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第一話 ある大学生の話

 

「ふわぁぁぁぁぁ……はぁ」


 ねっむ。


 吐息と溜息との狭間に揺らぐ、えも言えぬ声で、しかし、確かに紡ぐ。


 文学部在籍の人間を一学年根こそぎかき集め押し込めようと埋めるにはまだ遠い、やけに広やかで、かつ閉塞的な講堂。


 一学生の欠伸ひとつでは乱し壊し得ぬ、奇怪で、志怪で、醜怪な空気。


 勘違いを起こして欲しくないのだが、ここで言う『壊せぬ』とは『積み上げてきたものを壊す』意など断じてない、ただの咳払いや欠伸程度の『外力では壊せない』の意である。


 実際問題、この程度は理解していて欲しいという『イデアル』。


 ちゃんと――それっぽく発音するなら『アイディール』。


 ――まあ、これは別に要らぬ話か


 つまり、『デストロイ』ではなく、かと言って『ルーイン』でもなく、あくまで『ブレーク』であるということを心得、肝に強く深く銘じておいて欲しいというわけだ。


 そうしていてさえくれれば、ガラ悪く放課後に呼び出したり、詰問に近い形をとって何か咎めたりすることは絶対ないと永久保証できる。


 こちらとしても、してもしなくても保証しておきたいところだが、後で相手と勘違い、行き違い、仲違いとなってしまっては人間誰しも過去をキツく咎めたくなるものだろう。


 そういうことである。


 ――以上。


 厄介な与太話を見事完結させたところで残念なのだが――いや、疑念なのだが、この場合に関して言えば、厳密には『スポイル』なのかもしれなくはないだろうか。


 いやはや、英語というものは我々日本人にはどうも扱いにくく、時折こちらが踊らされているだけに思える。


 気分はさながら、哀れな『傀儡かいらい』と言ったところだろうか。


 ――ああ、嫌だ


 これまた、英語では『マリオネット』とでも言うのか。


「はぁ……」


 本日何度目かの溜息。


 それでもやはり、()()()ようだ。


 この際、『何度目か』の実数なんてのはどうでもいい。


 数えられるを数えないのが好きになっただけだ、やむにやまれず、仕方なかろう。


 講義中だから、と言っても慣れないものは何とやら。


 むしろ、潜在意識から何から、講義を受ければ受けるだけ拒絶の色が濃くなる。


 心身が呼応するように、体外へ鬱憤を発散させるように()()が再び。


 ――もういい、これを最初で最後の一回目にしよう


 それだけ思考し終えると、嗜好とも言える行動への志向をし、講堂最前の時計へと視線をやるのだった。


 ――至高の時間に出逢うために


 ✣


 何物に囚われることもなく、誰彼に躊躇うことなく頬杖をつき呆けた()()が一人、講堂最後列の隅にぽつり。


「そろそろ、かな」


 青年はその出で立ち同様呟くと、何やら指折り数え始める。


「十、九、八、七……」


 毎秒毎秒着実に、一つ一つ下ろされる青年のそれを、誰も気に留めない聞いてすらいない、あるいは認識すらしていないかもしれない。


「あー、このコマやっぱダッリィ〜。てか、この後お前ん家泊まってっていい? 俺ん家は今、妹友達らに占拠されてて居場所ねぇんだわ……」


「ま〜た、急なんだから……いいよ。なんなら……ずっと……」


「マジ!? 恩に着るわ、今度メシでも奢らせてくだせぇ! じゃあ、今日明日はヨロシクな!」


 と前列の幼馴染男女は独自の世界を創り、それっぽい会話をしているし、


「でー、あるからしてー、この文は……」


 講義を進めている最中である最前の教授に至っては、物理的にそれが聞こえるはずもないのだが。


「三、二、一、――ゼロ


 その瞬間は、本時の結論に入ろうとする教授を遮るように到来した。


 青年の心中を推し量るかのように、終わりを告げた。


 同刻、講堂には優しく抱擁する鐘の音が響き渡り、漂流し滞留していた空気の塊は入れ替えられていくのだった。


 ✣


 俺はいつも通り、当前のように、これが世の摂理と言わんばかりに、酸素希薄な講堂を鐘の音を率いながら飛び出し、鉄筋校舎にしては古びれ割れタイルの続く廊下を全速力で駆け抜ける。


