02_白猫リリーベル
✳︎ ✳︎ ✳︎
私は今、馬車に揺られている。
信じられないことに、私は本当にレーウェンフック辺境伯の元へ送られることになった。
なんとか抵抗しようとしたものの、即結婚から婚姻まで猶予を与えられるだけにとどまった。1年間は婚約者だ。エルヴィラが現れるまでの期間も1年だから、実際に結婚まで進むことはないだろうと予測する。
まあとにかく、今の私はいわば『おしかけ婚約者』というわけだ。
バーナード殿下があれだけ大勢の前で声高らかに宣言してしまったから、全く何も無しというわけにはいかないなどと言われたのだ。
何も無しでいいじゃないの……。
なんとか冤罪が認められただけましかしら?
私は辺境まで馬車で運ばれながら予知夢について考えていた。
基本的に予知夢は本当に起こる未来そのものだけれど、もちろんその未来を変えることはできる。
夢で見ることで私の心境や起こる出来事への考え方も変わるしね。
運命が無数にある中で、一番実現確率の高い運命を夢で引き寄せて見るらしい。
そして予知夢はたいてい悪夢だ。
夢で、数ある未来の一つを見るのは前世の私の能力だった。
前世の私は──猫だった。
名前はリリーベル。真っ白でふわふわな毛並みとブルーの瞳がとても美しい白猫だった。
最初の飼い主は大魔女アリス様。
アリス様は魔族と人間のハーフで長い寿命を持ち、大魔女の名にふさわしく魔法で彼女に敵うものなど一人もいなかった。
そして長い寿命を一人で生きるのは寂しいと、溺愛していた前世の私、白猫リリーベルに魔法をかけ、自分と同じような長い寿命を与えたのだ。
私が予知夢の能力を手に入れたのはこの時。予知夢は元々アリス様の持つ闇魔法の能力の一つだった。
アリス様と命が共鳴したことで、彼女とともに予知夢を見るようになったのだ。
しかし彼女はそう長く私と共にいることはなく、殺されてしまった。
残されたのは長い寿命を得た私。
次の飼い主は当時の聖女クラリッサ様。
クラリッサ様はアリス様が私にかけた魔法を解くことができない代わりに、長い寿命を健やかに生きていけるようにと聖魔法をかけてくれた。
私は聖女クラリッサ様がお務めのときにはいつもそばにいて、時には心を病んだ人の慰めになり、白猫リリーベルはいつしか聖なる猫と呼ばれるようになった。白い毛並みも神聖さの演出に一役買っていたように思う。
しかし聖女も人の子。クラリッサ様も私を置いて死んでしまった。
次の飼い主は天才料理人マシュー。
こだわりの強い彼は自ら貴重な食材を探しに冒険者も兼業するような超肉体派。
彼のおかげで私もとんでもグルメ猫になってしまったのよね。
次の飼い主は大商家の跡取り息子コンラッド、その次はとある大国の王女ローゼリア、その次は召喚されてこの世界にやってきた異世界人のヒナコ、そのまた次は選ばれし勇者エフレン──。ある時は野良猫としてそこら一帯のボス猫になったこともあったな。
私と生きた誰もがみんな私を心から愛し、可愛がった。
白猫リリーベルの最後の飼い主は、親に捨てられ、周りにいじめられ、まともにご飯も食べられない、孤児の男の子。名前はなかった。
とても心が優しくて魂の綺麗な子だったのに、その美しさに周りの人間は誰も気が付かなかったのだ。
あんなに綺麗なのにそれがわからないなんて、可哀想。
ずっとそう思っていた。
その子は悪魔召喚の生贄として飼われていた。
私は最後、その身代わりとして召喚魔法陣に飛び込んだのだ。
そのまま意識がなくなって終わり。
悪魔がどうなったのか、あの子がどうなったのか、何も分からない。
「まあでも、バーナード殿下と結婚しなくて良くなったのは嬉しいよね。辺境なら王都では手に入らない珍しい食べ物なんかもあるかもしれないし」
馬車の窓に映る自分を見る。そこには作り上げられた派手セクシー系お姉さんっぽい美女が映っている。
ずっと私の専属侍女だったレイシアが、「お嬢様の戦闘モードは私が作り上げます!」と涙を浮かべながら、もはやすっかりなじんだ厚化粧を施してくれたのだ。
くよくよ悩んだり難しいことを考えるのはあまり好きじゃない。それよりは未来を知った上で最悪の結末だけ回避して、あとは楽しみたい。
(エルヴィラが現れたらさっさと身を引けばいいよね!)
