第二話 自己愛者《ナルシスト》には敵わない。
――大学生。
それも、大学四年ともなると、こういう話題が界隈で犇めくのが日常の一幕である。
無論、かく言う俺も例外ではない。
「――そーいえば君、進路とかってどうするつもり?」
「いや、どうって言われても、なあ……?」
話の脈絡というものを無に帰した友人くんの問に、思わず困惑してしまう。
さっきまで、あんなに禿頭について熱く語ってたろ、何故かは知らんが。
呼称を可愛く変えるべきとか、そうでない側が意識を変えるべきとかトンチンカンなことを。
――冷めが尋常じゃなく早すぎやしないか!?
――流石のジョーズさんも驚愕の速度だよ!?
問に対する順当な答えが即座に出てこない俺は、確実に強ばった微笑で誤魔化す。
「うーん。あれかな、やっぱり就職かな? まー、君のそのねじ曲がり、ひん曲がり、歪みまくりの三拍子揃った性格じゃあ到底無理だろうけど」
どこか含みを持った表情で友人は言う。
どうやら俺は、茶を濁すのに成功したらしい。
「いや待て。無理なんていつ、どこで、誰が決めたんだ? てか、そんなCR社会不適合者、的な三拍子揃えるスロット回したつもりゃねーよ。しかも、全拍子ともてめぇが言いたいのは、つまりは俺が歪曲してるってことだろ!」
「そーゆーとこだよ、そ〜ゆ〜とこ! ん〜。そ〜だな〜。君の質問に答えるなら、いま、ここで、この僕が決めたのさ!」
「あ゛!?」
くすくす、と意地悪げに笑う友人に若干の苛立ちを覚え、
「なら、そんな返ししかできないお前も就職は到底無理だ」
と、オウム返し。
「同僚も上司も、いつしかの部下もみんな、お前の相手役なんざ可哀想だ」
とまで付け加えてやる。
「そ〜なのかもね〜。なら、無理同士もっと仲良くやろ〜ね〜!」
「真っ平御免だぜ……」
戯言に戯言を重ねるミルフィーユ仕立てのログを残しつつ、肝心の回答を先延ばしにしていく。
別に答えずにやり過ごすつもりでも、答えたくないわけでもない。
自分にしては珍しいと思うのだが、そこに未だ躊躇があるから、その瞬間までこうしているだけのこと。
この大学四年という身分になってから、就職なんてものは自分の性に合わないと常に思索してきた。
客観的に視ても、となると、覆しようのなさをより実感できる。
一連の流れを回顧すると、これまでのことが嘘のように実に清々しく、何もかもが吹っ切れた気がする。
ならば、ここにはもう迷いも躊躇いもあろうはずがない。
今後いかなることがあろうと、俺の心は壊せない。
――では。
幼時から寸分揺らぐことなく、城石の如く固めてきた我が夢をこの心友殿に打ち明け申す。
「おほん。皆の衆、よく聞き給え! 我のかねてよりの野望を申すでな……」
俺の深奥にある真剣さを汲み取ってか、平生は和らいで見える友人の表情が凛としたものへと瞬時に切り替わる。
「――やっと、か」
そして、実際は一人である衆は数人を物の見事にかわるがわる演じ分け、擬似的衆人環視をつくりだす。
こりゃ、傍から見たら一丁前に不審者である。
と言っても、この様を傍から見られる奴、俺しかいないんだけれど。
そんな無様を横目に見ながら、すぅーっと大きく深い呼吸で息を整え、ごくり生唾を腹に押し込んで宣言に入る。
「我、即重版級の超人気小説家になる」
陽が西へと傾くにつれ、妙に冷え冷えとして静まりかえる廊下。
現在時刻は午後三時過ぎだが、秋という季節柄故かもう冷え込んできて、人気はどこも講義中とあって全く無い――元よりこの物寂しいの具象化のような場所には無いのだが。
そこに反響する俺なりに魂を込め、格好つけて出した声。
――これは、どっちだ? 良いのか? それとも悪いのか?
