第二十話 少年の日の思い出
ミスリルの【不思議の国の女王】に幽閉されたものの、クッキーを食すことで脱出を果たした良正。
現実に戻ると時を同じくして、彼はミスリルに再度臨戦態勢をとられ、
「なんでああも簡単な道ができちまってた、まあいいか、現実で殺れば――」
飄々と言い連ねられる。
しかし、良正にはもうミスリルと拳を交えることは、彼を倒すことは出来なくなっていた。
それは、ここまでの全てを通して、ミスリルの本質的な人間性を見て感じてしまったから。
その深奥にかなしみを、やさしさを垣間見てしまったから。
良正には、こう思えてしまった。
いま激怒しているのは、人との思い出のため
幻覚からの脱出が簡単だったのは、俺を逃がすため
真の姿を見せないのは、過去に何かあったため
良正は、ミスリルにこう言われている気がした。
僕を、解放して――
だから、その全てを受け入れてやらなくては、と思ってしまった。
こりゃまた、お人好しのせいだな
自分のことをつくづくバカと思いながら、その場で直立不動を貫く。
「良正、てめぇ、何してんだっ! 今は戦いの真っ最中だぞっ!! 俺様は殺るだけだがなっ!!!」
ミスリルが荒々しく言う。
そんなこと、良正だってわかっている。
けれど、それすらどうでもいいと思えるほど、ミスリル・ゴルベールという人間の感情に彼は触れてしまった。
良正にはもう覚悟ができていた、どんな危険が伴おうとやってのける覚悟が。
「俺は表だろうと裏だろうと、どんなお前でも絶対受け止めてやる。お前の抱いてる感情全部受け止めてみせるから、」
こっち、来いよ。
そう言って慈愛に満ちた笑みを浮かべ両腕を広げ、ミスリルを待った。
「そんな腑抜けたことを言って、俺様を止めようってかぁ? 何ともくだらねぇなぁ、言ったろ『もう止められない』ってよぉっ!! 死ねぇぇえええっ、クソ良正ぁぁあああっ!!!」
しかし、想いは届かなかった。
両腕を上方に伸ばし大空へと掌を向け、ミスリルは詠唱を開始。
――【四大精霊・火蜥蜴の劫火】
寸刻、闘技場に太陽を思わせる火球がボウッと現れる。
小さな霊術士は、それを地蔵のごとく不動の青年に向け投下。
勢力を落とすことなく落ちゆく火球。
それでもなお、地蔵は動かない。
「おいッ、良正ッ!! このままだと確実に死ぬぞッ、おいッ!!!」
「そうだッ! お前にはまだ使命が残っているだろッ!! くっ、馬鹿野郎がッ……!!!」
「やだ、死んじゃうなんて絶対やだよ。ぐっちゃん、もうやめてッ!!!」
涙ながら男らは諭し、大粒の涙を地に落としながら少女は訴える。
しかし、青年には届かない。
否、届いていたが、無意味だった。
――アス、ごめん。俺にはもうこれしかできないんだ
言霊を使った青年は少女への弁明をする。
――やだ、やだ、やだーーーーーーーーーっ!!!
