70_アリーチェ様の感情は忙しい
「もう!フェリクスは何を考えているのかしらっ!?──あっ、エリオス様、お口にクリームがついてますわよ」
アリーチェ様は、離れの一室で私の焼いたケーキを食べながら、フェリクス様に対する怒りを爆発させている。その合間に、エリオスが口の端につけたクリームをナプキンで拭いてあげるのを忘れない。
「ええっと、でも、エルヴィラはフェリクス様たちのために光魔法を使ってくれていて……」
「そんなの、ルシルお姉様の万能薬で事足りているじゃない!それにあの女、討伐以外でもいっつもレーウェンフックの本邸にいる気がするんですけど!?カインも何をしてるのよっ!──ああっ、マオちゃま、もぐもぐたくさん食べて可愛いでちゅわね~!!」
アリーチェ様は怒りに目を吊り上げつつ、合間合間に目じりを下げてマオウルドットを愛でることも忘れない。アリーチェ様、なんだかとっても器用よね?
エリオス様と初対面した衝撃で気絶したアリーチェ様は、目を覚まし次に離れにやってきたときには、もうこんな感じで、エリオスの世話をせっせと焼きたがるお姉さんモードと、マオウルドットをこれでもかと可愛がるママ飼い主モードを装備していたのよね。
エリオスに対しては『大賢者』に対する長年の憧れもあってこうなっているらしいけれど、マオウルドットのことはあんなに怖がっていたはずなのに、やっぱりちっこくて丸いこの愛らしいフォルムには抗えないってことなのよね。分かります!
「おい、ルシル?なんかオレに対して失礼なこと考えてない?」
マオウルドットが何かを感じ取ってじとりと私を見つめてくるけれど、気にしない気にしない。
それにしても、生きとし生けるものは、可愛いには勝てないように本能に刻まれているんじゃあないかしら?
私は、私の足元にくっついて固まっているジャック、マーズ、ミシェルをちらりと眺めながらそんなことを思う。
「とにかく、私はあのエルヴィラとかいう女のことは認めないわ。大体何よ、ルシルお姉様は一応フェリクス様の婚約者よ!?あ、もちろん、一応って言うのはルシルお姉様を認めていないわけじゃなくて、今のフェリクスをお姉様の婚約者だというのが癪だからつけているの、誤解しないでちょうだいね?」
「あはは……」
うーん。予知夢通りにエルヴィラとフェリクス様に恋が芽生えているであろうことは別にしても、きっとフェリクス様はエルヴィラを側においたと思うのよね。だって、エルヴィラは呪いを解く唯一の運命のヒロインなんだもの。エリオスや私の言葉で、予知夢を知らないフェリクス様だって、エルヴィラがそうだと気付いたんじゃないかと思うのよ。
私はエルヴィラについて考える。フェリクス様が手袋を外していていたことも思い出してみても──きっと、フェリクス様が触れても、エルヴィラは呪いによって傷つけられることがないんだと予想がつく。覚醒していなくても、きっと、聖女と呼ばれる程の力は確かにエルヴィラの中に眠っていて、呪いの力に対抗できているんだわ。これってすごいことよね?だって、クラリッサ様の魔法に守られている私でさえ、表面的な傷を負うことは避けられなかったのに!
だから、私としては二人が一緒にいる姿には納得と安堵しかないのだけど、そんなことはアリーチェ様には言えない。それに、それはそれとして、エルヴィラには悪いけれど、アリーチェ様が私を思って怒ってくれているのがとっても嬉しい!ので、もう笑って誤魔化すしかない。うふふ!
まあ、アリーチェ様の怒りに関しては、フェリクス様に呪いが解けた後、頑張って信頼を回復してもらうしかないわよね!
本邸に住み込み、離れに毎日来てくれるサラによると、エルヴィラの力は順調に向上しているのだとか。どうも、今までうまく光魔法を使えなかったのは焦りや緊張のせいだったらしい。やっぱり何事も実践あるのみってことだわ。
私の料理の腕も、作れば作るほど上達しているしね!!
「ああ、私もこの離れに住みたいくらいよ!だけど、ロハンス家の屋敷に帰るたびに、気分がいいから、その気持ちよさも捨てがたいのよねえ」
「そうなんですか?」
ご家族との関係で長く悩んでいたアリーチェ様。居場所がなくて、地獄のようだったと言っていたこともある、ロハンス伯爵家の屋敷。
「だってね、今までは屋敷に帰る度に、『私がこんなに暗い気持ちの中に沈んでいたって、ここの人たちは気づきもしない』って、卑屈な気持ちになっていたのよ。だけど今は、『私がこんなに幸せに包まれていたって、ここの人たちは気づきもしない!』って思うと、なんだかとっても愉快な気持ちになっちゃって。うふふ。家の人たちは誰一人、何一つ変わっていないのに、本当に私の世界はガラリと変わったわ!」
「まあ、アリーチェ様、とっても素敵ですわ!」
これもルシルお姉様に出会えたおかげよ、とにんまりと笑うアリーチェ様、なんて可愛いのかしら!私もアリーチェ様に出会えて、世界がまた少し変わった。だって、大事な人が一人増えた世界は、今までよりも何倍も楽しくて幸せに決まっているじゃない?
(フェリクス様も、エルヴィラとの出会いで、目に見える世界の輝きがうんと増しているわよね)
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