08_辺境伯は話がしたいらしいです
私は今、午前中にアリーチェ様やサラとたくさんお話しした応接室で、今度はフェリクス・レーウェンフックと向き合って座っている。
(うふふふふ!久しぶりに間近で見るフェリクス・レーウェンフック!やっぱりとってもカッコいい〜〜〜!)
しれっとすまして座っているものの、私は内心大はしゃぎだ。
今だけとはいえせっかく一応は婚約者なんだから、たまにはこの麗しい姿を見る機会だって欲しいものね!
もちろん完全なる二人きりなどではなく、彼の斜め後ろには騎士が一人立っているわけだけれど──実は私、この方に見覚えがあるわ?予知夢でもよくレーウェンフックとともにいた。一番気を許している側近という感じね!
そんな側近の彼がなんだか面白がるように小さくつぶやいた。
「うわあお。フェリクスに聞いてた話と全然違うじゃん」
「おい!」
「えっと……?」
遠慮もなくまじまじと私を見つめるその人をレーウェンフックが小さく咎める。しかしそれを全く気にした様子もなく彼は私のそばに近寄ると、流れるように跪き、胸に手をあて恭しく頭を下げた。
「申し遅れました。俺はこのレーウェンフックの騎士でありフェリクスの側近、カイン・パーセルです。どうかカインとお呼びくださいね、麗しきご令嬢」
「まあ。これはご丁寧にどうも、カイン様。ルシル・グステラノラと申します」
流れるような挨拶に思わず感心してしまう。
カイン様は優しげで柔らかい亜麻色の髪に、藍色の瞳を甘く見せる少し垂れた目が印象的な優男風だ。うん、イケメンね。フェリクス・レーウェンフックとはまた違ったタイプのカッコよさでとってもいいわ?
私はフェリクス・レーウェンフックの方がタイプだけれど、世のご令嬢にモテるのは完全にカイン様の方だろう。
私がそうやってカイン様のことをまじまじと観察している間、カイン様の方も何かを見極めようとするかのように私をじっと見つめていた。おかげで二人して熱心に見つめ合うような形になってしまっていて。
「……おい、いつまでそうしている?」
少し不機嫌そうなフェリクス・レーウェンフックの声でハッと我に返る。
おっといけないわ。そりゃあ、自分の大事な側近には嫌いな悪女である私とあまり接触しないでほしいと思う気持ちは当然のものよね。それに恥じらいもなく殿方を見つめてしまうなんて淑女としてもあまり褒められた行為ではないわ。
ここで暮らすようになってあまりの自由に、ちょっと気が緩みすぎていたみたい。堅苦しい王子妃教育から解放された反動ともいえるかもしれない。
とりあえず、心配そうなレーウェンフック辺境伯に、大丈夫ですよとアピールするように微笑みかけてみる。
「ふふふ、心配なさらなくてもあなたの大事な騎士にちょっかいをかけるほど、配慮が足りないつもりはありませんわ?」
「いや、そうではなく……」
あら、なんだかまだ不満そうね?どうやら見た目に寄らずフェリクス・レーウェンフックは心配性らしい。
「お二人の仲を邪魔する気なんてないから、本当に心配なさらなくて大丈夫なのに……」
私が無神経にレーウェンフック辺境伯の側近と仲良くして、二人の信頼関係がぎくしゃくするようなことがあっては大変だものね。そう思って思わず呟いてしまったのだけれど、その声がばっちり聞こえていたらしい二人は、どちらもなぜか微妙な表情を浮かべていた。
「な、なんか俺とフェリクスがただならぬ関係みたいな言い方に聞こえるんだけど……」
「おい、冗談でもやめろ」
ふふふ、よく分からないけれど、仲がよさそうで何よりだわ!
