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第十五話 先鋒/シェイルベル・ヘムズ

 

 良正はシェイルベル、ミスリル、フェルナンドら三人の挑発にわざと乗って円形闘技場コロシアムへと身を投じ、戦に足を踏み入れる。


 あの魔との邂逅かいこうは、三人の仕業でないと解っていながら――


 ✣


「――はぁぁあああっ!!!」


 勇猛さをうかがわせる剣闘士の如き雄叫びが、立ちすくむ召喚士らの鼓膜を熱くす。

 叫声の主である良正は、足下の紅い絨毯をこれでもかと力強く踏み込み、蹴飛ばす。


 舞いゆく紅は惰性を保って遥か後方へ飛び、彼は居合の構えをとり前方へ突き進む。

 風を切るその身は、未だ頬を湿らせた少女の前を流れるように通り過ぐ。

 そこで、当然のように立ち塞がる三人衆に差し掛かる。


「お三人方、そのまま地蔵みたく動かないってか? なら――三人まとめて殺るまでだ」


 良正も挑発し返す余裕があるらしく、中学生ラップ並の軽快なディスを入れる。


 すると、それに呼応するようにシェイルベルが一歩前に出、辺鄙へんぴな手振り付きで喋りだす。


「ああ。その調子だ、良正ッ! まずはこの俺、シェイルベル・ヘムズからだッ!!」


 どうやら、最終試験の先鋒は体術主体のシェイルベルらしい。

 良正は、三人衆への意思表示と自らの鼓舞のため、どぎつく青臭い台詞を吐き腰の短剣フセットを軽く撫でるように手をやる。


「ああ、望むところだクズどもがッ!! 成果を以てブチのめしてやる!!!」


 刹那、一筋の剣閃が空を切って突き進み、墨の長髪とあらわになった頬を掠めた。


 じわり浮き滴る一雫の鮮血、ふわり舞い落つる一糸の御髪。


 る様を見し時、かの者らのため戦の始まる時と等しきものなりけり。


 ✣


 パッと瞬きを終えた良正の視界には、目前にあったはずのシェイルベルの姿が文字通り()()()()()()()――残像すら何一つ残さず。


 これまでの実戦形式とはまた違った異質な雰囲気に、早くも圧倒され鼓動がはやまる。

 確かに授業内でも人並み外れた、「完璧人間パーフェクトヒューマン」たる「超人」ぶりを遺憾なく発揮していたが、それはあくまで手加減しての動き。

 それは、あたかも超人なりの凡人への慈しみだったのかもしれない。


 解っていた、解っちゃいたけど、ここまで離れていたとは


 あいつは、本気なんかこれっぽっちも出しちゃいなかった


 せっかく追いつけると思っていたところなのに


 自身と相対する者との力量の差が、戦闘力の差が、想定を優に超えるあまりに茫漠ぼうばくなもので、いくら自己愛者ナルシストと言えど流石に手を上げ参ってしまう。


 だが、既に【特殊能力(スキル)強固な決意(ディターミネイション)】は発動条件を満たし、両者ともその随意領域(テリトリー)内にある。

 シェイルベルには絶大な弱化デバフが、それとは逆に良正には絶大な強化バフが付与されている。


自己愛ナルシスト】の分も含めれば、幾分か優位に立てそうなものだが、


「――なんだ、焦りが見えているぞ。俺は、後ろだッ!!!」


 つんざくような突風が吹き荒れたかと思えば、良正の背にシェイルベルが颯爽と現れる。


 チッ、あっけなく後ろを取られた。そう思った瞬間には、


「ッガフッ……ガハァッ……」


「ほら、素早く立て直せ。よッ!!」


 ヒュッ、ボガボカガ……


 路傍の小石同様に蹴り上げられた足が砂の地面から大きく離れ宙へ浮き、無防備となった良正の身は鬼面を被った青年による殴打の嵐に見舞われていた。


 ――っ、なにも、手出しできない


 男と言うには華奢すぎる腕を十字に組み交わし、なんかとか受ける。

 が、その一撃一撃に着実に敵の体力を消耗させるだけの重みがある。


 そのため、良正が「受ける」と一口に言っても「いなす」とはかけ離れた、到底言えないもの。

 言霊を発動するだけの間隙は当然なく、あっても精々ほんの少し息が整うくらいである。


 ――なら、いっそのこと


「……っぐはああぁぁぁぁぁ!!!」


 わざと一撃、一定周期でやってくる一際強大な攻撃を見事に食らう。

 加えられた衝撃により吹き飛ばされる隙に、その一瞬のうちに詠唱をしようと言うのである。


 食らいはしたものの、言霊に支障が出ないよう胸目掛けての攻撃を、()()()身体の軸をぶらして肩に当てさせたため損傷は一部に抑えられている。


 そんな良正は時計回りに風を切り、石壁目掛けて吹き飛んでいく。

 物理的な頭フル回転である。

 しかし、とっくの前から詠唱する言霊は決め切っていた。


 身体能力向上こそがシェイルベルに勝つ唯一の方法。

 それならば残された道はこれしか、これらしかない。


 ――【天上天下(てんじょうてんげ)


