寝惚けた悪魔と夢を売る吸血鬼の話
フィーナ・ラボラスは夢を追い求めている。
失われた技術で作られた人工妖精。傾国の姫に呪われた騎士の甲冑。異世界から流れ着いた異邦人。殺人鬼をモデルにした魔導人形。どれもこれも、フィーナにとっては浪漫の詰まった品々である。
商会からオカルト臭い品々を買い求めては、コレクションの部屋に並ばせるのがフィーナの趣味だった。
もちろん夢のある品ということでお値段は、一般人の年給とは桁違いにお高い。
フィーナは人より寿命の長い上位種族だが、べつに特別な仕事に就いているわけでもない。給金は一般人並み。それゆえ極限まで浪費を抑えて数年に一回、夢を買うなんていう楽しみ方をしてきた。
苦しみがあるからこそ、浪漫は樽で寝かせた酒のように味わい深くなる。より甘美に、より薫り高くなるのだ。
歴史の深い闇に埋もれた至高の品を手に取るその瞬間を待ち望んで、フィーナは寝ても覚めても果てない渇望にうなされ続ける。
とはいえ、その欲も今日でひとまず満たされる予定だった。
夜更けにフィーナが足を運んだのは、とある商会の地下展示場と銘打たれたオークション会場。薄暗い大部屋に並びたてられているのは、昼間の市場でお目にかかれないものばかり。
水晶の角を持つ少女、氷る吐息の竜に花冠を頭に飾る妖精。一際大きな檻に入れられているのは8つの首を持つ黒蛇。街を焼き払ったことで有名な魔女は、呪文を唱えられないように舌を抜かれ磔にされていた。ほかにも欠品と記された瓶に詰まった小妖精や、星形の頭に触手がついた名状しがたき生き物、羽を拘束された天使もいる。
人語を解す者は泣いて助けを請い、それが叶わないと知るや否や罵詈雑言をまき散らす。獣は怒りのこもった叫びをあげて暴れる。そんな様子を尻目に、入札する者たちは談笑する。ここはまさしく怨嗟の巣窟だった。
善人が見れば異様な有様に吐き気を催しただろう。でもフィーナは聖人でも善人でもない、自らの欲望に忠実な悪魔である。地獄のようなこの光景が何年経っても変わり映えしないことに呆れこそするが、それだけだった。
数年ぶりに見まみえる品々を物珍しげに観賞していると、突然フィーナの死角から短剣を持った突き出された。鈍く光る銀の刃が、コルセットで締めた脇腹に突き立つに見えたその時。ドレスの下から伸びた鞭によって刃は軌道を逸らされる。
まさに瞬きの間の出来事だった。この一瞬の出来事を知覚できた者は幸いにもいない。
フィーナは居住まいを正すと、背後を振り返り淑女の礼をとる。
「これは、これは。物騒な歓迎ですわね。遅ればせながらお招き感謝致しますわ、シャーロット様」
「再会を祝した熱意を込めましたのよ、フィーナさん。さっきの捌き方も素敵でしたわ。やっぱりあなた、うちの商品になるつもりはなくて?」
フィーナを見下ろす彼女は、異国の正装に身を包んだ年若い少女だった。艶やかな黒髪に垂れた目、年頃の娘らしく華やかな笑みを浮かべた彼女は一見してサーカスを見に来た純粋な子供のようである。しかしフィーナは神秘的かつ穏やかな印象を受ける物腰が仮面だと知っていた。彼女の本性は底なし沼の縁で獲物を待ち構えるワニのごとく、狡猾で他人の悲鳴が大好きなサディストだ。そうでなければこのオークションの主催者の席には着いていない。
先程繰り出された剣も、直撃していたなら命に関わる事態となっていたに違いない。フィーナなら危なげなく避けられるとはいえ、言葉通りの遊戯ではない。
フィーナの背中を嫌な汗が伝う。
一癖も二癖もある面倒な奴の話相手をするのも面倒だし、なにより自分を商品にだしたいと彼女は会うたびにお願いしてくる。彼女に捕まってしまうなんて運が悪いとしか言いようがない。
「いえ、商品になるつもりはありません。私は人を楽しませるより楽しみを見つけるほうに生きがいを感じるので」
「調教されていない商品はみな口を揃えてそう鳴きますけれどね、時が経てば遣り甲斐って言いますの? そういうものを見つけられるそうですの。だから安心して、フィーナさんもいかが?」
「いえ、だから私は……」
「あなたほどの綺麗な悪魔……。しかも戦闘にも差し支えのない力量を持つ知恵の悪魔なんて、わたくし見たことがありませんの。それはきっとこの会場にいる皆様も同じこと。あなたには過去に例をみない、巨額が賭けられるでしょう。心躍りません? ねえ、今一度、商品になる気は?」
