65_呪われ辺境伯フェリクス視点
カインとともに討伐を終えてレーウェンフックの屋敷に戻り、愛馬を連れて厩に向かうと、そこには知らない馬がいた。
「……どこの馬だ?」
なかなかつぶらな瞳の可愛い馬だ。どうやらメスか?
ここに見知らぬ馬がいるということは、誰かが来ているのだろうか?しかし、俺やカインがいない間に本邸に客が来るとは思えないが……。忌々しいことに、少し前まではルシルに嫌味を言うためだけに暇な貴族が約束もなく離れを訪れることもあったが、俺が脅しを──話をつけてからは、そういう類のものはなくなったと思っていたのだが。
門に向かうと、門番が困惑した顔をしている。どうやら貴族の女が訪ねてきて、それをルシルが離れに招き入れたのだとか。ならばルシルの知り合いかと思ったが、どうも門番の目には、そういう風には見えなかったらしい。
(面倒な相手でなければいいのだが……)
ルシルは気まぐれで自由だが、お人好しだ。好きなようにやって、結果、人を助けてばかりいるからな……。
気になった俺は、ひとまずカインを連れて、離れの様子を見に行くことにした。
──そして、顔を出して早々、嬉しそうに満面の笑みを浮かべたルシルに捕まった。
「まあ、フェリクス様、カイン様、おかえりなさいませ!ちょうど良かったです、こちら、エルヴィラ・ララーシュ様ですわ!」
「あ、ああ……?」
誰だこれは。
いや、今ルシルが言ったな。エルヴィラ・ララーシュという令嬢か。あまりにも突然で一瞬彼女の紹介が頭に入ってこなかった。
そのままルシルはニコニコと俺をじっと見つめてくる。これは恐らく、早く挨拶をしろということなのだろうな。
そう思い、ルシルから視線を移す。
「フェリクス・レーウェンフックだ」
「は、初めまして、エルヴィラ・ララーシュと申しますっ!」
俺が声をかけると、ララーシュと名乗る女は慌てたように頭を下げて、挨拶を返してくる。何度も瞬きを繰り返し、頬を染め、どこか落ち着きがない。ひょっとして、何かの病を患っているのだろうか?すると、ここへはルシルの作る万能薬の噂を聞いてやってきたのか?
「あのっ、私、レーウェンフック辺境伯にお会いしたかったんです!えっと、レーウェンフックの万能薬の話を聞いて、それで……」
……なるほど。やはり、俺の想像通り、万能薬目当てだったようだな。しかし、この令嬢は何か勘違いしているらしい。
「それなら、会いたかったのは俺ではなくルシルだろう。万能薬はルシルが作ったものだからな」
「えっ、違……いえ、万能薬については、その通りなのですが、そうではなく」
「ルシル、あなたがお人好しなのは分かっているが、薬を求める者を誰彼構わず屋敷に招き入れるのは感心しない。直接対応するのではなく、そういう時にはカインを間に入れるようにと言っただろう?」
「えっ!」
なぜか、ルシルは驚いて「ひょっとして、今私叱られてるのかしら?」などと呟いている。だが、確かに俺は、ルシルにそう言ったはずなのだ。
本当は彼女のやりたいようにやるのが一番だと分かっている。しかし彼女は無意識に人を惹きつけてやまないのに、どこか隙が多く無防備だから、いつか良からぬ人間に傷つけられてしまうのではないかと心配なのだ。
このララーシュ嬢とやらにしても、どう考えても怪しいではないか。本当に本物の貴族なのか?見たこともないが。興味のない人間の顔を覚えるのは得意ではないので、王都の貴族ならば顔を知らない者も多いが、もしもこの令嬢が王都の人間ならば、ひとりでこの呪われ辺境伯と言われる俺の領地には来ないだろう。
そう思い、内心で警戒していると、俺の後ろにいたカインが声を上げた。
「あれっ。ララーシュって、あのララーシュ伯爵家の?」
『あの』?
………………ああ、そういえば、ララーシュ伯爵家の長男とは何度か顔を合わせたことがあるな。もちろん、ララーシュ伯爵家は覚えている。しかし、あの家に令嬢などいただろうか?
「フェリクス、何よく分からないって言いだしそうな顔してるんだよ?ララーシュ家の令嬢といえば、少し前に話題になっただろう?光魔法を使う、とっても可愛くてまるで聖女様みたいなご令嬢がいるって。なんでも家族が溺愛していてあまり人前に出さないから、幻の妖精姫なんて呼び名もついたんだよね」
「よ、妖精姫っ!?え、あの、私はそんな大それたものじゃ……」
そんな話もあったか……?
なおも考え込む俺の様子に、ルシルがたまらず口を挟む。
「フェリクス様、朗報です!この可愛くて妖精みたいな光魔法の使い手、エルヴィラ様が、フェリクス様のお仕事のサポートをしてくれるそうです!」
「「ええっ!?」」
カインとともに、なぜかララーシュ嬢も驚きの声を上げているではないか。ルシル、まさか今思い付きで話しているわけじゃないだろうな……?
「ねえ、説明下手過ぎない?僕が代わりにしようか?」
見かねたように部屋に入ってきた大賢者殿が、呆れたようにため息をついた。
結局大賢者殿に事のあらましを聞いた俺は、ついに頭を抱えそうになった。
たしかに光魔法の向上の訓練ならば、このレーウェンフックはいい環境だろう。だが、その力をあてにできるわけでもなさそうなのに、なぜそれを俺やカインが受け入れる必要がある?
ルシルが妙に嬉しそうなのが気になるが、残念ながらこのレーウェンフックに信用のできない者を置くつもりはないのだ。
そう思い、断ろうとしたときだった。
「ほら、お姉さんも、もっとちゃんとお願いしたら?」
大賢者殿が、ララーシュ嬢を促す。
「そ、そうね!あの、レーウェンフック様!私、精一杯頑張るので……きゃあ!」
「──っ!!」
緊張なのか焦りなのか分からないが、ララーシュ嬢は俺に近づこうとして足をもつれさせ、こちらに倒れ込んできた。俺は反射的に腕を差し出し、それを支える。
「す、すみません!」
「いや、いい」
……それよりも、今のは俺の勘違いか?
ララーシュ嬢があまりの勢いで俺の手を掴んだことで、一瞬手袋がずれた。本来、そう簡単にずれてしまうような作りではないはずなのに、だ。そして、その時にほんの少しだけララーシュ嬢の手に俺の素手が触れた気がしたんだが……。
ララーシュ嬢の様子をうかがってみるも、別段異変は見られない。気のせいだったか?
しかし、なぜか無意識のうちに脳裏に蘇るのは、つい今朝方、大賢者殿に言われたばかりの言葉だ。
『もうすぐその呪いを解く力を持つ人が現れるよ』
引き寄せられるように大賢者殿の方を見ると、彼は意味深な笑顔を浮かべ、俺をじっと見つめていた。
光魔法を使い、聖女などと持て囃される令嬢……能力は高くなく、その訓練のためにこのレーウェンフックにくるほど伸び悩んでいるらしいが……。
まさか、彼女こそが、俺の運命を変えてくれる、その人だというのか?