 ――【唯我独尊(ゆいがどくそん)


 ――【一騎当千(いっきとうせん)


 並行詠唱で一気に上限である三つの言霊を発動させる。

 【天才ジーニアス】があるからこそ、彼だからこそできることであった。


 身体強化系の自己強化セルフバフをゴリッゴリにかけまくった。

 それでもどうにか、シェイルベルと手綱を並べられたくらいだろう。

 土俵には立てた、ここからが二人にとっての本番。


「――へへっ。どうよ、シェイルベル。なあ、頭使ぇやこんなこともできるんだぜ」


「まあまあ、と言ったところだな。お前ならそれぐらいやってのけるだろうと思っていたからな」


「それは認めてくれているってことか? なら、ありがとさん。勝った後でたっぷり感謝してやるよ。それじゃま、第二ラウンドといこうか!」


 このやり取りを境に、二人は引き合う磁石のように加速し急接近するのであった。


 ✣


「これは楽しくなりそうだなッ! 二人ともやる気満々だッ!」


「えぇ、これは見逃せませんねぇ。次は私の番、ですしねぇ」


「え〜!? えぇ〜!? って、なんでこんなことになってるんだっけ〜?」


 楽しげに観戦するフェルナンドとミスリルに対してアスカは混乱し、ただでさえ絶えず溢れ出ている馬鹿さが拭いきれなくなっている。


 馬鹿らしい顔に言動、いつ見ても面白いな


 良正は戦闘中であるにもかかわらず、彼女の様を見てほっこりする。

 そして、


「そっちばかりに気をやるなッ! お前の相手は俺だッ!」


 現在進行形で対峙しているシェイルベルに諭される。

 悪気があったわけでは決してない、この状況が楽しくてどうしようもないのである。


「ああ。そんなん解ってる、よッ!」


「「はぁぁあああッ!!!」」


 顔と顔とが近々に迫った所で、二人はそれぞれ攻撃を仕掛け始める。


 まず、シェイルベルはフェイントもなくド直球、右ストレートを仕掛けてくる。

 身体能力に強化の付与された良正は、鋭く研ぎ澄まされた動体視力と反射神経、俊敏性とで流動性を孕む身のこなしでするりと躱す。


「んなっ……!?」


 そして、正面へ盛大に伸長された筋肉質な右腕をガシッと固く握り掴み、前傾した相手をそのまま前方へ引き込む。


 お見事、かかってくれた! もう、俺の勝ちだ!


 良正は下を向き、ニヤリ笑む。


「っうおぉ……とでも言うと思ったか。俺はそれほど甘っちょろくないぞ、良正。残念だった、な」


 だが、シェイルベルは未だ余裕そうに笑みを浮かべ、良正の方を見てくる。

 しかし、良正とてそんなものではない。


「残念だったのはお前の方だぜ、シェイルベル! 俺の作戦はそれほど甘っちょろくない、ぜッ!!」


 そう、彼の作戦にはまだ続きがあったのである。


 最初の右ストレートを止めたところだが、これは良正がずっと観察してきた結果を元に予測したものである。

 言霊でも何でもない、人間観察は良正の趣味のひとつであった。


 この一週間のシェイルベルを観察したところ、彼は何かを開始する時は基本的に「右」から始める傾向にあり、その確率はなんと脅威の八割五分の判明したのである。

 食事でも右の皿から、入室でも右の足から、着衣でも右の腕から……等々挙げたらキリがない。


 だから、シェイルベルの初撃を右だと予測できたのである。

 殴りに関しては、良正がアスカたちの方を向いていたからだろう。

 そっぽ向いたのだって、彼にとっては立派な作戦の内であった。


 そして、最後の腕を引くところだが、あれくらいで動じないのは自明。

 なんと言っても相手は体術主体のシェイルベル、かつ滅茶苦茶な頑固ときた。


 絶対動じるわけがない、そう思った良正は作戦の続きを考えた。


 きっとシェイルベルのことだからここで高を括り、作戦はこれで終わりだと甘く捉えるだろう。

 それなら、どうしたら度肝を抜いて勝てるだろうか、と。


 ――【天上天下(てんじょうてんげ)


 ――【唯我独尊(ゆいがどくそん)


 ――【一騎当千(いっきとうせん)


 ――【一斉解除】


 良正は発動中の言霊を全て解除し、再詠唱を開始する。

 これは同時に、彼の作戦が第二段階に入ったことを示していた。


 ――【鼠窃狗盗(そせつくとう)】ッ!!!


