第五話 勇者 転職 [検索]
視界右、小洒落たゴシック様式の硝子窓から見えたのは、先の晴天とは打って変わって、暴風吹き荒ぶ猛烈な雷雨だった。
✣
「――貴方様は【伝説の勇者】を獲得なされず、此方の方が【伝説の勇者】となられました」
一人の老僕による一言で、良正の約束されたはずの有頂天異世界人生ジェットコースターは止まることない急降下を始めるのだった。
ここにいま俺が(召喚されて)いる意味は!?
ここで俺はこれからどうすりゃいい!?
その女(多分女子高校生)は誰だよ!?
etc……
泉水のように次々湧き出す、当てのない問は良正の器を埋めつくし、脳内CPUをオーバーヒートせしめた。
そんな彼を見かねてか気を利かせてか、ガロはすっと話しを切り出す。
「此方に召喚、すなわち【伝説の勇者】! ……という訳では残念ながら御座いません。候補者の方と我々、双方の合意ができ次第、称号の授与をさせて頂く形式となっております。ですので、召喚と言っても候補者の方を召喚しているに過ぎないのです」
「でも! ……俺たちの間で合意って、ありませんでした?」
「ええ。仰る通り、なのですが……」
その一言に、込もる想いを世界で唯一最も知るガロは、今日何度目かの沈黙に入る。
そこで。
「合意について、ですがねぇ……早い者勝ち、なんですねぇ」
詰まるガロの代わりに、今度は上司であるミスリルが継ぐ。
「と言うと、その娘の方が俺より早かった、と」
「えぇ、あと五秒ほど早ければ貴方になっていたんですがねぇ」
「だから途中、ミスリルはいなくなってたってわけか」
「ご名答、ですねぇ。我々としても、急展開続きで何が何やら……しかしまぁ、何だか申し訳ないですねぇ」
その説明で全てに合点のいった良正は、妙に凛としてこう継ぐ。
「――解った。もう過ぎたことだ、仕方ない。が、俺はこれからどうすればいい? 召喚されて、ここまで大事な話を聞かされて何もしないのも癪に障る。どうせ元の世界には帰れそうもないし……何でもいい、何か俺に出来ることはないか?」
彼の秘めたお人好しが先行してしまった。
そう、彼は自己愛者であるとともに、隠れお人好しでもあった。
――でも、冷静に考えて非力の俺に出来ることなんてあるのか?
彼は自己愛者でありながら、しかし、己の見事なまでに醜悪な非力ぶりを承知していた。
そんな不安を抱きながら返答を待っていると、【伝説の勇者】となった彼女がじっと凝視してきた。
彼女はそれをしばらく続けると、何を思ってか良正に話しかけてきた。
「ねぇねぇ、おに〜さんっ! あなたって――頭、いい?」
「ん? 俺か? まあ、少なからず何の脈絡も挨拶もデリカシーもなく、知らない男に話しかけてしまえる君よりはいいと思うけど?」
良正は鬱憤ばらしに、と冗談交じり六割で返す。
「にひひっ! そりゃそ〜だよね〜。おに〜さん、わたしより年上みたいだし〜。オーラ、ってゆ〜のかな〜。なんてゆ〜か、勉強をずっしり背負ってる、みたいな〜?」
すると、彼女もそれに対して、歳に似つかわしくない豪傑笑いを添えて返してくる。
中々に癖の効いた返しではあるが。
「俺は勉強を背負って生きてなんかいねぇし、そんな大それた人間でもねぇよ。あと、勉強を十字架みたく言うな。そりゃ、価値の計り知れない一生ものだが、そんな重いもんでもねぇよ」
「ん〜。それは〜、あの〜なんてゆ〜か〜。そう! 雰囲気だよ、ふんいき。ね〜?」
そういうものなのか、と良正は腑に落として次に進めることにした。
――俺が折れない限り、話がずっと尾を引いて長くなりすぎてしまう予感がする……
