第二十二話 再挑戦、否、初挑戦。上
【教師生活初日・午前七時頃】
眠りから覚めた朝陽が寒秋の冷ややかな大地を温めだした頃、良正はアスカをその背に担ぎ歩いていた。
ほぼ行動不能状態にある彼女を。
✣
「まだ日の出頃か。もうちょっと話していられそうだな」
良正は空が明らみ、彼方山の端を照らし出しているのを目視し、アスカに告げる。
「うんっ! ほんとだね〜! あっ、思えば、こうやって二人でじっくり話すのって初めてだね〜!」
「そーかもな!」
「はははっ」「にひひっ」
良正とアスカの二人は互いに赤裸々に談笑し、場は他愛ない話で盛り上がっていた。
まだ起きていない人の部屋の、外開きのドアの前で。
――そして、事件は起きる
突如、目の前のドアが漢の威勢のいい声と共に猛烈なスピードで開き、アスカを突き飛ばしたのだ。
その儚げで華奢な体躯をした彼女は石壁に身を打ち付けると地面にバタリと倒れ伏し、一度ぴくりと震わせたかと思うと、その後は全く動かなくなった。
その衝撃音と言ったら凄まじいもので、ドガッ! ボガッ! とまあ、そんな具合の轟音であった。
✣
現在、アスカはと言うと良正に担がれてひとつ上の階のミスリルの元へと搬送されている。
寝巻き姿のドアを開けた張本人――フェルナンド・セルバドスを従えて。
「これって、この状況ってマズいのかッ!? アスは大丈夫なのかッ!? なあ、良正ッ!?」
別に彼の不注意でこうなった訳でもないのにフェルナンドは動揺している。
どちらかと言えば、いや確実に周囲に気を配らなかった二人の落ち度なのだが。
「まあ、マズくないと言ったら嘘になるかもな。俺も医者じゃないから正確なことは言えるないけど、【伝説の勇者】であり活発ガールなアスがこうなってるからな。一概になんとか言えはしないな」
声色を落として深刻そうな面持ちで、完璧な演技をして求めているであろう返答を自然に行う良正。
これは彼なりの、現状下での最適解を慮った結果である。
というのも、フェルナンドには「君に非はない。こちらに非がある」などと言ったところで通じやしない。
ごく短い時日しか触れ合っていない良正でも感じている、感じ取らざるを得ない、そんな性格的特徴。
フェルナンド・セルバドスは、なんでもかんでも兎にも角にも、自分に落とし込みやすい性質を持つ人間なのである。
事の真偽など関係なく、いついかなる時、誰がなんと言おうとだ。
これを単に「責任感」と一括りにするのなら度が過ぎている気もするほど。
しかし、だからこそ数多の偉業を成し遂げてこられたとも考えられる。
『天才と馬鹿は紙一重』とはよく言ったものだ
良正は心中で世に跋扈することわざを噛み締めるのだった。。
「ま、まさか……死んでしまったりはしない、よなッ!? もしもそうなったら、どれほど謝ろうにも済まされないよなッ……」
フェルナンドはまた顔面蒼白で継ぐ。
――それはいいのだが
良正にはひとつ気がかりなことがあった。
フェルナンドの寝巻きである。
なんというか、個性的というか主張が激しいというか、表現に困る。
無邪気な昭和の少年の着ていそうな単色シャツに短パン、その端々はほつれている。
人が着ている姿を見ない限り、ボロボロすぎてただの布切れか何かと思ってしまうと思うほどに。
色味も放置のしすぎなのか、くすんでしまって本来の色の上に鈍色が重なっている。
その上から謎の布を一枚被っている。
形状からローブらしいが、良正には見たことのないものだった。
昔、団内で使っていたものとかだろうか
良正はローブの観点だけで推測した。
最後になるが、全体的に筋肉のせいでパツパツ、数センチでも動かしたらはち切れ筋肉カーニバル。
そんなに無理してまで着るものかよ
ファッションをよく知らず壊滅的な良正でも、これは違うと確信できた。
そんな訳だが、これは個性・主張が激しいと言って然るべきである。
こんな様の筋肉隆々巨漢が目の前にいる、吹き出してしまう条件が完全に揃っている。
加えて、あたふたと忙しなくハエのように周りを動き回っている。
そんな状況で、良正は笑いを必死にこらえて演技をしているのである。
誰か俺の代わりにこの立ち位置やってくれ!
