18_アリーチェ様は特別です
突然のアリーチェ様の謝罪に、びっくりしてしまう。
けれど彼女は本当に穏やかな顔をしていて、無理をしているわけではないのだと分かった。
狼狽えた声を出したのは、謝罪を受けたフェリクス様ではなく、カイン様だった。
「ア、アリーチェ?いいの?あんなにフェリクスにこだわっていたお前が……」
「あら、何よカイン!散々さりげなーくフェリクスを諦めるように誘導しようとしていたくせに、いざもういいって言ったらそんなことを言うわけ?」
「諦めさせようとしてたの、気付いていたのか……」
「ふん!それに気づかないほど馬鹿じゃないわよ」
なるほど。私が知らないだけで、今までにも色々な攻防はあったらしい。
二人のやり取りを見ていたフェリクス様は、安堵したようにホッと小さく息をつくと、アリーチェ様に向かって頭を下げた。
「アリーチェ、俺もすまなかった」
フェリクス様の謝罪は、きっとアリーチェ様に冷たい態度をとったことに対してだろう。謝り合ったフェリクス様とアリーチェ様はどちらもとても穏やかな顔をしている。
小さな頃から一緒にいて、アリーチェ様を妹のように可愛がっていたというフェリクス様。カイン様は、「フェリクス様にも色々事情がある」と言っていた。それがどんなものなのかは私にはよく分からないけれど、きっと本当はアリーチェ様に冷たい言葉なんて言いたくなかったに違いない。
そう思えるような、二人の雰囲気だった。
「はあー!肩の荷が下りた気分だわ!私、いつのまにか意地になっていたのね」
ニコニコ笑ってそう言ったアリーチェ様は、隣に座る私の腕にまるで猫のように自分の腕をするりと絡めると、甘えるように擦り寄ってくる。
なんてこと!ひょっとしてアリーチェ様の前世も猫だったんじゃないかと思うほどの甘え上手だわ!
「ありがとう、ルシルお姉様。ぜーんぶ、ルシルお姉様のおかげよ」
「え?」
「ずうっと、私を助けに来てくれるのはフェリクスだけだと思ってた。フェリクスは特別だって。だから、そんな特別なフェリクスの特別になれなくちゃ、私に価値なんてなくなっちゃうと思っていたの。でも、ルシルお姉様が真っ先に私を助けに来てくれて、それは違うんだって思えたわ」
「そんな」
自分に価値がないなんて、そんな辛い気持ちを抱えていたなんて。「私のフェリクス!」と離れに突撃してきた時には、自信に溢れたご令嬢に見えていた、アリーチェ様の意外な本音に胸が痛む。
「アリーチェは極端なんだよ。それに今までだってフェリクスだけじゃなくて俺だっていたのにさ」
「そうね。カインも、ありがとう」
「えっ」
雰囲気的に茶々を入れようとしたらしいカイン様は、予想外にお礼を言われて固まっている。ふふふ、女性の扱いに慣れているカイン様でも、気心知れたアリーチェ様のいつもと違う態度には慌ててしまうようね!
