19話 生き抜いた愚者
十年前、姉妹、村上美緒と村上里緒は
学校の屋上から飛んだ。
そうしたいと最初に思ったのはいつだろう。
きっと、私たちは退屈だったのかもしれない。
私たちは物心ついた時から二人ぼっちだった。
両親の顔は知らない。
赤ちゃんの時から、施設で育った。
それでも、私たちは幸せだったと思う。
施設の皆はとても優しかったし、
そこでの生活はとても楽しかったから。
そして何より、私たちはいつも、
どんな時も二人だったから。
私と美緒は顔も瓜二つだったから、
血の繋がりについて疑問を持つことはなかった。
二人で居られたこと、
二人で一緒に生まれて来れたことが幸せだった。
それから暫くして、施設の支援を受けて
学校に通わせてもらった。
そのころから、少しづつ、私たち二人と、
周りの価値観が違うことを知った。
親がいないのは何故なのか聞かれたことがあった。
親がいない子供なんて変だと言われることが
あった。
その子に罪はない。
ただ、私たちのような環境で育つ子供がいることを
知らないだけ。
同級生が自分の両親に、私たちに親がいないことを
話すと、その親たちは、私たちを、
可哀そうな子供たちだと言い出した。
その親たちにも罪はない。
親がいないことを可哀そうと言えるのは、
本来、一般的には、そうあるべきじゃないという
価値観を持っているからだ。
寧ろ、それは慈悲のある優しさと言ってもいい。
ただ、その『可哀そう』という言葉が、
私たちを傷つける可能性を知らないだけ。
いや、ほんとは知っていたのかも。
可哀そうな人を見て、安心して、
自分を保っていたのかもしれない。
真相なんてどっちでもいい。
結局、私たちは何が変で、何が可哀そうなのか
分からなかったけれど、ただ憐れまれている事
だけが分かって、両親がいないことよりも、
そういう周りの目の方が何千倍も嫌だった。
そんな風に言われて続けているうちに、
私たちは親に愛されずに捨てられたのだと
思うようになった。
嗚呼、思い出した。きっとこの頃からだろう。
実の親からさえも愛されなかった自分たちが、
生きているのは何故なのか。
私たちは、人間は、何のために生きているのか。
この人生と私たちに流れる時間に何の意味が
あるのか。
そんな風に思って。
何でを永遠に繰り返して。
どうしてを永遠に繰り返して。
答えが出せなかった私たちは。
愚かにも、あの屋上にたどり着いた。
そして、人生の答えが分からなかった私たちは、
遂に生きることを放棄した。
はずだった。
屋上から飛んだあと、落ちてすぐ、
激しい痛みと共に、まだ意識があることを知った。
私は、死に損なった。
目を開けた。
血まみれの美緒が私を抱きしめて
下敷きになっていた。
赤、制服に染み出す赤、地面に広がる赤。
私の体と、美緒の体にヌルリと広がる生温い赤。
赤、赤、赤、赤、赤、赤、赤、赤、赤、赤、赤、赤、赤、赤、赤、赤、赤、赤、赤、赤、赤、赤、赤、赤、赤、赤、赤、赤、赤、赤、赤、赤、赤、赤、赤、赤、赤、赤、赤、赤、赤、赤、赤、赤、赤、赤、赤、赤、赤、赤、赤、赤、赤、赤、赤、赤、赤、赤、赤、赤、赤、赤、赤。
美緒の中にあった、暖かい赤。美緒の命。
限りあるその生命は、無慈悲に美緒の体から
零れていく。
「み、お………ど、うし、て………?」
美緒は明らかに、私を庇った。
庇った結果、私が生き残れる確率なんて
何パーセントかわからないけど、
私は美緒よりはるかに軽傷だった。
「お、ちる、とき、里緒が、しんじゃうの、
やだ、なって、………思って………だから……。」
美緒の口から、か細いささやきが漏れる。
「だめ、美緒、もう、喋らないで、喋らないでっ、
この、まま、じゃ………お願い、お願い、
お願いだから、私を置いて行かないでぇえ。」
私は泣いて美緒にすがった。
全身の痛みなんて忘れていた。
ただ、ただ、泣いた。
どんなに泣いても赤い命の海は広がるだけで、
それがまた私の涙を誘う。
「なか、ないで、里緒。里緒も、けが、してるけど、
もし、里緒が、生きれたら、その、ときは、
最期まで、生きて、ね?………お願い………。」
私を抱きしめている体から
少しずつ、少しずつ、少しずつ、体温が引いて。
冷たくなって。
私を抱きしめていた腕が、だらりと下がる。
「ぁっ………。」
やがて、美緒は動かなくなった。
「いやぁぁぁああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああ。」
私は最愛の姉を失った。
それから私は、世界の気まぐれで生き残った。