「ないです」
「まあこれだけ尽くしても即答だなんて……。釣れないですわね、フィーナさん」
揺るぎないフィーナの水色の瞳と、冷ややかな色を湛えた金の瞳が交差する。
先に逸らしたのはシャーロットのほうだった。にこやかに笑顔を浮かべ、何事もなかったかのように話を続ける。
「お心変わりされたそのときは、ぜひ、わたくしに相談なさいませ。悪いようにはしませんわ」
「ええ。シャーロット様が親愛に満ちていることは覚えておきます」
二人は顔を見合わせ、気の合う友人のように笑いあう。
良かった、追撃はないようだ。フィーナは心の中でほっと息を吐いた。毎度毎度切り抜けているとはいえ、命を賭けた交渉だということには変わりない。少しでも付け入る隙を与えたなら最期、舌が回る彼女はフィーナを上手いこと丸め込み手玉にとってしまうだろう。手に汗握るほど緊張していた自分に気付き、薄く笑った。
「じゃあ私、これからゆっくり見て回りますので。またのちほど……」
緊張の時間は終わったとばかりに離れようと一歩下がったところを、シャーロットは好機とみたらしい。もったいぶらずに用意していた伏兵を出した。
「そうそう、あなた好みの商品を仕入れてみましたの。遠い異世界からの来訪者……黒い外套に身を包んだ少年ですわ。特別ショーでお披露目する予定でしたけれど、特別にお見せしましょうか?」
「異世界からの来訪者? なんてすばらしいの……! ぜ、ぜひともお願いしたいです」
「ふふ、焦らずとも逃げませんわ。ちゃんと拘束していますから。さあこちらにどうぞ、フィーナさん」
フィーナはいともたやすく引っかかった。
薄暗い大部屋には舞台のように一部カーテンが引かれた場所がある。関係者以外立ち入り禁止と書かれた張り紙をのけて、シャーロットはフィーナを導く。
案内された先は、幾つかの檻と見世物用の装置が仕舞われた物置のようなところだった。
「前みたいにゾンビだったり、謎の触手だったりしませんよね?」
「まあまあ、わたくしの手配を見くびっておいでなの?」
ふふっと笑うシャーロットに不信を隠せないフィーナ。かつて何でも目新しく感じたフィーナに、塵屑を売りつけたのは他ならないシャーロットだ。
押し売りしたり出会い頭に短剣を刺そうとしたり、まさに口八丁手八丁。油断のならない相手とはこういう人を言うのだろう。
「ああ、この檻の中です」
「おー……」
シャーロットが手を叩くと、檻にかけられていた布がするりと落ちる。露わになった黒鉄の檻の中で一人の少年らしき影が震えているのが見て取れた。
フィーナは首を傾げた。
「なんで震えているのです?」
「元いた世界には吸血鬼も悪魔も竜も存在しなかったようですの。最初はチートだのハーレムだのと煩く鳴いていたのですが、喀血してさしあげたら、この通り静かになってしまいましてね。本当は元気なんですのよ」
「血を吸い過ぎたんじゃありませんか? 人間は血を失うとうっかり死んでしまうと聞きました」
「そうですわね。私としたことが加減を間違えたのかも……でも些細な間違いです。死んでないから問題はない。そうでしょう? 今ならこの額でお譲りしますわ」
シャーロットは懐から計算機を取り出し、弾いて見せる。
「言っておきますけど、ゾンビを売りつけられたこと未だ忘れていませんからね」
「日頃のご愛顧への感謝を込めて特別価格ということにしておきましょうか」
シャーロットの細く白い指が、快い音をたて最良価格を示す。
それでもまだ数年間の給金が飛ぶような額だが、フィーナは頷いた。これ以上の譲歩を引き出すには自分の舌がまだまだ足りないことを自覚していたのである。
「お買い上げありがとうございます。では移動しながら、希望のオプションなどの話をさせていただきます。この場合は奴隷を購入という形になりますので、衣服などはこちらが用意させていただきます。といっても必要最低限なので……追加料金で……」
とんとん拍子に話は進み、追加料金まですっかり取られて数年ぶりの買い物は終わった。
さて今日フィーナの手に残ったのは、軽くなった財布と異世界人である。
異世界人。浪漫の詰まった言葉である。
幸いにも言語を強制的に理解させる魔術には心得がある。
上機嫌で家に連れて帰り、早速話を聞こうとして、フィーナは薄暗い闇の中では目立つことのなかった事実に気付く。