間が恐ろしくなってくる若干の時間差の後、
「……え、待って、本気? いやー、さすがに冗談、だよね? でも、本気って言うなら、やっぱり君は面白い男だよ。こりゃ、『大言壮語』ってやつだね!」
心友くんがすっと口を開く。
が、その言葉に嫌悪感を抱いた俺は、その意を伝えるべく、なるべく重なるように食い気味に言う。
「お前な、大言壮語って。その言葉の使い方、違うからな! 正しくは、『実力不相応な大口を叩くこと』を指す言葉なんだからな……いいって、心配するな。俺には不安など微塵もない。我が天武の文才を以てすれば……って、聞いてんのかっ!!!」
――その言葉を境に、鮮明だった俺の意識は電源を抜かれたようにぷつり途切れた――
✣
『ああ、さっきまでのどこか腹立たしい絡みがなくなった』
どうやら五感が正常も何も作用すらしていないらしい。
それなのに、何故か心地良さだけは、感じる。
心に直接訴えかけてくる、まっさらなキャンバスのような、汚れない澄み切った心地。
やけに気だるけな昼食後の、ゆっくり時が流れていくあの感覚。
まるで、悠久の時の中にでも呑み込まれてしまったかのような。
――心地良サニ、蝕マレ、何モ出来ズ、タダ、堕チテイク
――意識ガ、徐々ニ、ソノ底ヘ、ユックリト、堕チテイク
何かに耳元で囁かれ、静かながらも誘われている。
『んんッ!? これは、俺の置かれているこの状況は……一体全体、なんなんだ!?』
俺の心中はそんな未聞の疑問に一気に満たされる。
しかし。
『こんなことで終わる俺ではない』
『俺は超人気小説家になるんだ』
俺の圧倒的な自己愛と、一度決めたら絶対曲げない頑固さは絶大だった。
深く暗く何もない底知れぬ意識の海原から、足掻き藻掻きながらも何とか這い上がり、正常な意識を取り戻した。
――おもいの強さというのは、実に偉大である
勢いに乗った俺は、この状況の不可解さと、それが内包する恐怖から逃れられないものかと模索するが、現状では為す術もない。
ひとまず、周囲の状況把握のため全神経を一点集中させ、よく耳を澄ましてみる。
当然、五感が働かないということは聴覚もそれであり、耳を澄まそうと何も聞こえやしない。
――はずだった
が、鼓膜が微弱な音が飛び交い、網膜が光子が宙を舞うのを感じ取っている。
とてもゆっくりではあるが、徐々に感覚が戻り始めているらしい。
これは、俺にとって大きな収穫だった。
✣
自分の感覚がほとんど戻ったと解ったのは、触覚が戻った時だった。
俺は生まれつき、他人と比べて触覚が鈍いようで、幼少期には『肩つんつん、振り向くと頬をぷにっとされるやつ』が効かなかった。
ギリギリを狙う悪戯らしく、仕掛けてきた奴はみな口を揃え、
「異常なまでに気づかないから、どこでバレるかわかんなくてこれ以上強くできなかった」
とぬかしやがっていた。
要するに俺は、底知れぬ鈍感触覚くんの飼い主なのだ。
つまり、そんな俺でもなにかを触覚で感じ取れたということは、他の感覚も戻ったと言えるのだ。
――そんな俺の触覚が感じ取ったのは、かけ布団だった
虫とか何かの粘液とか、そういった変なものでなくて嬉しいはずなのに、妙に悲愴感たっぷりの俺であった。
✣
――で、これまた一体、どういう状況だ?