 そして。


「俺の一日は終わったぞぉぉぉおお!!!」


 今日一日、出入口を堅牢な――防犯目的の――鉄柵フェンスに閉ざされた監獄まなびやに収容されてから許容量を超えても溜め続けた、穴という穴から溢れ出しそうな諸々を、猛者の叫喚に換えて憂さ晴らし。


 講義終わり、疲労の色が十二分に染み込み、焼く前のフレンチトーストのように草臥くたびれた紳士淑女がそこらにいることなどはばかることはない。


 そして、その誰もがこちらに氷点下の視線を送ってきているように思えるが、これも知ったことではない。


 ――警察に通報? 大量のスパム? 上等だ、クソ喰らえ

 

 しかしながら。


 こうも多くの白眼視を一挙に集めるのはこの最悪な人生史上初ではなかろうか。


 思い返してみても、学校一優秀で塩顔イケメンと謳われていた新任の男性教師を授業中に盛大に論破してやったことがあったが、その時でも精々クラスの女子全員分だ。


 ――嘘である


 その後はと言うと、登校し、離着席し、廊下を歩行する度、クラスから学年へと勢力を広めた結束バンド級に強く固い団結力を誇る女子たちから、この世のありとあらゆる罵詈雑言を喰らった覚えがある。


 今にしてみれば、あれは半ばイジメチックだった気もする。


 ――いや、きっとそうだったのだろう


 しかし、その代償と言ってはなんだが、男子連中からの信頼は絶対のものとなったのだから、必ずしも苦い思い出とは言えない。


 それは、今回も。


「これまた一興、かな」


 どうやら如何なる物事があろうと、終着点は同じらしい。


 それもそのはず、俺は普通を、一般というものを忌み嫌っているのだから。


 と言うのも、これには海底二万マイルよりも深い理由があって。


 近親者のせいと言っても過言ではないというか、社会全体のせいというか、取り巻く環境含め万物のせいというか。


 ――いっそ、森羅万象とでもしておこう


 したとて、流石に神仏の琴線に触れるほどではあるまい。


 神も仏も、天使も悪魔も、これしきで揺らいでしまうものをお持ちとあらば、それはもう『人間的』が過ぎてお釣りが返ってきてしまう。


 それに、今はこれ以上、こんな非建設的な思考をしているいとまはない。


 この地点、この時点の俺から切り捨て放すように置き去りにして、歩を進めねば。


「えー、紳士淑女の皆々様におかれましては、四限終わりとあって困じてござりましょうが、私も嬉しうて嬉しうて仕方ないのでござります。どうかお許しくださりますよう」


 では、と正面の輩に手早く別れを告げると、その隙間を縫うようにすり抜け走り出す。


 目当ての場所はもう近い。この突き当たりの階段を上って、上って、上るだけ。


 しかし、一段二段と進んでいくごとに段々と足が――特に太腿が乳酸とか言う清楚系ビッチみたいなやつのせいで重く硬くなり、鋼鉄と化す。


 毎度のことだが、こうも苛んでくるというに止められずにいる俺。


 災難である他ないというのに、俺という奴も懲りないものだ。


 そうこうしているうちに、最後の踊り場。


 ここまで長いようで短い、そう、夏休みのような、それでいて濃密な道のりだった。

 明日も明後日も続くのだろうが、今だけは今日という一日をどうも趣深く思える。


 ――普遍の中にある千変万化より、千変万化の中にある普遍のほうがなんぼも価値あると思うんだけどな


「んんっ。あの〜、新歓でダサイって言われて角縁メガネ卒業したコンタクト歴四年のそこの人〜。なんだか目に涙を浮かべながら感慨に耽ってるみたいですけど、それよりやることありませんか〜?」


