身体がないということ
Act.6
ええ、言い切りました。『お兄様を連れて戻ってくる』と。しかし、今現在、私は途方に暮れていた。侯爵夫婦の寝室の場所は父母と同じ場所なので知っている。そのベッドで眠る兄夫婦の周りで浮きながらどうするべきか悩んだ。
この部屋にあるもの。
机
ソファ
剣
燭台
水差し
ロクなもんがない!!
本一冊持ってくればよかった!!
コレ投げて気付いて貰っても会話できないし、どうする??どうする??
『ああ!!なんで図書室から本を持って来なかったの!!私の馬鹿!!』
叫ぶがどうしようもないのだ。もう一度周りを見回す。
水差し……水!!
思いついた私は水差しを浮かべてみる。バランスは悪いが、浮いた。そっと二人の上に持ってきて、水を落した。
「冷たい!」
叫んだのはお義姉様だった。と言うか、お兄様もごめんなさい、思いっきり水を掛けてしまいました。目が覚めてしまったらしいお二方は水差しの浮く方向に目が行く。気付いたけどどうしよう!?
「な、水差し?」
お兄様の戸惑った声が響いた。分かる、水差し浮いていて水を掛けられたらそうなるよね。でも、緊急事態だから!!と慌てるように水で文字を書いてみた。思ったよりも私の字になっていた。
『お兄様』
私の書いた文字を見た兄は硬直しているようだった。咄嗟にビアンカが兄の腕に抱きついた。だけど、そんなことを気にする余裕のない私は文字を書き続けた。
『オセロ様が危ない』
「デス、オセロ殿下はどこに!?」
私の文字を直ぐに理解した兄は、名乗ってもいなかったが、私だと分かってくれた。そして、すぐに信じてくれたことがとてつもなく嬉しかった。泣きそうになりながらも、文字を書いていく。
『図書室、隠し通路』
「ロックは!?」
『かけた。剣を持った使用人、一人』
お兄様の質問に答えていけば、お兄様は剣を取り、お義姉様はショールを纏って立ち上がった。ごめん、セクシーだとか思ったけど、非常事態だしスルーさせてください。じっくり見たいけど。
「ビアンカ、義父上と叔父上を呼んできてくれ!!」
「分かりました!キャシオー、気を付けて、すぐに応援を呼びます!!」
言いようもない怒りが沸々と沸き上がってくる。
オセロ様にあんな怖い思いさせるし、お義姉様をこんな格好で外に出させるし、この原因を作ったクソ男に本をたんまりぶつけやろうともう、やる気満々で図書室に向かった。
「なんで!!なんで開かねえんだよ!!」
物語とか冒険譚で下っ端ザコあるある。逆上して、周りが見えなくなる、そんな状況だった。我が家のひいひいお爺様が戦争時に作り上げた堅牢な隠し通路をそんな軟弱な剣一本で壊せるわけなろう、馬鹿め!!と悪役顔負けの捨て台詞を吐いてやりたいと思ったが、残念ながら聞こえる相手がいない。
お兄様はこっそりとその男の所に行こうとした。が、新婚早々そんな危険なことをさせられない&私の怒りをあの男にぶつけたい。後者の方が強いが……。何故か怒りに合わせるように本が浮き、そしてお世話になり続けている『拷問全書 完全版』が浮いた。
『あ!そうだわ!』
思いついた私は兄の肩を本で叩きながら、『脛を強打し続ける拷問』のページである。
「つまり、『脛狙うから捕えろ』ってことでいいか?」
少し考えた様だったが、お兄様は理解してくれたらしく、私はそうそう!!と頷いた。何故か浮いている本たちも私の首に合わせて縦に揺れた。
「分かった。本投げ出したら近く行って捕らえる。デス、頼むぞ。」
お兄様、本当に有能だ……。やる気満々な私のやる気は更に上がって本を浮かせたまま、男の後ろを通って入口の反対側に行った。
もちろん、狙うは、脛!!
「な!?なんなんだ!!また来やがった!!」
この短時間でこの男の脛に何回本を当てただろうか。段々と命中率が上がって来たので、今度は本の角をピンポイントで当てていた。うずくまる男に痛そう、と他人事のように思った。
その隙にお兄様は男の後ろに回り込んで剣の鞘を使って、一撃で男の意識を失わせた。拷問の本に書いてあった昏倒術のお手本のようで、思わず拍手をしていた。
まあ、気絶させた後、どうするべきか……もちろんグルグル巻きにするのがセオリーだよね!と本棚の上に置かれて埃まみれになっているロープを持ってきてグルグル巻いてみた。どうやらグルグル巻いてみたが、結び目が上手く作れない。
「デス、縛り上げておくから大丈夫だよ。」
結び目を見かねたのかお兄様はロープを手に取って、私の縛り方だと緩い!とでも言うように脚で抑えてきつく縛り直した。お兄様、容赦ないなー、と見ながら私は通路の中に入っていく。
そこには小さくうずくまりながら、座っているオセロ様がいた。
『オセロ様、もう大丈夫ですわ!お兄様が外の男を縛っておりますので、安心して出てください。』
「……デー?」
ああ!!何てことだ!!オセロ様のお目目が真っ赤に!!せっかくの美形が台無し……
いや泣き顔もあり!?
……なんて普段の私なら思っただろう。
でも、この時はそれよりも、その涙を拭けない自分の身体が恨めしかった。
何故、こんな幼子を抱きしめる身体がないのか。
何故、涙を拭いてあげられる手がないのか。
幽霊になって、初めて私は自分の身体がないことを悔しいと思った。でも、その気持をぐっと抑え込んで、いつものように話しかけた。
『オセロ様、お兄様も心配していますの……せめて、鍵を開けてくださいませんか?』
彼は無言で、でも、言われたとおりに鍵を開けた。ガチャン、と音が響き、そして慌てるようにお兄様が扉を開けた。お兄様の姿を見たオセロ様は走り出して、そして声をあげて泣き出した。
せめて、動かなくても、健康でなくても、身体があれば抱きしめてあげられたのに。
私は死んでから初めて、悲しくて泣いた。