頃合いを見て、死んだことにでもして失踪すればフェリクス・レーウェンフックとエルヴィラは問題なく結ばれるだろう。
その後は前世のように自由気ままに生きよう。
誰かと一緒に生きるのも好きだし、野良だった時みたいに一人で生きることだってできる。
1年なんて待たずになんなら今すぐばっくれてもいいかも?とも思ったけれど、万が一王家の命令を蔑ろにしたなどとレーウェンフックが難癖つけられても後味が悪いしね。
──なんて、呑気に思っていたのだけれど。
「はるばるご苦労。俺がこのレーウェンフックの領主、フェリクス・レーウェンフックだ」
(ふ、ふわあああ!!)
馬車から降りた私の目の前に立つ本物のフェリクス・レーウェンフックに度肝を抜かれた。
「は、初めまして、ルシル・グステラノラと申します……」
思わず声も手も足も震える。ガタガタのブルブルよ?
それでもなんとか声を絞り出し、淑女の礼をする。
顔を上げるとフェリクス・レーウェンフックは片眉を上げ睨むように私を見ていた。
(うっ!まぶしいっ!まるで後光が差しているようだわ!)
──なんって魅力的なオスなのでしょうか!
ダークグレーの髪、金色の瞳。眉間に人差し指が差し込めそうなほど皺を寄せて不機嫌そうな顔。王都の騎士様よりもずっと体が大きくて、威圧感たっぷりで。その眼差しは目で人が殺せそうなほど鋭く冷たい。
実はレーウェンフック辺境伯は令嬢たちにとって恐怖の対象らしい。予知夢の私が満更でもなかったように決して醜いわけではないんだけど、それを引いて余りあるほど怖いのだ。それに令嬢に人気なのはもっと儚げだったり中性的だったりする優男風。反対に彼は無愛想で無表情。女嫌い、人嫌いと言われている。
(おまけに呪われ辺境伯だしね)
だからこそバーナード殿下がこの人との婚姻を罰だなんてふざけたことを言い出したわけだけど。
どうも王都の噂によると彼やこの土地は本当に呪われているらしいが、詳しいことはよく知らない。
……が!
そんなことどうでもよくなるほど、カッコいい〜〜〜!
あまりの興奮に体が熱くなり汗まで出てきた。
(だめよ、こんなの私が変態みたいじゃない!)
そう思ってせめて顔が気持ち悪くニヤけないように奥歯をギュッと噛んで、表情を引き締める。
レーウェンフックはそんな私をギロリと睨んだ。
(ぎゃあああ!そのひと睨み、金貨払える!)
内心ハアハア悶えていると、レーウェンフックは顔を歪めて吐き捨てた。
「俺は君のような心の醜い愚かな女が一番嫌いだ」
「はい!ありがとうございます!」
「……は?」
「ハッ!間違えましたわ!」
予知夢でも言っていた、聞き覚えありまくりなセリフに、まるで舞台俳優が名ゼリフを私のためだけに囁いてくれたような錯覚に陥ってしまった。
いけないいけない。どこに罵倒されて感謝する令嬢がいるのよ。
正直こんなイケメンに与えられるなら罵倒もご褒美ですけど!
だってリリーベル時代に「こんな素敵なオス、生まれ変わっても出会えっこない」と思って引っ付き回った、黒猫のエリオットよりカッコいいんだもん!
「こほんっ!……大丈夫ですわ、あなたの気持ちはわかっていますし、私は自分の立場をわきまえていますから」
にこりと微笑んで答えると、怪訝な顔をされてしまった。
取り繕うのが遅かった気がするけれど、どうせ嫌われているのだからまあいいだろう。
とりあえず、フェリクス・レーウェンフックのあまりの麗しさに、さっさと逃げてしまおうかなどという考えは一瞬で吹き飛んだのだった。
彼の運命のヒロインであるエルヴィラ・ララーシュ……彼女が現れるまで、この素敵な男性の婚約者を満喫してもバチは当たらないじゃない?
そう思ったのだ。
まあどうせ、形だけ、名ばかりの婚約者だけどね!