「……は?」


 聞き慣れた、慣れすぎてしまった声が、俺を深層からサルベージしやがった。


 ――いいとこだったのに。これくらいいいじゃないか


「チッ……でしょ〜。はいはい。はやくしてよね〜」


「……べーっだ!」


 こいつと関わる時、俺はやけに感情的になりやすい。


 そして、その大概は俺の心がこいつに全て筒抜けなためだと思う。


 こちらがどんな心操だろうと、筒抜けなのである、多分。


 ――なんで


「なんでいつもこうなんだぁぁぁああ!!! ……って感じかな〜? だから、毎度言ってるでしょ〜。()()()()()()()で、理解にはまだ遠いって」


 最終的には経験則になっちゃうしね〜、といかにも愉快といった風である。


 そのため、こいつとのやり取りが俺の思惑通りに進むことなど雀の涙、いつもやんわり言いくるめられて終わるのだ。


 ――止められずにいるのも、このせい、なのかもしれない


「わーったよ。てか、この会話は圧倒的ロスタイムだろ。あとでちゃんと引いとけよ」


「は〜い。僕もそこまで厳しい人間様に堕ちぶれたつもりはないよ」


 ――何を言うか、この化け猫の皮のハイブリッド被りが


「んん〜!? 誰が何のハイブリッドだって〜?」


 これもバレてんのかよ……


 恥の上塗りみたくなってただ虚しくなる。


「んじゃま、これでラストだぁぁぁああ!!!」


 しかし、話にも「いい加減」というものがあるので、ここらで終わらせることにしよう。


 うぉぉぉおお、と雄叫びをあげながら、目の前のド腐れ大学生目掛けて走る。


 やっと。


 ――最後の、一段……これで、解……放……


「はい。三分半遅れ」


 急に改まって計測員は言う。


 ――それ、ロス引いてねぇだろ


「引いても、三分。誤差だよ、誤差」


 カップ麺が完成し洗練された形態への変化を見せるか、異形への第一歩を踏み出すかの誤差。


 そう言って、倒れ伏した俺に言葉を突き刺す。


 ――割かし大きいとは思ってんじゃねぇかよ


「ジャストタイミングの、ロケットスタート、だったのに……」


 ギリリ、と疲弊し床に突っ伏していながらも歯ぎしりする。


「ちょ〜っとフライング気味だったんじゃない? だからスタートで炎上するんだよ〜?」


「それは、マ〇カーだけだ」


「そ〜かな〜?」


「もういい。早く上げろ」


「面倒なプリンスだこと」


 そうは言うものの、柔和で敵を作らぬ笑顔でこちらに手を差し伸べ、俺はそれにしがみついて起き上がる。


 ここまでが二人のテンプレートであり、こうでなくてはむしろ歯痒く感じる完全パッケージ化されたものである。


 お決まりの場所、四限終わり――事実上の大学生活一日の終わりであり、最もゆったりとした心地よい一時。


 細長い大学廊下の隅も隅。大の大人が二人でいるには僅かばかり狭苦しく感じられる、そんな所で、俺は友人と駄弁るのだった。


 ✣


「で、今日はどんなズルしたんだ?」


 万引き常習犯に問いただすように重厚な声音で言う。


「僕が着くのがあんまり早いからって、ズルとは心外極まりないな〜。失言だよ、し・つ・げ・ん!」


 そうは言われても、言われ続けても、引き下がれない理由が俺にはある。


 だって、聞いたことあるまい。


 道が入り組み、まともなストレートなんて無いこの監獄まなびやコースで、階段も含め総距離約五百メートルを一分ちょっとで走りきってしまう晩年帰宅部男子大学生。


 ――こんなの


「ズル以外の何物でもない、か。でも、よ〜く考えてみて」


 ほら、僕って何でもできるでしょ?


 耳打ちしてきた嫌味ったらしいそんな言葉に、言い返すことができない。


 その実、彼は文武問わず何でもかんでもこなしてしまう天才であり、勉学も運動も音楽も、何もかもを至高のパフォーマンスで魅せてくれる。


 本気を出したら、国の一つや二つ破滅させてしまいそうな狂気も時折覚える。


 彼の場合、その『破滅』は絶対に『ルーイン』だと確信できる。


 天災、と呼ばれる存在が今後現れようと言うのなら、彼を超えなくてはならないと思うと、可哀想にも思えてくる。


 どう考えたって「俺の屍を越えてゆけ!」とか言いそうにないし……


「はぁ……それもそうか。はぁ……」


 と、踏まえるべきところを踏まえた結果、いつもこうなる。


「さっきから溜息多いよ〜。無い幸せが逃げてきますよ〜」


「るさい。少しは黙れんのかね」


 彼の中で一番汚く無邪気な笑顔が光り輝く。


「んじゃ、この前の話の続きなんだけど……」


 俺は呼応するように繕った笑みをにっと滲ませ、匙を投げ、話題を逸らすのだった。


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