32_フェリクス様は顔が怖い?
屋敷から少し離れているレーウェンフックの街中は、思っていたより活気があるところだった。
「わあ!この辺りにはお店がたくさんあるんですねえ」
フェリクス様が忙しいようなら一人で来てもいいかなと思っていたのだけれど、これだけ広いとお店を探すのも大変だったかもしれない。今日、フェリクス様にそのまま一緒に来てもらえて、結果的によかったわね、なんて思う。
「ルシル、どこへ案内すればいい?」
「ええっと、とりあえずこの街に薬草店があるなら、きっとそこに道具も置いてあるのではないかと思います」
薬には色々な作り方をするものがあって、その分道具も豊富だ。全ての道具を揃えようとすればとんでもない量と金額になるはずなので、とりあえずは最低限、このラズ草を使った万能薬を作れるだけのものがあればいいわよね。
そう思いながら必要なものを思い浮かべていると、目の前に黒い手袋をはめた手が差し出された。
ふと見上げると、フェリクス様が真顔で私の方を見ている。これはエスコートをしてくれるってことなのかしら?
恐る恐る手を差し出すと、その指先をきゅっと握られた。あまりにも遠慮がちなエスコートに思わず心の中で笑ってしまう。
「何を笑っているんだ?ほら、行くぞ」
おっといけない。どうやら心の中だけではなく、顔も笑ってしまったらしい。
こぢんまりとした薬草店に入ると、私と同年代くらいの若い女の子が店番に立っていた。
「いらっしゃいませ〜……え!?」
女の子はフェリクス様を見た途端、驚きの声をあげ、慌てて手で口を覆った。
この反応を見るに、彼が領主であるレーウェンフック辺境伯だと知っているらしい。
(まあ、突然領主がお店に来れば、それは驚くに決まっているわよね。フェリクス様、薬草店とは縁遠そうだし)
そして、そんな縁遠そうな薬草店の店番の子にまで顔を知られているなんて、きっと普段から街の様子を気にかけて、よく見に来ているに違いないわと、なんだか誇らしい気持ちになる。
私がこっそりニマニマしていると、女の子の声で来客に気がついたのか、店の奥から腰の曲がったおばあさんがゆっくりと出てきた。
おばあさんもまた、フェリクス様を見て目を丸くしている。
しかし、その驚きの目はなぜかフェリクス様と交互に私のことも見ているような?
「おやまあ!領主様がこんな綺麗な子を連れてくるなんて、驚いたねえ」
「ちょっと、ばあちゃん!」
おばあさんの言葉に店番の女の子は顔を青くして慌てている。きっとこの子はお孫さんなのね。
おばあさんの言葉は、話しかけたというよりは思わず呟いたといった風だったけれど、私はニコニコと笑って返事をした。
「まあ!綺麗だなんて、ありがとうございます!フェリクス様──領主様が突然やってくるなんて、驚きましたよね。私が急に街に来たいと言い出してしまったんですけど、領主様は快くその我儘を聞いてくれたんですよ!うふふ!」
私は褒められたことが嬉しくて、つい饒舌になってしまう。
ついでに言うと、フェリクス様が私のお願いをすぐに聞いてくれたのもとっても嬉しかったから、さりげなく自慢したかったのだ。
私は笑って隣に立つフェリクス様を見上げる。
すると、なんとも感情の読めない表情をしたフェリクス様もこちらを見ていた。
「領主様が……我儘を聞いて……」
そして、なぜか女の子はポカンとしていたけれど、よっぽどフェリクス様に驚いたのかしら?
薬草店でいくつか欲しかった道具を購入して、街の通りの方に戻る。
「フェリクス様、道具を買ってもらってしまってごめんなさい」
そう、うっかりしていたけれど、私はお金を全く持っていなかったのだ。いざ支払いという段階で「しまった!」と思ったけれど、フェリクス様は当然のように買ってくれたのだった。
言い訳をするならば、私はずっと猫だったから、買い物をするのはいつだって飼い主たちで、お金なんて払ったことはなかったし。人間になってからも、侯爵家では商人が屋敷まで品物を持ってくることばかりで、街で自分で何かを買う機会なんてなかったし……。
今後はこういうことにも慣れていかなくてはいけないわよね!
