第弐話『回想』
葛真は結実の車椅子を動かし、ダイニングにやってくる。
「飯はもう作ってあったろ?先に食ってて良かったのに」
「でも、私は葛真さんと一緒に食べたかったので…なぁんて…えへへ…」
「なーんだ嬉しいこと言いやがって…へへ…褒めても何にも出ねぇぞ?」
「うふ、その照れてる顔で十分ですよ」
葛真と結実は、まるで鴛鴦夫婦のようなやりとりであった。
2人は結婚こそしていないが、後にする見込みはある。
一応、それが出来ない理由があるのだが、それは後に分かる。
車椅子の座高に合わせた机に置かれた朝食を見て、結実は笑みを浮かべた。
乾燥わかめと豆腐の澄まし汁、キュウリの漬物にご飯という質素な食事だというのに。
「美味しそうですね、漬物」
「2日間忘れてたからなぁ…ちとしょっぱいかもな」
「ご愛嬌ですよ。いただきます」
手を合わせて、落ち着いた所作で箸を持つと、ゆっくりと食べ進める。
彼女の可憐な様子に、葛真は釘付けになっていた。
「やっぱ結構辛いなぁ」
「そうですか?結構好きですよ、この味付け」
「そりゃ、母さんの伝統だしな…」
そうして食事を愉しむ間、葛真は何となく、結実を見て過去を思い返していた。
※
あの時を思い返せば、今でも凍えるような恐ろしさが蘇ってくる。
十年前、大晦日の寒い夜だった。
「なあ母さんよ」
「どうしたの?」
当時十歳の葛真は厚い半纏を着て、ストーブの効く居間の中、この時には珍しくないカラーテレビを見ていた。
そんな中、外から何かを聞いたか、まだ存命中の母に何気なく言った。
「何か聞こえるな?」
「そうねぇ…こんな寒い夜は、鳥も巣で眠ってるでしょうに…」
葛真がさらに耳を澄ます。
──うぁああん…ァアアアアぁ…
「女の子の泣き声…この声は…!」
心当たりでもあるようにハッとして、葛真は音のする方へと走った。
どうやら近いらしい。
「葛真!?外は大雪よ!」
母の意見さえ聞かずドアを飛び出すと、雪は真っ白な世界を作り出していた。
出ていって向かったのは、お隣の家屋。
「結実ぃイイッ!!」
その泣き喚きをなぜ彼女だと判断したか、彼には今となってさえわからない。
ただその泣き声が近くて、真に身の危険を知らせるものだったからだった。
「ウェええんッ…!」
泣き声の方に走って向かう。
…だが、ついにその鳴き声も途絶える。
だが聞こえた場所を探った。
「結実いいいいいいいッッ!!」
それでもなお、ある一人の同い年の少女の名を叫びながら走った時、家の庭のすぐ近くには…。
「ッ!?」
当時十歳の結実は、理由も知らないが、雪が強く吹き荒れる中で、薄い布に全裸体を包んだ状態で、下半身だけを氷の張った池に浸して倒れていた。
「結実ぃイイイイイッ!!」
すぐに駆け寄った葛真は、結実の上半身が温かいことから、彼女がついさっきまで泣き叫んでいたことを不思議に思わなかった。
だがその体温も、じきに失われつつあった。
「おい!大丈夫か…っ…しっかりしろぉおッ!!」
結実は気を失い、その体の熱さえ失いそうだった。
「…ッ!グァアアアッ!!」
いつもは内気な少女だった。
でも話してみると楽しくて、彼女も楽しそうに笑ってくれる。
そんな彼女が、今やモノも言わぬ死体になったのか…。
「クソぁアアアアッ!!」
彼女の下半身を、池から引きずり出す。
氷でいかに足が傷付こうが、それが知ったことか。
「絶対ェ生きろォッ!結実ぃいイイッッ!!」
彼女の体を抱きしめて、涙からがらに家に戻るのだった。