と、思ったとてそんなことなど出来ようがないので、仕方なく大人しく淡々と執り行っているだけである。
さてさて、もう持ちこたえようにも限界が近い
良正は諦めて苦笑でも浮かべながら、さらりと聞いてみることにした。
「全く関係ない話だが、フェルナンド。お前のそのよくわからん服装はなんだ?」
「さらり」とまではいかなかったが我ながら上手く聞けた、と良正は内心誇り顔。
フェルナンドは呆けた顔で良正を見ながら、
「ああ、これか。これはだな、寝巻きだなッ! いいだろッ!」
と大きくニッと笑みを浮かべて答えた。
良正はその返答に不安になって更に聞きただすと、
「それは見れば何となくわかるわっ! けど、なんでそうなるかな?」
「なんで、と言われても……普通に、なんとなくで選んだしな……」
困ったなぁ、とフェルナンドは首を傾げ眉を八の字に垂らしながら答えた。
その一言で正確に理解できた。フェルナンドは本当にファッションセンス皆無の芋貴族なのだ、と。
もうミスリルの部屋前に着いたし、これ以上この話を続けても埒が明かないので、「もういいよ」と良正は終えた。
――アスが起きた後にでもコーディネートしてもらえばいいか
名案を思いついた、とキラーンポーズをする良正だった。
✣
「ん〜、これくらいど〜ってことないね〜。ただの軽い脳震盪だから〜」
ミスリル大先生による診断は、軽度の脳震盪。
「「うぉぉおおおっ!! ……よかった〜」」
安堵の瞬間であった。
破裂寸前の風船のように張り詰めていた空気がすっと抜け、消えた。
良正とフェルナンド、加害者と目撃者の二人は掌を合わせ歓喜を分かち合う。
籠から放たれ自由の翼を得た鳥のように解き放った感情を各々体現する。
良正は言動ともに「バンザイ」をしていた。
ビリリィッ!!!
その横から何やら嫌な音がした。
――コレは……
その方を見やると、案の定、割れた風船みたいな衣服の残骸とはだけて上裸となった筋肉漢がいた。
「モストマスキュラー」の名で呼ばれるポージングをしたのが。
「……なにやってんの?」
歓喜の渦は消滅し、悲哀の渦が発生した。
✣
【午前七時半】
夜明けからここまで紆余曲折? あったが朝食の時間となった。
良正は、まだ小さなたんこぶを腫らすアスカの隣で食事をとる。
肝心の話はまだフェルナンドに切り出せていない。
「では、ディル・ドラゴ・マンジェ」
「「「「ディル・ドラゴ・マンジェ!!」」」」
シェイルベルの合図で一斉に食べ始める。
この呪文みたいなのは日本の「いただきます」的なものらしいが、良正は意味不明のままだ。
「自分で調べろ」とシェイルベルに言われたが、良正は授業の方が重要、と調べてない。故に、今のところなんとなくでやっている。
『ドラゴ』とあるから龍との繋がりやリンガドルとも……とは考察している。
しかし、良正は知らないというのに何故かアスは知っているらしい。
きっと誰かに教わったんだ、俺と違って誰からも好かれてるからなっ!!!
アスカの人気に良正はだいぶ嫉妬していた。
皆がある程度食べ終えたのを見て、良正はあの話を切り出そう
としたのだが、
「皆、オレから話があるッ!! すこしだけ聞いてくれッ!!!」
威勢のいい声に遮られた、フェルナンドの声だ。
良正は思いもよらぬ展開に、立ちかけていた身体を椅子へと再び沈める。
「実はだな、昨日の棄権の話なんだが、やはり破棄しようかと……」
懺悔に満ちた翳のある顔で話し出した。
それは良正にとり、もはや驚天動地の内容だった。
昨日とは正反対の意見にすりかわっている、何故そうなった
良正は不思議、不可解といった心情を抱く。
「これには訳があってだな、さっきオレがアスを傷つけてしまうということがあった。直接ではなくても傷つけてしまった、俺のせいだった。」
「いや、わたしのせいだって言ってるのに〜」
「まあまあ。一旦話を聞こうぜ、アス。続けてどうぞー、フェルナンド!」
アスカを止め、何とか話を続けさせる。
「ありがとう、良正。オレはこうなった原因は、執り行うはずだった第三戦をなくしたからではないかと。どこかでリンガドル様がこの行いを見ていらしたのではないかと思うんだ」
そう来たか、と良正はフェルナンドに感心する。
ダイアスは平和主義国であると同時に、親龍的な面も持ち合わせている。
フェルナンドの考えはそれに基づくもの。特に王側近とあればなおのこと。
「おお、そうかそうか。『絶対』とか言ってたのにやってくれるんだな。それはこちらとしてもとてもありがたい。でも、これだけは俺に言わせてくれ」
そう言って立ち上がり前へ大きく出ると、良正は継ぐ。
「――俺と戦ってくれるか、フェルナンド」
「ああ、もちろんッ! だが、オレもそれ言いたかったんだ。一応、念の為、オレのパターンもやっておこうッ!!!」
フェルナンドもやりたかったようだが、
「おうよ、ってやる必要なくねぇか? 一応とか念の為ってなくね?」
「いや、あるかも知れんッ! あと、必要はおおいにあるッ!! 俺の沽券に、俺の筋肉に関わるッ!!!」
理由も漠然としている、くだらない話だった。
✣
こんなの続けたところで何が残るわけでも、きっとない
でも、こういうのがいいんだ
誰だって、余剰を楽しむものだから
「異世界」、なんて一見物騒で忙しなさを感じるが、この場所――ダイアスで余剰を楽しめているのは幸福ってところかもしれない
それでも今はこの幸福に縋っていよう
そんな風に考えが及ぶほど、良正はこの異世界を堅実に過ごし、幸福を感じ謳歌していたのだった。
――ところで、沽券はいいけど『筋肉に関わる』って何?




