04_呪われ辺境伯フェリクス視点
フェリクス視点です。
困惑する呪われ辺境伯。
◆◇◆◇
俺――フェリクス・レーウェンフックは疲れていた。
意味の分からない罪に対する罰などという馬鹿げた名目で、勝手に悪女と評判の女を婚約者として押し付けられた。それでただでさえ頭が痛いところに魔物の被害が報告され、すぐに討伐に向かうことになり、昨晩おそくにやっと屋敷に戻ってこられたところだ。
後のことは使用人に任せる羽目になり、申し訳なく思っていたのだ。ルシル・グステラノラ侯爵令嬢の評判はあまりにひどく、このレーウェンフック邸でも好き放題傍若無人に振る舞っているのではないかと容易に想像がつく。
初日に十分釘は刺したつもりだが、どれほどの効果があることか。
聞きたくはないが、使用人にばかり苦労をかけるわけにはいかないだろう。
そもそも、俺との婚約・婚姻が罪人への罰などと本当にふざけている。
「ルシル・グステラノラ侯爵令嬢の様子はどうだ?」
彼女に着けた侍女のサラを執務室に呼びそう聞くと、一瞬肩をびくりと強張らせた。
「……今のところ、問題はございません」
どこか歯切れの悪い返事に違和感を抱く。
まさか問題がないどころか山ほどあり、それを討伐終わりで疲れた俺に報告するのをためらっているのか?
そう思い詳しく話を聞こうとするも、何かおかしい。なにを聞いても曖昧な答えしか返ってこないのだ。朝は何時に起きている?金はどれくらい使った?料理に文句ばかりつけて料理人を困らせていないか?サラや他の使用人に手を挙げることなどはないか?
聞けば聞くほど顔色が悪くなっていくサラ。まさか。
「全く世話をしていないのか……?」
「も、申し訳ございません……!!」
叱責を恐れてか、顔色をなくし這いつくばって頭を下げるサラを呆然と見る。この事態は想像もしていなかった。
俺のルシル・グステラノラへの態度と、この婚約が彼女への罰として命じられたものだという事実で、サラをはじめとする使用人たちはルシル・グステラノラを仕えるに値しない人物だと判断したようだった。
……これはこの屋敷の主たる俺の責任であることは間違いない。使用人たちの行動は非常識極まりないものであるのは当然だが、俺自体が彼女を侮り、軽蔑し、嫌悪しているのを隠しもしなかったのだから、それに準じた使用人たちの行いの責任も俺自身にあるといえる。
思案する頭とは別の部分で、しかし――と考える。
「そんな扱いを受けて、あのグステラノラ嬢は何も言わないのか……?」
そう、俺の耳にする評判通りの女ならば意味もなく使用人たちを呼びつけ、癇癪を起し、手を上げたり腹いせに我がレーウェンフックの金銭で目を疑うほどの散財をしていてもおかしくない。
しかしサラが言うには、まるでその存在を感じないほど静かに過ごしているという。この本邸に姿を現すこともなく、見に行こうと思わなければ見えない別邸で、静かに。
さすがに水晶で呼ばれれば素直に応じ、命じられるままにきちんと仕事はしよう思っていたと、そう答えたサラに嘘はないように見える。予想に反してなんの音沙汰もなく、今更どうしていいかわからなくなっているうちに俺が戻ってきたということのようだ。
「ほ、本当に申し訳ありません」
目に涙を浮かべ何度も頭を下げるサラを宥めつつ、重い腰を上げて自らの目でルシル・グステラノラの様子を見に行くしかないかと覚悟を決めた。
✳︎ ✳︎ ✳︎
王都で悪名高い愚かで心の醜い悪女──ルシル・グステラノラ侯爵令嬢。
彼女は王子の婚約者でありながら、怠惰ゆえに教育もまともにこなさず、周囲を見下す傲慢さを隠しもせず、贅の限りを尽くし散財し、派手な化粧と衣装で品もなく……そしてその評判のままについに王子に婚約破棄され、このレーウェンフックに送られてきたとんでもない女。
なんでも婚約破棄を宣言されたときには高いプライドがその事実に耐えられずに、ショックと怒りで暴れ回り、最後には失神してしまったとか──。
厄介な匂いしかしない。
実際に到着したばかりの彼女は、決して下品ではないものの評判通りの派手な見た目をし、俺の蔑んだ視線にも頬を緩ませて返すような傲慢そうな女だった。
だからきっと、他の噂も事実とさほど差がないのだろうと思っていたのだ。
──しかし、目の前に広がる光景は一体どういうことなのか。
「ランじい、これはここでいいのかしらー!?」
「おう、さすがルシーちゃん!ばっちりあってるわい!お前さんは本当に覚えが早いなあ」
「ふふん!そうでしょうそうでしょう!」
庭園の土の上に立ち、得意げに胸を張るのはどこからどう見ても悪女と噂のルシル・グステラノラだ。
軍手をして、簡素なワンピースを纏い、花の苗を植えているように見える。
……しかし、あんな顔だったか?
最初に見た時より随分幼い顔立ちに見える。派手でケバケバしい印象だったはずが、どちらかというと小動物を思わせるあどけない雰囲気を纏っている。
そう、小動物といえば、随分体つきも小柄になったような……元々すらりと痩せてはいたが、もっと背が高く、しっかりした体つきではなかったか?
まさかメイドもいなかったためにろくに食事を摂ることができずにこの短期間で背が縮むほどやつれたのか──いや、それはないな。
むしろこの距離から見ても肌艶良く、前よりイキイキして見える。
というか化粧っけのない顔を土で汚しながら満面の笑みを浮かべる様はこのうえなく元気そうだ。
「ねえ、ランじい。とってもお腹が空いたわ?菜園のトマトを食べてもいい?」
「ルシーちゃんは本当に食いしん坊だなあ!仕方ねえ、少しだけだぞ」
「わーい!」
待て。あまりの様子の違いに気を取られていたが、彼女にニコニコ笑いかけているのは我が家の庭師、ランドルフ爺ではないか。
先々代の頃から長年このレーウェンフックに勤める庭師で、彼は気難しく、偏屈だと有名で、メイドはおろか騎士たちもランドルフには近寄りたがらなくて──
「ルシーちゃん、なんだかワシも腹が減ったなあ」
おい、あの顔の緩んだただの優しそうな爺さんは誰だ?
というか今更だがランドルフはルシル・グステラノラのことをルシーちゃんと呼んでいるのか!?
ランドルフの態度も信じられないが、あのルシル・グステラノラが庭師に愛称で呼ばれることを許しているなどと到底信じられたものではない。
「ランじい、私は手を魔法でキレイにしたけれど、あなたはまだ土だらけでしょ?はい、あーん!」
あ、あーん!?手ずから、彼女の手ずからランドルフに食べさせるのか!?い、いや、そもそもあのランドルフがそんなことを受け入れるわけが──
「あーん!!!!」
大喜びで受け入れているだと……?
そもそも庭の一画に菜園などあったか?
むしろトマトなどどこになっていた?
彼女が手をかざすと、そこに実がならなかったか?
いや、そもそもこの土地は……俺と同様呪われている。
その証拠に長年ランドルフが手を入れ続け、美しい花を咲かせるこの場所でさえ、そう簡単に食べ物が実ることはないはずなのだ。
見たこともないランドルフの態度といい、突然現れたトマトといい、あの女は一体……何をしたんだ……??
俺の頭の中には数々の疑問符と困惑が浮かぶばかりだった。