そう意気込みながらも、そういえば私は現状一文無しなわけだけれど、どうやってお金を稼ごうかしらと考えていた。
「いや……ルシルは俺の婚約者だからな。これくらいのことは当然だ」
ぷいっとそっぽを向きながらそう言ったフェリクス様。
(やっぱり、フェリクス様って結構優しいわよね!)
婚約者と言っても、私はなんともおかしな理由で押し付けられた、ただの暫定婚約者なのに。
予知夢での私はとっても嫌われていたから優しくはしてもらえなかったけれど、そうでなければこんな不本意な婚約者でもこの人は優しいのだわ。
予知夢とは違って友達になれて本当によかったわよね。
そんなことを考えながら二人で歩いていると、どこからか走ってきた男の子が、後ろからドン!と勢いよくフェリクス様の足元にぶつかってしまった。
「!」
フェリクス様はどうやらとても驚いたようで、男の子の方に振り向いたままの体勢で固まり、すごい顔をしている。
(ふ、ふふふ!なんて顔をしているの!やっぱりフェリクス様ってば、驚いた時の反応が大きくてとっても楽しいわ!)
そう思って笑いを堪えている私とは反対に、ぶつかって尻餅をついてしまった男の子は、フェリクス様と目が合うとみるみるうちに泣き出してしまった。
「う、うわああああん!!」
「あらら」
いけないいけない、笑っている場合じゃなかったわね。
私は慌てて男の子に駆け寄り、抱き起こしてあげる。
見たところ、どこも怪我はしていないみたいだけれど、見えないところを痛めてしまったのかしら?
「どうしたの?どこか痛い?」
「か、顔がごわい〜〜〜!!!!」
「そう、転んでしまって、びっくりしちゃったのね!」
うんうんと頷きながら、男の子の手を握る。
「いや、ルシル、そうではないと思うが……」
驚きからやっと解放されたらしいフェリクス様が、後ろからおずおずと声をかけてきたけれど、とりあえず今は男の子のことを優先する。
「大丈夫よ、お母さんはどこにいるのかな?」
「お、おがあざーーん!!どこおー!!!」
どうやら、走りまわっているうちにいつの間にか迷子になっていて、しかも男の子自身そのことにたった今気がついたらしい。
「うっ、ぐずっ、おがあざん」
「そっかそっか。それじゃあ、一緒にお母さん探そうか。……フェリクス様!」
「あ、ああ」
フェリクス様を呼ぶと、彼は控えめに近づいてきた。
私は男の子を抱っこすると、フェリクス様にお願いをする。
「フェリクス様、この子を肩車してあげてください!」
「「えっ!?」」
男の子とフェリクス様の声が重なる。
だって、顔が怖いなら、顔を見なければいいのでは?
それに、高いところからの方がきっとお母さんも見つかりやすいはずだわ!
驚いて固まった男の子と、驚いて固まったフェリクス様。
その二人ともがどちらも我に返る前に、私はささっと男の子をフェリクス様の肩に乗せて固定した。
二人はまだどちらも目を丸くしているし、その口は少し開いている。なんだかそっくりな反応だわ!
男の子は驚きのあまり涙も止まったみたいだし、少しして我に返ると、そのいつもとは違う目線の高さに少しずつ目をキラキラさせ始めた。
「たかあ〜い」
「うんうん、とっても高いねえ」
ニコニコ笑う私に、少し脱力気味のフェリクス様。
「ルシル、あなたは意外と適当で、そしてとても大胆だよな……」
うーん、そうかしら?そんなつもりはないのだけど、そう見えているのなら、そうなのかもしれないわね。