それにしてもフェリクス・レーウェンフックは何をしにきたのかしら?『君と話をする機会が欲しい』と言っていたけど……。
あら、そういえば私ったらまたお茶を出すのを忘れているわ。今まではこういうとき、私の専属侍女だったレイシアが全てやってくれていたから、つい忘れてしまうのよね。
実は自分の分を淹れるうちに私の淹れるお茶がなかなか悪くないことに気がついたのだ。だから誰かに振る舞いたいとずっと思っていたのだけど、ランじいとはまだお茶をしたことがないし、今日の昼間だってサラが泣きだしてしまったから、結局サラやアリーチェ様に私の淹れたお茶を飲んでもらう機会を逃してしまったのよね。
そういえばこの二人は甘い物は好きかしら?さっき焼いたばかりのお菓子もできれば食べてみてほしいなあ。
冒険する料理人マシューが人に料理を振る舞うことに対して、心の底から幸せそうにしていた事を思い出す。そうね、料理自体もやってみるととっても楽しいことがわかったけれど、作れば食べて欲しくなるのよね。
そんな風に自分の世界であれこれと考え込んでいると、フェリクス・レーウェンフックが仕切り直しとばかりに「こほん」と咳払いをした。
「今日俺がここに来たのは──あなたに謝罪をしたいと思ったからだ」
「……え?」
「数々の非礼、本当に申し訳なかった」
彼が言いだした予想外の内容に思わず目をぱちくりと瞬いてしまう。
ここにきてから私とフェリクス・レーウェンフックはほとんど関わり合いがない。何か謝罪をされるようなことがあったかしら?…………いや、よくよく考えてみれば心当たり自体は結構あるわね。今の彼が頭の中で思い描いているのがどのことなのかはちょっとよく分からないけれど。
しかし、自分の中にあるフェリクス・レーウェンフックのイメージと、今目の前で頭を下げている彼の印象があまりにも結び付かなくて。だって私の知るフェリクスは予知夢での姿がほとんどで、その彼はいつだって私を軽蔑し、嫌悪しているばかりだったから。実際に初めて会った時だって、予知夢の彼の姿とほとんど違いはなかった。
だから、勝手にこの人はとっても潔癖でかなりプライドの高い人だと思っていたのだけど。
こうしてなんのためらいもなく頭を下げている姿を見ると、それは私の勘違いだったのかもしれない。むしろ、予知夢での私が酷すぎただけかも……。そう考えると私の方こそ申し訳ない気もしてくるわね。
「今更だと思うだろうが、俺のあなたへの態度は非常識極まりないものだった。身ひとつでこのレーウェンフックに入ったあなたに配慮も思いやりもなく、ひどい言葉を吐き捨て、身の回りの世話をする使用人をきちんと手配することもなく……それなのに、あなたは文句の一つも言わず、こうして突然の訪問にも嫌な顔一つしない。なんと寛大なことか」
「ええっと」
「噂を鵜呑みにしていた自分を恥じている」
うーんと、私を嫌っていること自体は全然問題ないのだけど……。
それにしても、とても潔い人ね。実は、サラに聞いてこの人が使用人を手配していなかったわけではないことはもうすでに知っているのだ。だけどそのことは言わず、それについても自分の罪として謝ってくれている。
「あなたにも色々と思うところはあるだろうが、俺としては少しずつでも歩み寄っていけたらと思っている」
そしてやっぱり……真剣なお顔もとってもかっこいいわ……!
こんなにイケメンで中身もちゃんとした人なんだもの、早く運命のヒロインであるエルヴィラと出会って幸せになってほしいわよね。
私は突然閃いた。エルヴィラが現れたらさっさと死んだふりでもして失踪しようと思っていたけれど、美しいエルヴィラとカッコいいフェリクス・レーウェンフックの幸せな姿を間近で見られるのも悪くないのではないかしら……!?
そうよ!何だかよくわからないけどせっかくフェリクス・レーウェンフックが歩み寄りを希望してくれているんだもの。
人を嫌いだと思う気持ちって理屈じゃないところがあるから、あれだけ嫌っていた私に対する嫌悪感がすぐになくなるとは思っていないけど。この機会をわざわざ棒に振ることはないだろう。
「レーウェンフック辺境伯様!私も是非、あなたとお友達になりたいです!!」
満面の笑みでそう告げると、なぜかカイン様が小さく吹き出していた。
ふふふ!心配しなくても仲間はずれにしたりはしないわ?友達の友達ももはや大体友達のはず。もちろんカイン様も私のお友達に認定よ!
意外と謝れる呪われ辺境伯。
次話は再びそんなフェリクス視点です!