06_赤髪のご令嬢・アリーチェ襲来
「にゃーお!あなたたち!そんなにお客様のことをいじめちゃだめでしょう?どうどう、ほら、落ち着いてね。また今度遊びましょう!」
この大騒動を止めるべく私が屋敷を出て声をかけると、威嚇と猫パンチをこれでもかと繰り出していた猫ちゃんたちは鼻を鳴らして離れていった。
サラも赤髪のご令嬢もそんな光景にポカンとしている。確かに、私ったら大きな声を出したりしてちょっと淑女らしくなかったわよね。
だけど威嚇の大合唱にかき消されず、きちんと全員に聞こえるようにするには小さな声じゃダメだと思ったんだもの。
私としてはランじいと庭のお手入れもするし、外でゴロンと寝転んで日向ぼっこもするし、淑女らしからぬ行動は今更なんだけれど、そんな私の姿に慣れていない二人には少し刺激が強かったようだわ。
「今のって……あ、あなた、一体……」
赤髪のご令嬢は眉をひそめて何か言いたそうにしていたけれど、もうやってしまったことは仕方ないので、もの言いたげなその様子には気づかないふりをしておいた。
気を取り直して二人を応接室に通したものの、サラの顔色はなぜか真っ青だし、赤髪のご令嬢はとても不機嫌そうに口をへの字に引き結んでいる。
とりあえず空気があまりよろしくないから、ここはこの場で今一番心身ともに健やかな私から挨拶するのがよさそうだ。
「初めまして、私はルシル・グステラノラと申します」
しかし、挨拶は返ってこなかった。
「サラ!こんな人が私のフェリクスの婚約者だなんて冗談でしょう!」
私ではなく、そばに立っているサラに向かって声を荒げるご令嬢。
うーん、なんだか初対面なのにすでにとっても嫌われているようだわ。
彼女はぷいっと顔を背けて私に視線すら合わせない。見たところ私より少し年下かしら?それにしてもどこかで見たことがあるような気がするのよね……。けれど、考えても思い出せる気はしない。
話が進まないことにはどうしようもないので、仕方なく私もサラに向かって話を振ることにした。
「サラ、こちらのご令嬢はどなたなのか教えてくれるかしら?」
えっ!と驚いたようにご令嬢の方をうかがったサラは、彼女が何の反応も示さないのを見て意を決したように私に向き直った。
「こ、この方は隣領であるロハンス伯爵家のご令嬢、アリーチェ様です」
やっと絞り出すように教えてくれたサラの言葉に、ご令嬢──アリーチェ様が補足のようにすかさず付け足す。
「フェリクスの運命の乙女よ!」
「まあ」
「っ、何よその反応!婚約者と言ったって愛されてるわけでもないくせに、私のことを馬鹿にしているの!?」
思わず気の抜けた返事をしてしまったのが良くなかったらしい。いけないいけない。気を取り直してキリリと表情を引き締めてみるけれど、もう遅かった。
アリーチェ様はますます顔を赤くして怒っている。
(違うのよ……別に馬鹿にしたわけじゃなくて……だって、フェリクス・レーウェンフックの運命のヒロインはエルヴィラだって、私は知っているから)
ああ、そのことを説明できないことがこんなにもどかしいなんて!
サラはサラで相変わらず顔を青くしたまま小さな声で、
「申し訳ございません」
「違うんです」
「私はなんとかお止めしようと……」
とかなんとか離れた位置から私に向かって必死にずっと何かを呟き続けているし。なんだか怖いんですけど……。
うーん、どうしよう。多分この状況って、フェリクス・レーウェンフックに恋をしているアリーチェ様が、私という悪女が婚約者として図々しくも居座っていることに怒りを抱いて乗り込んできたってところよね?
けれど私は今の時点で身を引くほどあの方と何か関係があるわけではないし……そもそも一年後にはエルヴィラが現れるはずだから、どちらにしろアリーチェ様の失恋は確定なのよね……。
予知夢ではエルヴィラが現れるまで、私は怒りこそすれまだ自信満々だったし、誰かに嫉妬している様子もなかったから、アリーチェ様が今の恋人だという事実もなさそうだと思う。
考えている間もずっとアリーチェ様は目が痛くなってしまいそうなほど私を睨み続けているし、サラはついに手を胸の前で組んで祈りか呪詛かわからないようなことをブツブツ呟き始めてしまった。怖い。サラが一番怖い。
ふと思いついた。
予知夢でエルヴィラを憎む自分の記憶にアリーチェ様が登場しないということは、その頃にはアリーチェ様の恋心はなくなっていたのではないかしら?
何はともあれ、状況を変えるにはまず探りを入れるべきよね。
「アリーチェ様は、レーウェンフック辺境伯のどこをお好きなの?」
まだ睨まれているけれど、じっと見つめて待ってみると、今度は言葉が返ってきた。
「フェリクスは……とっても素敵な見目をしているし」
「分かります!怖いと言われているようだけれど、とっても魅力的ですよねえ!ふふふ!」
「は……?」
ハッ!いけない!全く共感しかない内容に思わず嬉しくて同調してしまった!アリーチェ様が嫌そうに眉間に皺を寄せているわ!
「こほん。……それで、他にはどんなところが?」
機嫌を損ねてもう話してくれないかと思ったけれど、そんなことはなかった。むしろほんの少しソワソワし始めている気がする。
分かるわ、好きなものや好きな人の話をするのってとっても楽しいものね!
アリーチェ様って今はぷりぷり怒っているけど、本当はとっても素直でいい子なのではないかしら?
「フェリクスは剣も魔法も才能があってとっても強いし……」
「まあ!そうなんですね。私は全然知らなかったです。さすがこの辺境の地を任された方ですわね」
「そんなことも知らないの、仮にとはいえ婚約者のくせに」
「ええ、よかったらもっとレーウェンフック辺境伯の素敵なところを教えてください」
「……仕方ないわね。何も知らないあなたにフェリクスの運命の乙女であるこの私がちょっとだけ教えてあげるわ。フェリクスはね、ああ見えて小動物が好きなのよ!」
「それは確かに少し意外です!」
「でも怖がられて逃げられるから全然触れないの」
「ちょっと可哀想……」
「フェリクスは小さい頃からまるで私のことを妹のように可愛がってくれたんだから!」
「お優しいところもあるんですね」
妹のように、でアリーチェ様的にはいいのかしら?と思ったけれど野暮なことは言うまい。
段々盛り上がってきた私とアリーチェ様のやりとりにサラが少し困惑顔だけれど、怖いお祈りをやめたからとりあえず放っておいてもいいだろう。
興が乗ってきたのか、次第に頬を紅潮させ目をキラキラさせたアリーチェ様は叫ぶように言った。
「そんな素敵で強いフェリクスはねえ、次の『運命の英雄』に違いないんだから!!!」
「まあ」
……『運命の英雄』って、何かしら???