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短編集・散文集

静かな恋人たち

作者: Berthe

 (りつ)はよみかけの雑誌をとじて壁から背をはなすと、つま先立ちに足音を殺して、そろりとうしろから忍び寄った。


 紗耶香(さやか)は曇り空のガラス窓にひたいをつけていた。ふと気配に気がつくと、ちらと振り向きかけた。が、わずかに首を動かしただけですぐに止まると、視線をおとして、窓枠のあたりを見つめた。


 そこにはそれといって目を惹くものもなかった。ガラスは外気に巻きあげられた砂ぼこりで濁っている。律はいますぐにでもタオルで磨き上げたくなった。ぴかぴかにしよう! そうすれば、紗耶香もほほえんでくれる。


 かかとをつけて歩みながらさらに近寄ると、紗耶香は左手の人さし指で窓をさすった。二、三度つるつると桃色の指先でさすって、それからくるくると円を描いた。律はその背中で立ちどまると、雑誌を右脇にかかえて、左手でそっと抱きしめた。


 顔をよせると、ちょうど鼻の下にあたる頭頂部から、髪の毛とシャンプーと体臭のいりまじった妙なる香りがした。律はそれを静かに吸った。目をつぶった。幸せだった。これ以上を求めえないほど幸福だった。


 ふと目をひらき視線をさげると、人さし指は窓をはなれて、ほかの指といっしょに、窓枠をこつこつ打っていた。深爪ぎみの指先が奏でる音はひびいたと思うと、すっと立ち消えて、叩かれた素材に吸い込まれてゆく。


 心地よく聞き入っていると、ふいに、リズムがやんだ。と、その頼りない腕がだらりとさがって、律のまわしている腕にその重みを軽やかにもたせた。肘がまがって、腕に腕が寄り添い、それから、手首のあたりを静かにつかんだ。あたたかかった。意外だった。ひんやり冷たいのを期待していたのかもしれない。


 しばらくして、紗耶香はその手をにぎったままするりと向きなおると、それを高々とあげて、下から律を差しのぞいた。さらりと髪をわけて片側だけのぞいた額、凛としたアーチ眉、爽やかな二重まぶたの下で、口もとが耐えきれずにほころびかけている。


 律はなかば見下ろしながら、やはり女はすぐに気持ちが顔にでると思った。羨ましい。この微笑みを絶やしたくない。


 見つめあううち、おもむろに手をおろしてはなすと、紗耶香はこんどはくすくす笑った。雑誌を小脇にかかえた姿が可笑しいのだった。それはこの部屋に置いてあった女性誌だったからなおさらであった。


 律はなおしばらく小脇にかかえたまま、紗耶香の笑うその顔を堪能していたが、ふと表紙の美女をながめはじめて、それからすっと目の前の可憐な女子を見据えた。


 言葉もなく、首をわずかにかしげなどして、ふたたび雑誌に目をおとしているうち、人影が去るのがみえて、思わず顔をあげると、紗耶香はぷいっと顔をそむけたまま歩いていったかと思うと、ソファのはしに身を投げだして片肘をつき、片腕でぐっと両ひざをかかえたまま、頬っぺたを交互にぷくぷくしている。


 すぐにそばへ駆け寄ると、雑誌をわきに置き、いまだこちらと目を合わせてくれない女の肩をなでる髪の毛にふれながら、その手をやさしくにぎり、おずおずとその目を差しのぞこうとすると、たちまちそらされた。


 律はそれにすっかり魅了されるままに、そのくるくる動く瞳をつかまえようと奮闘するうち、紗耶香はふっと遠くを見据えた。


 それからねめつけるようにこちらへ向きなおって、しかめっ面をしてみせたその顔が、あまりに愛らしいので、律はたまらず頬に口づけると、紗耶香はそっと身をさけながら、じっと男の瞳をのぞきこむうち、ふいに瞼をとじると、手をぎゅっとにぎりかえし、やさしい唇をつきだした。

読んでいただきありがとうございました。

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