その光景を微笑ましく思っていると、アリーチェ様はぽつりぽつりと話しはじめた。
「……私にはね、とても優秀な頭脳を持つ兄と、魔法の才能あふれる姉がいるの。そんなロハンス伯爵家で私だけが『普通』の人間だったから……特別を望まれるロハンス伯爵家で、居場所がなかったのよ」
私に事情を話してくれているアリーチェ様のことを見守りながら、カイン様は痛ましそうな顔をしているし、フェリクス様も硬い表情を浮かべている。きっと、今の話だけでは分からないようなたくさんの想いや出来事があったんだろう。それは分かる。もちろん分かるのよ。
けれど、なんだか私はとても不思議な気持ちになってしまっていた。
「アリーチェ様のご家族は随分変わっているんですね」
「変わってる……?」
ハッ!いけない、あまりにも不思議で、つい本音が漏れてしまったわ!私は咄嗟に、余計なことを言ってしまった自分の口を両手で塞いだ。
いくら関係が上手くいってなさそうだとはいえ、よく知りもしない私がアリーチェ様の家族を貶める様な発言はするのはさすがに良くないわよね。
そう思って口を噤んだのだけれど、アリーチェ様はそんな私の手にそっと触れて。
「ルシルお姉様。どんな内容でもいいから、お姉様が思ったことを聞きたいわ」
と言ってくれた。
……アリーチェ様がそう言ってくれるなら、言ってもいいのかしら。
「……だって、アリーチェ様はこんなに可愛くて素敵で魅力的なのに、一番近くにいる人がそれを見えなくなっているなんて、とってももったいなくて損をしているなって……ちょっと、先ほどは端的に言いすぎましたけど」
「ル、ルシルお姉様ッ!」
「わっ」
アリーチェ様は感激したように私に抱き着いてきた。いとかわゆし。やっぱり猫かもしれない。
そんな彼女を抱き留めながら、私は考える。
貴族の家には、ただ平和に平凡にあることを望まない家も多い。
私の生まれたグステラノラ侯爵家だって、お父様が上昇志向で、バーナード殿下に婚約破棄を言い渡された私を当然のように切り捨てた。冤罪だって分かっても「殿下のお心を掴めなかった、魅力の欠片もないお前が悪い」というばかり。
私はリリーベルという、愛されて愛されて愛されていた自分のことを思い出したから、自分を愛さない家族の愛を欲する気持ちもすっかり忘れてしまったけれど、よく考えてみれば確かに前はそんな気持ちもあったように思うし、むしろ予知夢の私は、そんな風に愛を求める私の行きついた先だったんじゃないかとも思えるのよね。
アリーチェ様が愛されることをきちんと知らないなら、私がアリーチェ様へのこの溢れる愛をたくさん伝えよう。わざわざ愛を探さなくてもこんなにたくさんあるんだもの!それに、私は愛されることも得意だけれど、愛することもとっても得意なのよね!
「それにしても、いろんなことは差し置いても、特別なことが大好きなご家族はどうしてアリーチェ様の持つ『特別』は気に入らなかったんでしょうね?」
「えっ?」
当然のことを言ったつもりだったのだけれど、アリーチェ様はどこかポカンとしている。
「ルシルお姉様……?私の『特別』って、一体何のこと……」
「え?だって、アリーチェ様はとっても特別じゃないですか」
アリーチェ様はなおも困惑しているようだけれど、正直私も困惑している。なんだか全然話が通じてないような。
見かねたフェリクス様が私にもっと詳しく話すように促す。
詳しくって言われても……わざわざ説明しなければならないほど、難しいことなんて何もないのだけど……。
「えっと、だって、マオウルドット……ドラゴンに、あの至近距離で正面から攻撃されかけて、『普通』の人間なら今こんな風に普通に話せているわけないですから。普通なら一瞬で何かしらの状態異常になりますよね。例えば、失神すれば3日で目が覚めればいい方ですし」
それをいいことに、マオウルドットはよく人間に悪さをしていたんだもの。殺しはしないけれど、人間としてはたまったものじゃない、そんな、ちょっと笑えない悪さ。
まあ、封印される直前はそんなレベルの悪さじゃなかったけれど。
マオウルドットの封印がきちんと解けていなかったとはいえ、アリーチェ様が普通の人間ならとてもじゃないけれど耐えられなかったはず。
つまり、アリーチェ様は状態異常にかなりの耐性があることになる。
私は聖女クラリッサ様によく聞かされていた。こんな風に何かにとても強い、特別な体質を持っているということは、神様に特に愛されて生まれてきたということなのだと。
「アリーチェ様は、神様にとっても愛されているんですね!神様も愛さずにいられないアリーチェ様のことが気に入らないなんて、アリーチェ様のご家族はやっぱり変わってます!」
どうも遠慮はいらないようだったので、私は満面の笑みで言った。
私の言葉に、アリーチェ様もカイン様もただただ驚いて言葉を失っていたけれど、フェリクス様だけは、なぜか途方に暮れているように見えた。




