第壱話『平穏』
チーン…
閑静な畳の居間に、音が響いた。
一人の20ほどの男は祭壇に向け、侘しい沈黙に正座とともにあった。
「…」
目を閉じて精神を広げ、そして3秒後、目を開く。
前の祭壇には、なぜか藤の花。そして微笑む19歳の男と、50歳ほどの女それぞれの2枚のモノクローム写真。
祭壇を見つめ、男は儚い笑顔で、右手を握りしめながら言う。
「父さん…母さん…確か今日だったな…」
男はそう語る。
今日という日を特別そうに、男はただ父母に語った。
「父さんが消えて、母さんも6年前病に倒れた…──でも安心してくれ…。…うん…、俺は今でも、元気に生きてるから…」
最後の言葉にあった含みさえ除けば、男の姿はせめて健やかに映っただろうか。
男の声は震え、彼の笑顔には影があった。
しばらく経って、震えた声を抑えるように男は続ける。
「い…今は出来ないけど…墓参りとかも…いつかきっとできるようになるから…」
まるで、嗚咽を堪えるかのようだ。
そしてそこで、男は突然言葉に詰まる。
「そうだよ…今の俺がこうなったのに、父さん母さんは悪くねぇ…全部俺のせいなんだ…」
男は何か自嘲気味に続け、そして満足したかと思うと、悲観しはじめる。
「俺みたいな人間の努力なんざ、意味なかったよ…──」
男はいよいよ、堪えきれない悲しみを溢れさせる。
そして、その握る右手は、男の堪えきれぬ思いによって震え始めた。
「…こんな…だらしねえ男になっちまったんだ…、俺」
儚い笑みであった。
──カラカラ…カラカラ…
車椅子を動かすような音だ。
「かつまさん…かつまさーん!」
「…──ん?」
男を葛真と呼ぶ女性の声。
男の後ろの障子の後ろには、黒い影があった。
「失礼しまー…──ああ…ここでしたか!」
一人の綺麗な女性が、顔を出した。
「おう、結実。おはようさん」
結実と呼ばれる彼女は、車椅子に座っていた。
付け加えて、やりとりを聞いてみるに、どうやら2人は親し気な間柄らしい。
「あっ…」
彼女は葛真の瞼が赤くなっているのに気が付いた。
「す…すみませんっ…お取り込み中でしたね…」
「何だよ…別に謝るこたねぇって」
葛真は、先程まで泣いていたが、結実の前では優しい笑みでいた。
「そういえば、今日でしたね…」
「ああ…何度経験しても慣れねぇ…」
「そうですね…私も、お母様にはお世話になりましたから」
「ああ、それが今じゃあ、こんな可愛げのねぇ息子だ」
「そうですか?嫌ですねぇもう、私にとって大事な人ですよ、葛真さん」
「結実、結婚しようぜ!」
「きゃーっ、もうあなたって人は!」
そんな明るい笑みが続く葛真だったが、背後から音がする。
──カタッ
「…あれ…」
祭壇からの音だ。
写真が一枚倒れたらしい。
「あーっ、母さんの写真が!」
「ええ?おかしいですねぇ…」
妙だったが、葛真は結実との楽しい話のネタになってよかったという話だった。
結実はどこか、不思議さを拭えない様子だが…。