異世界人だという少年の、人にあるまじき蒼白な顔色と、尖りすぎた犬歯。吸血鬼によく似ている顔立ち。そして、口腔には発声に用いるには短すぎる舌があった。
「うーん? 人間の舌ってこんなに短かったでしょうか?」
少年は怯えの滲んだ顔でフィーナを見た。
「あー……チートだのって騒いだからって、まさか舌抜かれたんですか?」
少年がうなづいたので、フィーナは腕組みしてしまう。
この少年には悪いけれど、また吸血鬼に騙されたのだ。
「どうせあの女、異世界人の血とか舌とか商品にしてるに違いありません」
無意識にスカートの裾からはみ出した尻尾が強く地面を打った。
怒り狂ったフィーナがシャーロットの元へ押しかけ、ついでとばかりに高価なものを売りつけられたのはお約束。
異世界人の舌の代わりにフィーナが手に持っていたのは、ドラゴンの舌だった。
「わたくしも引っこ抜いて鑑定して驚きましたのよ」
「はあ」
優雅に紅茶を飲みながら、シャーロットはそんなことをのたまう。
フィーナはそんなシャーロットにうんざりした顔で相槌を打った。
「属性を問わずすべての魔術が唱えられる舌なんて見たことありませんしねえ。商売しがいがあるというもの……いえ、魔術研究に協力できてうれしいですわ、ほほほ」
「たしかに魔術の研究者には有用な資料でしょうけど……」
「今度、異世界人が入荷したらフィーナさんに真っ先におしらせいたしますわ」
「待っています」
異世界人の舌はフィーナでは手が届かない値がついていたので諦めた。無敵な魔術が唱えられる舌だから高いそうだ。
ドラゴンの舌を縫合すればゾンビも火を吹けるようになるので、普段使いするならそちらのほうが有益だとフィーナは思う。というわけで購入した。
「ところでフィーナさん、そのドラゴンの舌、まさかあの異世界人に縫合してあげるつもりかしら?」
「ええ、そのつもりです」
なぜかシャーロットは笑顔のまま沈黙した。
「だからこのドラゴンの舌に使ったお金は、けして浪費ではないです。そう必要経費。このお金って、補償されませんよね?」
「されませんわよ。さきほどお伝えしたとおり、購入した時点の商品の具合しか補償しませんっていうのがうちのルールですもの。あの少年に舌がないのはフィーナさんと会わせたときからですから」
「屁理屈ですわ。そうやってシャーロット様はいつもわたくしに意地悪ばかりなさるのです」
「あら、オークションに参加した時点で了承のサインはいただいているはずですわ」
シャーロットの言うとおりだった。
フィーナは出されていた紅茶を一息に飲み終えると、立ち上がった。
「あらもう行ってしまわれるの?」
「ええ、家で舌を欲しがっている子を待たせているので」
「フィーナさん、わたくし吸血鬼の前は人間でしたので忠告いたしますが、人間は自分の体の部品に愛着を持っているのがふつうなので……」
シャーロットが何か言いかけているが、フィーナの耳には届いていなかった。
ちなみに人間の体の部品を取り換えられるもののように考えているのは、フィーナがいままでゾンビやフィーナと同族の体しかいじくりまわしたことがないからである。少年から拒否されるかもしれないとは微塵も考えていない。
「それじゃあ、失礼しますわ。シャーロット様」
挨拶を済ませると、フィーナは煙のように消えてしまった。
あの少年にドラゴンの舌の価値がわかるわけがない。
縫合したいといってもロクなことにならないだろう。
フィーナがシャーロットの元から去ったあと、シャーロットは笑みを浮かべていた。
「愉快ですわね、フィーナさんは」
永遠に近い寿命を持つ種族ゆえの特性か、失敗から学ぶということができないらしい。こんな悪質な商売人から非合法なものを買って痛い目を何度もみて、それでもなお買い物をやめようとしない。
学ばない。ただ熱烈に未知を求めている。
シャーロットからしたらまったく騙しやすくて良いことだ。
フィーナは懲りずに数年後また夢を買いに訊ねてくるのだろう。
シャーロットは変わらず寝惚けた悪魔に夢を売りつける。
「知恵の悪魔のくせにこんな馬鹿な奴ははじめて。わたくし、あなたみたいな人嫌いじゃないから、これからもたくさん可愛がってあげますわ」
文句を言いながらも羽振りのいい悪魔の顔を思いうかべ、不死身の吸血鬼は愉快に笑った。