――それにしても、出会って早々騒がしいやつだ。元気があっていい、と言えばいいのだろうか
また、良正は彼女のことを話す相手などいないにも関わらず、要らぬことを思案していた。
「わたし、こう見えてバカだからさ〜。【伝説の勇者】とかコトノハ? とか言われてもちっともピンと来ないし、語彙力なんてないし……」
「何がこう見えてだ。君風に言うならオーラがドバドバ溢れ出ちゃってるよ。もう雑巾一枚じゃ拭いきれないくらいにな。それで、俺に何をしろと?」
ツッコミまでして、思いの外、良正は彼女との談笑を楽しんでいた。
「えっとね、その……あの……」
勇気を振り絞ろうと葛藤している彼女とそれを待つ良正、の中にミスリルが突然ふっと割り込み、
「あぁ! そう言えば召喚は一回一人、十年間隔ですねぇ」
何かの参考に、とでも言いたげな含みのある微笑を浮かべると、また独り去っていく。
「いや、待て待て。言い逃げすんな。ってか、確実に今じゃないだろ。雰囲気、雰囲気! こっちでホカホカに出来上がってんだからよ……ん!? 待てよ、十年に一人……ってことは彼女、俺より年上!?」
あまりに藪から棒が過ぎて良正も混乱しているのか平生とは違い、グダつきながらミスリルに返す。
「いいえ、きっと違いますねぇ。こちらで十年と言っても、貴方の世界では一年程度ですかねぇ」
ミスリルは言い逃げせず、しっかり足を止め背を向けながら話した。
「んも〜! 女の子に年齢の話とか、リルもおに〜さんもよくないな〜」
「リル?」
「あ〜、ミスリルのあだ名ね〜。さっき廊下歩きながら決めたんだ〜。ちょ〜かわいいでしょ〜!」
にひひ、とまた女子高生とは思えぬ笑いを見せ、脱線した話を繋ぐ。
「――じゃ〜なくて〜! リルのせいで色々こじれたけど……よ〜するに〜! わたしが勇者で、こんなへっぽこってきっとマズいでしょ〜? て〜わけで、おに〜さんがわたしの教師してよ! その方がこの国にとってもいい事だし、おに〜さんも職が手に入るわけでしょ〜」
――だめ、かなぁ?
……ぶすり。
確かに、胸の辺りから体中を伝って嫌な音が聞こえる。
上目遣いの女子高生の醸し出す甘美な雰囲気が、猫なで声で紡ぐ言葉が良正の心を呑み込み、突き刺さす。
「………っ、ノ…まれェ…るッ!?」
(訳:ゔがっ、呑み込まれ、るっ!?)
「え〜。なになに〜。おに〜さん、急にど〜したの〜?」
良正は被召喚時の意識の海に引き摺り込まれる感覚と似たものを覚える。
「……あのなぁ、思いを……込めすぎ、だ」
「込めすぎ〜? わたしは今、マジメなお願いしてるんだよ〜。それは無理な話だよ〜」
クリティカルヒット!
満塁ホームラン!
かいしんのいちげき!
胸を締め付けられ、抉り取られるような苦しさを同時に感じる。
しかし、彼の身体が悲鳴を上げているというのに、その鮮血は一向に視界に登場しない。
彼女の言の波は良正の痛覚に直接働きかけているのだろうか。
「……下手に……使う、な」
「あ〜! そういうことね〜! ふっふ〜ん。それはね〜、わたしバカだからね〜。じゃ〜も〜喋らないよ〜だ!」
無念、彼の想いは届かなかった。
発言のどこをどう解釈すると喋らないという結論に至るのか、彼にはどうも解らなかった。
そのため、喋ってどうにか説明しようにも二の舞を踏むに終わるだろうし、未だ熱を帯びる熾烈な苦痛は続いている、と良正はとるべき行動を悩む。
しかし、ふとした瞬間、ひらめきの神が舞い降りた。
――そういや、言の波と言ったか
――あれ、俺に適性があるんだったら使えんじゃね?
