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大正おぼろ譚  作者: 縞白
8/9

『祭迷宮』





 しゃん、しゃん、しゃりん、と鈴の音。

 どん、どん、どぉん、と太鼓の音。



 どこからともなく聞こえてくる祭囃子(まつりばやし)に惑わされ、私は来た道を見失っていた。

 いまにも泣きごとをこぼしそうな唇を、ぐっと噛んで歩調を早める。

 右手には父に買ってもらったばかりのりんご飴を握りしめているのに、左手は空っぽなのがひどく心細い。

 つい先刻まで、この手は父の着物をしっかと掴んでいたのに。


 それはまだ幼い頃の、ある春の日のことだった。


 みごとに咲きほこる桜の並木を見物しようと、人でごったがえす川沿いの道を家族と歩いていた時のことである。

 まだ日は高く、屋台で昼食をとる人も多いが、もう酒を入れている酔客の大きな笑い声も時おり響く。

 そんな賑やかな桜並木の屋台通りで、私はりんご飴を買ってもらったと思ったら迷子になっていたのだ。


 いったい何が起きたのか、訳も分からぬまま辺りを見回すが、隣にいた父も、一緒に来たはずの家族の姿も見当たらない。

 かわりに見つけたのは夕暮れ空と、先より数の増えた気がする祭り屋台の連なる通り。

 なぜか、ここにいてはいけない気がして、私は無意識に歩き出す。


 しゃん、しゃん、しゃりん、と鈴の音。

 どん、どん、どぉん、と太鼓の音。


 家族といた時は聞こえなかった祭囃子に背を追われ、賑やかな屋台の立ち並ぶ通りを足早に通り抜けていく。

 しかし、歩けども歩けども、頭上の桜は途切れることなく、どこの角を曲がっても屋台や人通りが絶えることはない。

 それに行き交う人々は、先と何も変わらぬような気がするのに、どこか少しずついびつな影を引いていて、それを見れば誰かに助けを頼もうなどという勇気は、たちまちのうちにしぼんでしまった。


 そうして、どれくらい歩いただろうか。

 止まってはいけない、と、ただそれだけを思って足を動かしていた私は、誰かにぶつかってふらりとよろめき、倒れかけた。

 けれど尻もちをつくことはなく、大きな手に腕を掴まれ、どうにか踏みとどまる。


 すまんね、坊ちゃん、ちょっとよそ見をしていたんだ。

 大丈夫かい。


 軽い口調で言う、男の声が上のほうから降ってきた。

 距離が近すぎて影の形を確かめることができず、ひどく緊張しているせいで体の震えを止めることができないまま、私はおそるおそる顔をあげ。


 おやおや、せっかくの祭りの日だってのに、そんな不景気な顔をしてどうしたんだい。

 親とはぐれちまったのか。


 こちらを見おろしてそう言う男が、なんだか気の抜ける普通の顔をしているのに、声を失うほどほっとした。

 そうしてほっとしたら、今まで我慢していたものが一気にあふれ出てきそうになって、目が潤むのをぐっと息を飲み込んでむりやり押し込める。

 ちっぽけな意地だったけれど、見知らぬ人にみっともなく泣いているところを見せたくなかったのだ。


 しかし、そんなありさまでは、まともに話をすることもできない。

 それでも気長に付き合ってくれた彼は、しばらく私の要領を得ない言葉を聞いて、何があったのかを理解したらしい。

 ひとつ頷いて、それならこっちだ、と私の手を引き歩き出した。


 しゃん、しゃん、しゃりん、と鈴の音。

 どん、どん、どぉん、と太鼓の音。


 つないだ手の大きさが、そのあたたかさが、どれだけの安堵をくれたのだろう。

 彼に連れられてゆっくりと歩く、迷宮めいた祭り屋台の通りに響くお囃子は楽しげで、不思議ともう恐ろしく思わない。

 夕闇に浮かびあがるおぼろげな桜や、舞い散る薄紅の花びらは儚げで美しく、笑いさざめきながら屋台をのぞき、あちらこちらへそぞろ歩く人々のいびつな影は、祭りに浮かれて千鳥足(ちどりあし)になった酔客のように見える。


 ふと、私が笑ったことが伝わったのだろうか。

 彼が前を向いたまま、ああ、それでいいんだ、と言った。


 こわがるのは、いちばん後でいい。

 まずはあたりをようく見て、おもしろいものを見つけたら楽しんでしまえばいい。

 困ったり、怒ったりするのは、そういうのをみんな味わった後でじゅうぶんさ。


 その言葉はすとんと胸の奥に降ってきて、最初からそこにいたみたいに、底の方でふんわりと落ち着いた。

 彼はそれからしばらく私を連れて祭り屋台の間を歩き回り、とくに何ということもない所で立ち止まった。


 そういえば、帰してやるのに礼をもらっていないなぁ。

 お前さん、そいつを一口、食わせてくれよ。


 そう言って返事も待たず、彼は私が持っていたりんご飴を一口かじった。

 見たことはあったが、食べたことはなかったので、一度食べてみたかったのだという。

 しかし。


 なんだ。思っていたより、うまくない。

 こんなのをわざわざ祭りの日に食いたがるとは、人の子とはやはり、おかしなものだな。


 訳の分からない文句を言って、ずっとつないでいた手をするりとほどき、そのままどこかへ行ってしまった。

 置き去りにされた私はぽかんとその背を見送っていたけれど、おい、と後ろから声をかけられ飛びあがるほど驚いた。


 それは、聞きなれた父の声であった。

 だから振り向けば当たり前のように父がいて、向こうに家族が待っていた。


 父は何事も無かったかのように、行くぞ、と私を連れて家族のところへ戻っていく。

 私は引きずられるように歩きながら、一口かじられたりんご飴を見つめた。


 夕闇の桜と賑やかな祭囃子は、もうどこにもない。

 祭り屋台の迷宮も、いびつな影を引いた人々も。


 けれども私は、一口かじられたりんご飴を持っている。

 まだ耳にそれが残っている。



 しゃん、しゃん、しゃりん、と鈴の音。

 どん、どん、どぉん、と太鼓の音。



 そうして私は、彼と出会ったのだ。





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