 ――【……】


 ――【……】


 言い放ったのは泥棒を意味する言葉。

 一体、どのような効果なのか。


「さあ、シェイルベル。お前の大事なもの、()()()やったぜ。けけっ!」


 気味の悪い輩のような笑声とともにキメ顔で語る。


 発言通り、その効果は盗みである。

 彼はシェイルベルからあるものを盗んでやったのである。


「何ッ!? お前は一体、何を盗んだって言うんだ!」


「何って〜? 俺が盗んだ大事なものは……」


「大事な、ものは……?」


 ごくりと生唾を飲み込む音だけが静寂の中を行く。


「摩擦力、だッ!」


「ま、摩擦力だとッ!?」


【摩擦力】


 それは、この世に存在する物体が接触面を有する時、絶対に働く力。動いていようが止まっていようが絶えず働き続ける――接触面を有する限り。


 そんな摩擦力を失うと、物体はどうなるか。


 動き出した物体は、慣性の法則に則り永久にその動きを続ける。

 止まることも曲がることも許されず、ただひたすら直進し続けるのみ。


 自らの動作を妨げるものから解放されると同時に他との接点をも失い、永久に孤独というわけである。


 そこで今回のシェイルベル、良正は摩擦力を盗んだと言っていたが、一体何から盗んだか。


 シェイルベル本体からなどではない。


 ――正解は、靴である


 つまり、地との接触面から摩擦力を失うことになるため、今のシェイルベルは右腕を掴まれていることで体勢を保てている状況。


 そんな人間を強く引っ張るとどうなるか。


 答えは簡単、引っ張られた方向へ一直線に突き進むだけ。


「あ、聞こえてたかわかんないけど、もう二つ詠唱してたから。今、地面はザラザラな砂じゃなくて真っ直ぐ滑れる石床になってるよ。それじゃあ、シェイルベル! 行ってらっしゃーい!」


 良正は某ネズミーランドのキャストばりの陽気さでシェイルベルに告げ、右腕を引っ張った後にパッと手離す。


「っうおぉ、うわ、うわうわうわうわぁぁあああ!!!」


「あっれぇ〜? 残念だけど、『っうおぉ』って言っちゃってるね〜! ちなみに、残り二つの言霊は【原点回帰(げんてんかいき)】と【一合一離(いちごういちり)】だ! 砂を岩石まで戻して、無駄な所は合わせたり離しといたんだ!」


「そんな説明、今はどうでもいいッ! それよりこれは止められないのか? おい、はやくッ! 早く止めてくれぇーーーーーーーーーーーッ!!!」


「なら、俺の勝ちな! すぐ解除するよ。ほいっ――【解除】」


 ピタリとシェイルベルの身体は石壁の前わずか数センチすれすれで停止す?。


「あ、ああ、あぶないじゃないか! 物凄く、こ、怖かったんだからな!」


「悪かった悪かった。でも、俺だって勝負だから真剣にやったんだぜ? ……ふぅ、勝てたー! 俺でも勝てたー!」


「いや〜、よかったね〜! ぐっちゃん、かっこよかったよ〜! ほら、しゅっしゅぱぱぱ、ってね〜!」


 ほっと安堵する良正にアスカが駆け寄り、謎の身振り手振りとともに話す。


「うーん……そんなじゃなかったと思うけど……ま、いいか!」


 おかげで、殺伐とした空気が一気に和み、いつも通りに戻る。


「いい戦いっぷりだったな、良正ッ! 最後のアレには圧倒されたぞッ! オレとの戦いは最後だッ! 覚悟しとけよッ!」


「次は私ですねぇ。少し時間を空けてから始めましょうかねぇ」


 続けざまにフェルナンドとミスリルの二人もやってきて、肩を組ませ熱烈な歓迎で労う。


「ああ、みんなありがとう! 絶対全勝して合格してみせる! だから、もう少し待っててくれ、アス!」


「うん! ぐっちゃんなら絶対勝てるよ! よ〜し、気合入れてこ〜! お〜!」


「お、おー!」


 最高の一撃を見舞っての勝利の喜びを噛み締め、アスカとともに次の第二戦の中堅ミスリル戦、第三戦の大将フェルナンド戦への気合いを入れる良正であった。


 ――かくして、唐突に始まった第一戦、先鋒シェイルベル戦は幕を下ろした


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