第六話 回顧、邂逅、揺れる天秤
先刻、過去に干渉することを断念した良正は、自他共に認めるバカ勇者様の『教師になってほしい』という――願望に等しく一聞利己的にも思える、事実この上なく利他的な――提案を甘んじてお受けしようと、そう考えていた。
それでも。
――俺なら、例え過去相手でも対抗できるはずだ
やはり、気がかりの規模と不遜なる自尊心から諦めきれない彼は、
“何故、過去に飛べなかったのか”
を、一から、零から再考するのだった。
✣
先程、良正が『流石に過去が相手では……』と思ったのは、過去へ行くことは理論上不可能だからである。
その反対、と言ってはなんだが、未来へ行くことは理論上可能なのである。
それは確か、天才・アインシュタイン博士による特殊相対性理論の話。
良正が、人を天才などと一括りにするのを嫌う性分ということはここでは抜かしてよかろう。
その内容はと言うと、『万物は光より速く移動することはできず、光速に近づくにつれ時の流れが遅くなる』というものだ。
これを用いれば、誰だろうと未来への切符を手に入れることが出来る。
身近な例を挙げると、光速に勝るはずもないが、新幹線という高速移動可能な乗車物の内部の人は、自力でなくとも、外部から見れば立派に高速移動していることになる。
そして、そのことは外部の高速移動していない人と比べて光速に近い状態にあり、時の流れがほんのわずかではあるが遅い。
故に、内部の人は下車の際に、光速に近い――時の流れの遅い――空間から時の流れの速い空間へ移動したことになり、より進んだ時に移動したことになる。
――つまり、未来へ行ったことになる
一方、相手が過去となると話はまた変わってくる。
過去への行き方として現在考えられているのは、光速を超えて空間を零秒以下で移動するというものである。
しかし、そんなことはバカでも解る、現実あろうはずがなく、叶うわけがないのだ。
そのため、先の『どうしようもない』へと繋がるのである。
「もう一度考えたって、無理なものは無理だよな……」
――はぁ……
目を閉じ思考をあれこれ巡らせ続けていた良正は、やめだやめだ、とそれを鬱憤の放出に併せて片隅へ放棄した。
「さーてと、そんじゃま……今一度この薄ら三白眼を見開き、しかと現実を、見てやらあっ!!!」
威勢に割合わず、恐る恐るそーっと、睫毛一本一本の動きまで感じながら、それらを離していく。
「……!? おいおいおいおい……こりゃなんの冗談だ? フラッシュモブとか言うやつか……? へへっ、異世界でそんなの笑うしかねぇぞ……」
開眼一番、良正が目にしたのは奇妙な動きをする召喚士たちであった。
「平然と後ろ向きで歩いてやがる……皿の食べ物が減らずに次々増えてる……これって、まさか……!」
――時が、遡行している
なんと、『わずかに動いた』のは未来へ、ではなく過去へだった。
「ま、まさか、な……」
良正がそれに気づいて間もなく、世界はコマ撮りのようにかくつきながら動くようになり、次第にパラパラ漫画を思わせる滑らかさになっていく。
その目まぐるしさに、良正は思わず再び目を閉じる。
――パタン。
次に彼が見た世界、その動きは不自然なほど自然に、ぴたり停止していた。
よくよく周りを見渡すが、いどうやら良正は過去に飛んできてしまったと考えて間違いなさそうだ。
その証拠に、良正の胸の辺りはまだズキズキと痛んだまま、彼を取り囲み、召喚士連中がその手当をしている最中だ。
丁度、彼女の例の提案により痛めつけられた直後と見える。
“今度は何故、過去へ来られたのか"
ここで、良正はこの不可解で奇怪な状況について考える。
彼がどのように詠唱をしたのかを考えると、答えはすぐそこにあった。
「過去をフレーズとして入れずに【時空跳躍】とシンプルに言ったことで助かった、のか?」
――跳躍によって光をも超える速さで時空を移動し、過去というイメージだけを保持することで両方を兼ね備えた結果を得られたのか
良正は驚きながらも、あくまで虚構の域を過ぎない推測かもしれないが、ものの数秒で解を導いてみせた。
そこは本来、流石と賞賛されるべきところなのだろうが、そんな彼に気づく者は誰一人としていない。
「ふぅ……そうか。よかった……」
「――ね〜え〜! 人が謝ってるのに、な・に・が『そうか。よかった……』なのかな〜? も〜、おっかし〜!」
「あ、あははは……」
安堵も束の間、そう言えば彼女から謝られるのもこの頃だった。
雲行きが一瞬怪しくなった気もしたが、何とか雷は落とされずに済んだ。
――彼女が学才をあまり持ち合わせてなくて、疑問を解決せねば気の済まない気質じゃなくて良かった
良正は心底、神の存在というのを信じてみたくなった。
その後は同じ台詞を言わせるため、なるべく一度目と同じような言動を取り、なぞるように進める。
そして、遂に待ちに待った場面。
「――いや〜、さっき説明されたことがまさかあんなことだったとは」
さっき説明されたこと? あんなこと?
まさか、俺が受けた説明と同じものをあいつも受けていた?
いや、受けていなくては了承も契約も成り立たないはず……
あいつは全てを知りながら俺に苦痛を与えていた?
だとすれば、あいつが理解していようがいまいが、これは断頭台に上がるべき大罪だ……!!!
良正の怒りはマグマのようにふつふつと、腹の底で煮えたぎる。
「アイツは、大罪人だ……!!」
込み上げた怒気は遥か頂点まで達し、堪忍袋の緒が切れ、勢力を拡大し噴出。
次の瞬間。
「チッ、このアマがァッ! この場で死を以て詫びろッ!! その首根っこ掻っ切って血祭りにしてくれるわァッ!!!」
「お、お待ちを……」
「――邪魔だァ……老いぼれの出る幕じゃねェ……」
放たれる邪気を不審に思って寄ってきたガロの静止を振り切り、その腰に差した白金の短剣を引き抜き奪うと、彼女の元へ疾走。
ねっとりとして冷ややかな、それでいて狂気を孕んだ、特異で未だ感じたことのない雰囲気に、その場の誰もが蝋人形の如く青ざめ凍てついた。
「くくくっ……面白くなってきましたねぇ……」
――パチンッ
が、良正は良正で、また別のことに恐れをなしていた。
――身体が動き出してしまった、前に走り出してしまった
――アイツに、近づいていってしまった
そして。
「ん〜、ぽいっ!」
「ふぇ、ふぇぇええ……ぷぎゃぁぁぁああ……!!」
彼女が零した言霊とも言えぬ擬音ひとつで、良正の身は軽々と宙に浮き、大理石の壁へと無秩序に放り投げられた。
堅固な壁に打たれた全身がひしひしと痛み、立つことさえままならない。
案の定、彼の懸念していた最悪のシナリオ通りとなってしまった。
彼女――【伝説の勇者】には敵わないのではという懸念、惨敗するというシナリオ。
だが、良正の心はもうとっくにへし折れているはずの身体とは裏腹に、アドレナリンが過剰分泌されてか、いつになく燃えていた。
その心は、より確固たる意志を持ち、先の曖昧さを帯びたものとはひどく乖離している。
良正は語気を強めて彼女に言い放つ。
「――お前は今、此処で倒すべき存在だッ!!」
「え〜? なになに〜? わたしを〜? も〜、冗談よしてよ〜!」
無数の暗雲の立ち込めた天に、一閃の霹靂が哀しげに轟いた。