良正は最高最適なタイミングで閃き、それを最大で実行に移す。
――言葉、言葉……あ! この場にぴったりな言葉がひとつある、これはイケる
「【以心伝心】ッ!!!」
たった七音に己のありったけをぶつける。
声に出したはいいものの、良正にはまだ恥じらいがあった。
当然、周りの叔父様連中はミスリルも含め皆ぽかんとしているし、それっぽく言ってしまったのも相まって、良正には羞恥心協奏曲が聞こえてきていた。
――それよりどうだ? 本命には、こいつには伝わってるか?
諦めるべきを諦め、願うべきを願い、思案しているとそれは突然だった。
「ああぁ〜〜〜〜っっっっ!! わかった〜!!!」
彼女が部屋中、いや建物中に響き渡るこの日一番の大声で喚き出した。
「んだよ、伝わったか。なら……よかったわ……」
「口で説明されるより、こっちの方が断っ然わかりやすいよ〜。いや〜、凄いね〜、こんなことできるんだね〜!」
手間を省いて楽してしまったな、と良正は思っていたが、それでも彼女に思いが適切に届いていた。
効果について聞くと、相手が思っていることが直接脳にビビッとくるらしい。
――これからこいつとやっていくには必須詠唱になりそうだな……
良正は少し呆れ、安堵の笑みを浮かべながら思うのだった。
✣
「――さっきはごめん。わたし、あなたに酷いことしちゃった。いくらわかってなかったからって」
治療等々も済んで一連の騒動が収まると、彼女は良正に謝りだした。
よっぽど後悔の念があるらしい。
――そんなに思いつめなくていいのに
――でも、後悔し反省することで人は強くなるからな!
良正は早くも教師目線に立っていた。
結果、ただ格好つけしい感じになってしまっている。
「いや、俺のことは別に心配しなくていいよ。まあ、苦しかったには苦しかったんだけど。お前がわかってくれたならそれだけで万々歳だ」
――十字架になって背負われたら困るしな……
「ところで……って、あれ?」
そんな話の途中、彼は驚くべき光景を目の当たりにした。
抜けてくるとも告げずに急にどこかへ行ったと思ったら、何故か彼女がミスリルたちに謝っていたのだ。
――何かやらかしてたっけな、あいつ
良正には、その理由が今ひとつ解らなかった。
彼女が極悪非道でも悪徳な人間でもないと解った今だからなおさら。
心では大丈夫と思っているが、気になってしまうものはしまうのでそちらに傾聴すると、
「心配かけてごめんね〜。いや〜、さっき説明されたことがまさか、あんな事だったとはね〜。とっても便利だけど危険も伴うよね〜、あれ!」
「「「「「「「「「は、はぁ……」」」」」」」」」
彼女の言葉にミスリルたちが困り果てている。
揃いも揃って『はぁ』としか言えてない。
――あはははは……は? ちょっと待てよ……?
良正には、彼女の何かが引っかかって、何か言っていたような気がしてならなかった。
よし、使っちゃおう! と、覚えたてほやほやの言霊の行使を実践しようとする。
――えっと、時空系かつ過去志向か? いやいや、まずそんなビンポイントなもの存在しないだろ……?
致し方なく、ここはゴリ押しでいくしかないと腹を据える。
「【時空跳躍】」
現代物理学を遥かに飛躍した挑戦に、良正はその人生一の恐怖から目を閉じる。
――ま、まさかとは思うけど……某“奇妙な冒険”のアイスに食われて異次元に飛ばされた後、残ったのは腕だけで、ドアップからの『バァーン!』とか、そんなことない……よね?
そんな漫画のような妄想をするうち、良正の全身の筋肉は強張っていた。恐怖のためであろう。
彼は入念にマッサージして筋肉と恐怖をほぐすと、やっとの思いでその重い瞼を開ける。
そこには、目を閉じる前とほとんど変わらない、僅かに進み、動いただけの光景が広がっていた。
流石に過去を相手取ってはどうしようもないか、と良正は諦めようとした。
しかし、やはり、なんと言っていたかが物凄く気になってしまう。
――いやいや、それはもう過去のことだ
小さいことは綺麗さっぱり忘れ、過去を捨て去り、教師への就職を甘受しようとする良正だった。