──。だが、ルシルと出会い、その本当の意味を知った今だからこそ、そのことが分かるに過ぎない。
夢のようにルシルと距離をとり、相容れない関係のままでいれば、俺はそう勘違いしたのかもしれない。
本当のルシルを知らないままでいた時間軸など、考えるだけでゾッとする。本当に、なんと恐ろしい夢だろうか。
何よりも受け入れがたいのは、夢の俺が、心の底からその現実を『幸せ』だと感じていたことだ。あれが現実だったならば、きっと俺は一生、本当の幸せを知らないままだったに違いない。
ルシルは、俺の話を黙って聞いてくれていた。
「……もう、あんな悪夢を見るなど、耐えられない。ルシル、あなたが側にいないのに幸せを感じ、あなたが……処刑されるなど…………夢の中の自分がそれを受け入れていることも含めて、目が覚める度に、どうにかなってしまいそうになるんだ」