幸運なことに体の自由が無くなることもなく、
生還した。
医者には奇跡だと言われたけれど、
嬉しくなかった。
本当は一緒に逝きたかったから。
あの時美緒が庇わなければ
私もきっと一緒に終わっていた。
終われていた。
だけど、最期の瞬間、私が生きることを
望んだ美緒は、私を一人この世界に残した。
それから十年、私は生きた。
美緒の最期のお願いだから。
何度も。何度も、美緒の所に逝きたいと思った。
でも、その度に美緒のお願いと、
あの赤い絶望が過って、
私を生きる道に歩ませた。
私は生きるほどに己の愚かさを知った。
ただ、美緒と生きていられるだけで
幸せだったのに。
たとえ誰に何を言われても。
たとえ両親が居なくても。
もし、仮に両親が私たちを愛して
なかったとしても。
それは私たちが死を選ぶ理由にはならなかった。
幸せの形なんて人の数だけ無限にあって、
人それぞれ違うのが当たり前で。
私ただ、美緒と二人で居られれば、
それだけで良かったのに。
それだけで生きて行けたのに。
それに、あと少し早く気づいていたならば。
それを美緒に伝えられたなら。
私たちの人生は、
もう少し違っていたのかもしれない。
でも。
私は、あんな残酷な光景を見せられないと、
家族と共に生きていられる喜びにさえ
気づけない愚か者だった。
それから私は看護師になった。
出来るだけ人の命を近くに感じていないと、
また、同じ過ちを繰り返しそうだったから。
そして私は他の人よりは短いけれど、
人生を生き抜くことが出来た。
やっと美緒の所に逝けるんだなって思った。
生き抜いたよって。
ただ、そう伝えたかったから。
死神様にあった時、正直、
死にかけの私の夢かもしれないと思ったけれど、
もし夢でも、最期に美緒に会えたなら。
そう思って願った。
それだけだったのに。
美緒がいないのは、どうしてなの?
ここにいないなら。
どこに居るの?
ただ、会いたいよ。
そうして、里緒は夢から覚める。
「………美緒………。」
眠る前まで見ていたのと同じ天界の天井を
見つめながら、姉の名前を呼んだ。
外はもう夜だった。
まだ少しだるさの残る体を
引きずるようにして部屋を出た。
「あ、ルミさん………。」
部屋を出ると、ドア近くの壁に
背中を預けてルミが立っていた。
「おはよう、里緒さん。
よく眠っていたみたいだけど、まだ少し辛そうね。
魂のためにも何か食べた方が良いわ。」
「あ、ありがとうございます。」
「体調が悪ければ無理にとは言わないけれど、
良かったら、屋上のテラスでどうかしら?
風が気持ちいいからいい気分転換になるわ。」
「ありがとうございます。
お言葉に甘えて、そうします。」
ルミが自分を気遣ってくれているのを
強く感じて、彼女についていくことにした。
○大図書館 屋上テラスにて○
「あの、ルミさん。教えて欲しいんですけど。」
食事が終わってから、里緒がルミに問いかける。
「お姉さんの事?」
「はい。」
「ま、そうだよね。
あなたが今、聞きたいことなんて、
きっとそれ以外にないよね。
うん。体調もよさそうだし、
そろそろ話しても大丈夫かな。」
ルミは里緒をじっと観察してから話を続ける。
もしかしたら彼女はタイミングを待っていた
のかもしれない。
「いい?落ち着いて、私の話を聞いてね?」
「………はい。」
里緒の返事を聞いて、ルミがゆっくりと話し出す。
「まず、お姉さんが天界にいない理由は
生きてるからじゃない。これは、良いわね?」
「それは、………知っています。」
残酷なほどに理解している。
「彼女は確実に死んでいるけど、
天界には来ていないの。」
「それは、なぜ、ですか?」
「たまに居るのよ。
帰って来れなくなっちゃう真面目な子」
「それは、どうして………?」
「本人がそう思っているから。」
「思ってる………。」
「こんな私は天国には行けないとか。
まだ世界に残らなくてはいけないとか。
そういう気持ちが強すぎて、
自分が天に帰ることを許さない。
だから帰ってこない、帰ってこられないの。
後は肉体を無くしたことに
気づかないって場合もあるわ。」
「じゃあ、そういう人はどうなるんですか?」
「自分の確固たる意志を持って
残ってる存在は気が済むまで
そうしてる。
肉体を無くしたことに気づかない子は
自分が死ぬ瞬間を永遠に体験し続ける。
第三者によって、自分が生者でないことを
認識するまでね。」
ルミは少し語気を強めて言い切った。
「そんな………じゃあ、美緒は、
まだ、あの場所に………?」
あの日の惨劇を、まだ自ら繰り返している
というのだろうか?