硝子窓から差し込む陽光が目に眩しいベッドの上、すっかり感覚が戻って気分よく目覚めた彼の胸中はそんな一言で埋め尽くされていた。
ベッドと言ったが、それは決して彼の所有物を指す語ではない。
「ふわふわのかけ布団、輝く天井、本もその棚も痕跡すらない部屋……」
まず、起きてすぐ目に入った天井からして彼の部屋では到底ないし、視線を落とす先々全てに彼は見覚えがなかった。
それは断じて彼の記憶能力が劣っているだとか、忘れてしまっただとかの類ではない。
彼には、そう言い切れる絶対の自信があった。
✣
鈴木良正は平成生まれの純日本人である。
彼の齢は二十一にして、その人生を隅々まで語るとなるとそれ相応の時間を要す。
して、そうするのは難儀なもので、全て割愛する気概で彼について簡潔に説明するなら『超人気小説家を目指す国立大学四年文系男子』となる。
詳細にと言われれば、『就職をなきものと考え』が付加されるといったところだろう。
そんな良正に言わせれば、
「現役国立大学生の記憶能力が劣っているわけない」
ましてや、
「自分の部屋について忘れることなどあろうはずない」
のだ。
さらに言わせれば、
「俺ほどの人間が」
というのもあるだろう。
そう、彼は基本性質として自己愛を持つ自己愛者なのである。
✣
良正は、この状況に陥ってからその不可解さを晴らせていなかった。
故に、もう一度ゆっくり瞼を閉ざして思考を巡らせる。
――ふぅ。冷静に、ここは落ち着いて一から整理しよう。えー、起きたらベッドの上でした……って俺はどこぞのヤンキーかっ! 笑えねぇ冗談じゃねぇかっ! てか、倒れたのか……え、まさか急死!? なら、俺はもう霊体かっ!!! いや、布団に触れているなら違うか……」
不可解さが完全なる恐怖へと変わり、不動となった瞼を感じながら、彼は声高くひとり喚く。
そうでもしないと気が持たなかった。
良正の心は思いのほか脆弱なものだった。
と、次の瞬間、彼はハッとした。
友人から聞いたとある話と今の状況とが酷似していることに気づいたのだ。
――これは……異世界転生、というやつなのか?
【異世界転生】
それは、現世で一度死した後、異世界へと転生する、というライトノベルにおける王道ジャンルの一種である。
その大半の主人公は強大な力――チート等を有し、『俺TUEEE!!!』と呼ばれるものも少なくない。
そのため、似たり寄ったりな作風になりがちで、人気が出るには読者を圧倒し、その世界に一気に引き込んでしまえるだけの意外性が必要らしい。
……と気づくと同時に、良正には異世界転生におけるそれと自分の現状に、心が洗われた気がした。
しかし、同時にあまりにピッタリすぎるとも思えた。
やはり不自然さの拭いきれない状況である。
――何が起きて今に至るのか解らないが、もし何らかの形で死に絶え、この得体の知れぬ部屋へと転生していたとしたら
いや。
「そんなことが起きるかっ!! 最近は徹夜しがちだったから、単に貧血とかの体調不良で倒れただけだなっ!!!」
そう言い切ると、良正はその両の目をクッと見開き、くるまった厚めの布団からガバッと這い出ようとする。
良正の心に棲みついた恐怖は一瞬にして消え失せた。
彼の心は思いのほか変わりやすく、女のそれのようだった。
が、その時、彼の耳に聞き覚えのない男の低めの声が入る。
「――あの、お目覚めになられた、のでしょうか。いや、流石に早すぎるか……」
その声に驚いた良正は、動きを止めて咄嗟に起きていない体を装い通そうとしてしまう。
しばらくそうしていると、その声はぶつぶつと何か呟き出した。
「うむ、【伝説の勇者】様がお目覚めになったと思ったが、思い違いだったようだ」
――【伝説の勇者】って、まさか俺のこと?
正体不明の男の一言で、良正の自己愛者の心に一気に火がついてしまった。
着火が上手くいき、火種から炎へと完全に調子づいた彼は身を覆う布団を床へ放り、
「俺、【伝説の勇者】! ただいまお目覚めになりましたっ!!」
ベッドの上に飛び上がり決めポーズをとると、小っ恥ずかしい大見栄を切るのだった。