11_私には分からない事情があるようです
「……なによ、その冷たい感じ。私が来るのは迷惑だって言いたいの」
てっきりその言葉はすぐに否定されるものだと思ったのだけれど。
「そうだな、そう思ってもらっても構わない」
「……っ!」
冷たく突き放すようなその言葉に、アリーチェ様は泣きそうな顔で唇を噛んだ。
フェリクス様が予想外にバッサリと、迷惑であることを肯定するようなことを言ったので私もびっくりしてしまう。
「わ、私は、フェリクスのことが好きなだけなのに……」
震える声で呟かれたそれはとても悲痛で、だけれどこの場にいる誰もが何も言わずに黙ったままでいる。
アリーチェ様がフェリクス様の恋人である事実はないのだろうと思ってはいたものの、ここまで冷たい態度を取るとは思ってもみなかったわ。
さすがに私もどうしたらいいか分からなくて様子を見守っている状態だけど、とにかくとてもとても空気が重い。ど、どうしよう。
「フェリクスはずっと私に優しかったのに……どうして急に……」
確かに、恋人かどうかはおいておいてもアリーチェ様はフェリクス様に『妹のように可愛がってもらった』と言っていたし、それは本当のことだったんじゃないかと思うのよね。今のアリーチェ様の様子を見ても本気で戸惑っているように見えるし。それならばどうしてフェリクス様はこんなにも彼女に冷たく振る舞うのかしら?いくらその気がなくとも、もう少し優しくしてあげてもいいのに……。
確かに私と初めて会った時にはなかなか強い言葉を言われたけれど、嫌われ悪女で押し付けられた婚約者である私に対する態度とは比較にならないものね。
そんな風にぐるぐると考えていると、アリーチェ様が私の方をキッと睨みつけた。
「ルシルが婚約者になったから?だから急に冷たくなったの?」
「えっ!」
それは関係ないと思うのだけど……だって、エルヴィラでもあるまいし……。
そんなまさかというようなアリーチェ様の言葉には、私より先にフェリクス様が答えた。
「ルシルは関係ない」
「ルシルっ?ルシルですって!?フェリクスが私以外の女を気やすく呼び捨てするなんて……!」
視界の端で、カイン様が小声で「あちゃ~」と言いながら天井を仰ぐのが見えた。
アリーチェ様は我慢ならないとばかりに怒りに震えた後、とうとう踵を返し、その場から勢いよく走り去ってしまった。
「アリーチェ様!」
追いかけようとした私をカイン様がすかさず止める。
「あー今は放っておいた方がいいんじゃないかな?少し落ち着く時間も必要だって」
「でも……」
(お友達が傷ついているかもしれないのに、何もせずに放っておくなんて!)
焦る私に対して、カイン様は困ったような顔をしているもののとても冷静だった。
「特に、今のアリーチェを気遣うのがルシルちゃんっていうのは、あの子にとっても酷なんじゃないかな」
思わずぐっと言葉に詰まる。それは……たしかにそうかもしれない。
アリーチェ様は自分が冷たく拒絶された原因が、私が婚約者になってしまったからではないかと言っていたわけで。少なくとも私にはそれが理由なはずはないと分かっているけれど、アリーチェ様からすればそんなことは分からないのだものね。
予知夢の私も、フェリクス様に相手にされない憤りの中で、彼の特別だったエルヴィラに何か言われることが何よりも許しがたかった。それは、内容がどんなものであれだ。
私とエルヴィラの立場はあまりにも違うし、もちろん私とアリーチェ様の立場だって全く違うものだけれど、少なくとも私が何かをするのはあまりいい手ではないということは分かった。
もどかしい気持ちで、フェリクス様のことをちらりとうかがってみる。一体フェリクス様は何をどう思っているのかしら?
(……あら?)
しかし、そのフェリクス様の表情がとても硬く強張っていることに気がついた。
(どうして拒絶したフェリクス様がそんな複雑そうな顔をしているのかしら?)
まるで彼の方こそひどい裏切りにあったようにさえ見える。
私の視線に気づいたカイン様が、フェリクス様には聞こえないような小さな声でこっそりと囁いた。
「たしかにアリーチェには少し酷だったかもしれないけど、フェリクスのことを責めないでやって。あいつにも色々事情があるんだよ」
そう言われてしまえば、私は受け入れて頷くしかない。よく考えてみれば私はここで一番の新参者で、いくら友達になったとはいえフェリクス様のこともアリーチェ様のこともまだ知らないことばかりなのよね。事情のわからない私が首を突っ込みすぎるのは良くないかもしれない。
誰かにとって当たり前だったり正しいと思うようなことが、別の誰かのことを深く傷つけることもあるのだから。
少し時間が経ったら、アリーチェ様にお菓子を持っていこうかしら。だって美味しいものはお腹だけじゃなくて心も幸せに満たしてくれるものね!
そうしてフェリクス様とは関係のない話をして女の子同士で楽しむのよ!
とりあえずフェリクス様のことは考えないことに決めて、気を取り直してこれからのことを考えていたのだけれど、そう悠長なことを言っていられなくなる事態が起きた。
「おい!アリーチェの嬢ちゃんが森の方に走っていったように見えたんだが、ありゃあ大丈夫なのかい?」
それは屋敷の裏手の方から顔を見せたランじいの言葉だった。
私にはランじいの心配そうな発言の意味がよくわからなかったのだけど、その言葉にフェリクス様とカイン様がさっと顔色を変えたのだ。
その変化は何も知らない私でも、森の方に行くことが良くないことなのだとすぐに察することができるほどで。
(そういえば……最近フェリクス様たちは魔物の出現が多くて頻繁に討伐に出ていたのよね?)
嫌な予感がする。そして、残念ながらリリーベル時代から、私のこういう予感はすごくよく当たるのだ。
「にゃああーーん!!!」
その時、どこかに出掛けていたジャックが突然勢いよく茂みから飛び出してきて、私に必死に訴えかける。
「……なんですって?」
ジャックが教えてくれたのは、まさに嫌な予感がとてもとても悪い形で実現してしまいそうな事実だった。
「フェリクス様!私と一緒にすぐに森に向かってください!アリーチェ様が危険かもしれません!」
さっき首を突っ込むのは良くないと思ったばかりだけれど、命の危険があるのなら話は別よ!