「気付いてないなら、そうね。
居たらラッキーだけど。」
「え?」
「ほら、最初に ここに来た時、
あなたに言ったでしょ?
体は失くなってもあなたの存在はここにある。
何もしないで居たら、自我を保てなくて
消えてしまうって。」
「ええ………。」
「それは、お姉さんも一緒なのよ。
ずっと最期の瞬間を経験し続けているなら、
体が無くなっても、自分が何者で、
どうしてそこにいるのかってことは
認識していると思うけど。
それでも経験しているのは激しい苦痛を伴うもの。
十年もその環境に身を置いて、
自我を保てているかは分らないわ。」
「っ、じ、じゃあっ、もし、自我が無くなって
たら?」
「悪霊に成り下がる。そうなったら処刑ね。」
「しょけい………。」
ルミの言葉に慈悲はなかった。
「悪霊になっても、その場にとどまっていれば、
お姉さんと認識して浄化できる可能性もあるけど
その場所からも離れていたら、
既に別な死神が浄化してるかもしれない。
いずれにしても、行ってみないと分からないわ。
でも
もし、そうなっていたら打つ手なしよ。
それでも、浄化されているなら、
苦しみからは解放されてるわ。
もしかしたら、そっちの方が幸せかもしれない。」
「そう、ですか………。」
絶望的な真実を知って、涙すら出なかった。
会えるなら、それはそれで嬉しいけれど。
もし、そうなら美緒はまだ
あの日の苦しみの中にいるということだ。
今、この瞬間も。
それは、あまりにも残酷で無慈悲な真実だった。
「結構、キツイ話だったかもしれないけど、
これが真実なの。
そのくらいお姉さんは生真面目過ぎたって事ね。
死にたくなる程、今の全てに執着がないなら
ぜーんぶ捨てて楽しい事をしたらいい。
わざわざ痛い思いをしなくても
苦しい思いをしなくても
人は、眠るだけで
何度でも死んで、何度でも甦れるのに。」
「何度でも死んで、何度でも甦れる..........」
――嗚呼、やっぱり私達は間違えたんだ。
私達はこの世界でそんな優しい見方を
見つけられなかった。
「もっと早く、生きてた時に、気づきたかったな.....」
里緒の瞳から涙が溢れる。
――もっと自分達のことを優しく思えていたら
私達の人生も、もっと違っていたのかなぁ.....
――ねえ、美緒。お姉ちゃん。
あなたは今どこにいるの?
里緒は心の中で姉に問う。
「私達には今、お姉さんの無事を祈る他に
できることがないわ。ごめんね。」
――無力で、ごめんね。
ルミは、心の中で重ねて詫びた。
「いいえ、ありがとうございます。
本当のことを教えてくれて。」
ルミの謝罪と誠意が心に染みて痛かった。
「さあ、そろそろ、下に戻りましょう。
風が寒くなってくるわ。」
「はい。」
すこしふらつきながら、ルミに連れられて
部屋へ戻る。
「ショックが大きくて眠るどころでは
ないかもしれないけど、
貴方の為にもちゃんと寝なくちゃだめよ。
私の力を貸してあげるから、ゆっくり休んで。」
ルミはベッドに横になる
里緒の額に手をのせて、優しくささやいた。
「はい、ありがとうございます。
ルミさん。おやすみなさい。」
「うん、おやすみなさい。」
ルミの手から、ふわりと紫の光が優しく広がり、
里緒を眠りへ誘った。
「ルミ。」
部屋を出ると圭吾に声をかけられた。
「圭吾、玲たちから連絡あったの?」
「うん。見つけたって。これから連れて来るから、
明日の朝には到着すると思うよ。」
「そう、間に合ったのね。」
「うん。ギリギリだったみたいだけど。」
「そう。まあ、なんにしても無事なら、
それで十分よ。」
「そうだね。ねえ、ルミ。」
「なぁに?」
「ルミは、ちゃんと里緒さんの為にできることを
してるよ。だから、そんな顔しないで?」
「うん、ありがとう。」
圭吾には全部、見透かされていた。
「僕なんて、もっと何もしてないけど、
待つのも仕事だって、ありすが言ってくれたよ。」
「圭吾はご飯の準備とかしてたじゃない。
十分働いてるわ。
でも、そうね。
今回は里緒さんが自我を失わずに、
安心して居られるように、
一緒に待つのが仕事よね。」
「うん。明日は再会の日だね。」
こうして夜は更けてゆく。