青年は言霊を解除すると、ひとり考える。
本物の馬鹿は、俺だったな
その時、火球は目前まで来ていた。
「じゃあな、みんな、強く生きろよ」
遺言めいた言葉を口にし、青年は火球に包まれた。
瞬刻、あたりは火の海と化す。
そこに青年の亡骸はなく、髄まで燃え尽きたとその場の者はみな青ざめる。
「いや、違うよ。確かに生きてる……」
その虚構に一人、少女だけが気づく。
そう、青年は生きていた。
✣
火球を下ろす中、ミスリルは泣いていた。
あれ、俺様は何で大粒の涙を流して泣いてるんだ
俺様は、俺様は何を求めてたんだ。
違いを認めてくれる人、あの人みたいな人を求めてたのか
良正とあの人を、いつの間にか重ねていたのか
いつだかあの人も、こう言ってたっけ
ミスリルはふと昔のことを思い出すのだった。
✣
あの人に初めて会った時、金目のものを狙って攻撃を仕掛けたのを覚えている。
結局、あの巨大な黒龍に敵わなくてそれは叶わなかった。
その後、あの人に連れられて一緒に生活を共にするようになっていた。
何故かと聞くと、
「君は、あの街の中でひとりぼっちだった。そんな幼子を儂は見過ごせなかった、それだけだよ」
と柔和な微笑で答えた。
その時、変わった人だと思った。
また、心を許せるとはこういうこのなのかとも思った。
俺様にとって初めて赤の他人から他人へと昇格したのは彼だった。
急にこんな質問をすることもあった。
「ミスリルよ。君は、君だけにしかできないことは何だと思うかね?」
「それは、異常なまでの表と裏の切り替え、とかですかね」
素直に頭で思った通りのことを言うと、あの人は少し首を傾げながらこう言った。
「そうか。でも、儂はこう思う。君が君としてここにいる、それだけで十分君だけしかできないこと、とね。誰だろうとそうだ。そこにその人として存在している、その事実をつくりだせるのはその人ただ一人ではないか。これこそ、その人だけにしかできぬ素晴らしきことと思うのだ」
この言葉に震えが止まらなかった。
何も言い返す言葉はなかったが、ただ、何だか泣けるものだった。
彼は、彼だけは自分を理解し認めてくれている、肯定してくれている、受け止めてくれている。
そう感じて涙が止まらなかった。
「……ひっぐ…っ……ぐすっ……はいっ! おっしゃる通りですっ!」
溢れ出した二つの水滴が、細く長く頬を伝っていくのを両手でどうにか抑え、少し赤らんだ目のまま今までで一番の笑顔で答えた。
それでも、あの人は何かものを言いたそうにし、急に口を開き、
「あと、そこまでして笑顔を見せようとしてくれなくて良い。儂はここに連れてくる時にも言ったかもしれないが、君の喜怒哀楽の全てを受け入れると覚悟して連れてきたのだ。だから、泣きたいのなら泣けば良い。笑いたいなら笑えば良い。怒りたいなら怒れば良い。そういうことなのだ。君は今、泣きたいのだろう。ならば、こちらへ来て泣くがよい。落ち着くまで一緒にいよう」
と言った。
あの人はこう言って僕の全てをいつも受け入れてくれた。
優しく温かく迎え入れて、そっと抱き寄せて受け入れてくれた。
✣
でも、そんな彼はもういない、それは事実。
――俺様を受け入れてくれる人間なんて、誰一人いない
ミスリルはそう思っていた。
だけど、俺様の目の前には良正がいる
底なしのお人好しが、あの人みたいな人間が
「――っ、、、」
そう思った時、涙の粒たちがゆっくり頬を伝い、地面にぽろぽろと落ちた。
そして、下ろした火球の軌道を逸らし、良正の方へと歩み寄る。
良正は目の前に来たミスリルをそっと引き寄せ、ぎゅっと抱擁した。
「そうだよ、ミスリル。そうやって心を開かなきゃ、この世は動き出さない。君が俺を信じてくれて心の底から嬉しい、はっちゃけたいくらいだ。これからはこうやって、みんなでさらけ出した状態で認め合えるといいな」
――そういう時に、人ってのは輝くんだぜっ!!!
ニコッと晴れやかに笑う良正の姿に、その言葉に、あの人が重なって感情が込み上げ、溢れる。
「ぅう、うわぁぁあああ……っ……ぁぁっ……」
ミスリルは降参をした後もずっと、落ち着くまで良正に抱きついていたのだった。
「第二戦、中堅ミスリル・ゴルベール対鈴木良正。勝者、鈴木良正」
審判のシェイルベルが形式上勝敗を言い渡す。
危機的状況はあったものの、中堅ミスリルとの第二戦も良正は勝利を掴み取り、最後は大将フェルナンドとの第三戦のみとなった。
「あぁ、よかっ、た……」
一同が駆け寄る中、彼はミスリルの手から離れ、地へと倒れ伏した。
――激動の一日が、終わりを告げた




