#000001 改
ネロはニコリと微笑むと、目の前に立つ自分よりも頭一つ分ほど背の高い女性、ビアンカに勝負を申し込んだ。ビアンカも剣士の端くれ。ネロの挑発するような笑みに、プライドが燃える。
(……受けて立つ)
ネロの指が柄頭に、ビアンカの指は柄に。互いに帯刀したそれに手を伸ばす。
ネロは素早く画面を操作すると、ビアンカも同じように自らの画面を開き、『◎』――すなわち、承諾へと指を滑らせた。
合図が響き渡り――ビアンカは大きく前へ飛び出した。
突き、突き、突き。高速に繰り出される剣先はどれも正確にネロを襲う。
ネロもそれを軽々と避ける。体を一回転させ、時に、体勢を低く。舞った髪がビアンカの剣に掠り、一束空へ舞い散ろうとも、顔に浮かんだ笑みは消えない。
次の瞬間、ビアンカは右足を踏み込む。
(懐へ!)
突き上げ――はじかれた刀身が明滅した。
形勢逆転。ネロの剣がビアンカを襲う。彼女の優雅なステップは、ビアンカの剣をいなし、受け流しては徐々にビアンカとの差を縮める。
(しまった!)
ビアンカがそう思った時、すでに相手はグン、とスピードを上げていた。
詰まる間合い。低い体勢から繰り出されるネロの剣。
一太刀。
それはビアンカの懐を大きく払いあげた。
(くっ……)
ビアンカは衝撃を利用して、体を後方へとひねった。
――一度距離を開けて、体勢を整える……!
宙を舞い、ふわりと着地。
それを見たネロが満足げな笑みを浮かべる。ここまでの応酬、一瞬の判断、体幹の良さ……。どれをとっても好敵手である。
ビアンカは肩で息をする。対して、ネロの呼吸には一つの乱れもなかった。
剣を再び構えなおしたネロが、かわいらしい笑みを浮かべる。
ビアンカは、その笑みにピクリと反応した。
(余裕、ね……)
ビアンカの顔から笑顔が消え、その瞳には鋭い光が宿った。
ビアンカのまとった雰囲気が変わった――ネロが察するやいなや、ビアンカの剣はネロのもとへ伸びる。先ほどよりも、遥かにそのスピードは速い。続く一撃、ネロは反射的に剣を交え――
目を見開いた。
ビアンカの重い刀身が、自らの刀身を持ち上げるように滑っていくのだ。
バチバチと音を立てる火花の熱が二人の体温を表し、心臓を素早くたたく鼓動が無意識のうちに二人を駆り立てる。
やがて、ビアンカの剣から繰り出された風圧がネロの体を宙へと押し上げた。
(すごいパワー……)
でもっ――ネロは、着地した足で地面を素早く蹴りつけると、ビアンカの懐へ飛び出した。
――今!
ややビアンカのステップが乱れた瞬間。ネロは大きく体をひねり、その剣を振りかざす。
――来る!
ビアンカはその剣を両手で受け止める。が、そのパワーは尋常でなく、すさまじい風圧と衝撃がビアンカを襲う。
(まだっ……!)
ビアンカは素早く体勢を立て直した。目の前の相手にその刃を突きつける。
青い閃光が瞬き、再び大きな爆風が視界を奪うも――噴煙を物ともしない両者の剣。鋭い金属音が三度響き、ネロの振りかぶった剣がビアンカへ。
舞っていた砂埃は一瞬にしてさらわれ、ビアンカの髪がたなびいた。
(剣が、重い……!)
合わさった刀身に、そう思ったのはどちらだったか。
呼吸の間さえ与えぬ伯仲。
――それも長くは続かなかった。
わずかな、ほんの一瞬のタイミング。ネロはビアンカの剣を薙ぎ払う。一閃。その剣先が鋭く彼女の左太ももをえぐる。
(っ!)
ビアンカは右足で踏ん張った。痛みを追ったばかりの左足を大きく踏み込み、ネロのもとへと突っ込む。ネロの素早い突き。それを交わし、再び剣を重ね――
刹那。
(ぐっ!)
ネロの体に衝撃が走った。ビアンカの左拳が鳩尾に決まる。剣ばかりを気にしていた彼女の体にスキが出来ているのを、ビアンカは見逃さなかったのだ。
(まさか、こんな……)
予想外の攻撃にネロの体が後退するその瞬間、ビアンカの青い閃光が、ネロの深紅の瞳を貫く。
(これで決める!)
すさまじい噴煙が再び二人を飲み込み――
(なっ!)
あの攻撃をかわされた!? 一撃を放ったことで一瞬の油断が生まれたビアンカ。その目に映ったのは、ネロの美しい紫の閃光。直後。
ビアンカの体が宙を舞う。続けざま。ネロの次なる一撃が向かってくる。
しかし、ビアンカもこのままでは終われない。
(こんなところで、負けてたまるか……!)
ビアンカはすぐさま右足を大きく後ろへスライドし、そのまま右手を引く。
「はぁぁぁああああっ!!」
ドォンッ!
貫くような爆音と豪風。二人の閃光が交わり、視界がカッと激しく瞬く。逆光に浮かび上がった二人の真っ黒な影が、周囲の人々の目に焼き付いた。
戦いは終わらない。
立ち込める砂煙。周囲の人々は、そのわずかな綻びに二人の少女の姿を見る。
――粉塵を貫く二本の剣。
再びその衝撃に轟音が響き渡り、あたりは白煙に包まれた。
……気づけば、ビアンカの体は後方へと弾き飛ばされていた。
「はっ!」
ビアンカが前方のそれに気づいた時、すでに成す術なく。宙に浮いた体はもはや自由が聞かず、剣をふるうこともできぬ。そのスピードには追い付けない。
ビアンカの瞳に映った、ネロの瞳。
徐々に近づき――やがてビアンカの視界はその美しい深紅の瞳に支配された。
「キャァッ!」
「っ!」
ネロの一撃によって起こされた爆風に、周囲の人々は思わず身の危険を感じ、顔を手で覆った。数メートルは離れているというのに、体が後ろへと押し付けられる。
波が大きく立ち上がり、海面を揺らした。
来るはずの衝撃に耐えていたビアンカは、その双眸をゆっくりと開く。
自らの体に突き付けられた切っ先。
――それが、勝敗のすべてを物語っていた。
「いい試合だったわ。ありがとう」
ネロはケロリとした笑みを浮かべて、ビアンカの肩に手を置いた。先ほどまで、あれほど激しく戦っていたのがウソのように、飄々としている。
ビアンカは、そんな彼女に唖然とするばかりだった。