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大正おぼろ譚  作者: 縞白
7/9

幕間





 手酌でついだ酒を、ちびりちびりと舐めている。

 彼が持ってきた手土産は真っ先になくなり、母が置いておいてくれた煮物も食べつくして、今の(さかな)煮干(にぼ)しである。

 これがなかなか旨いのだ。

 母に見つかるとため息をつかれて取り上げられてしまうので、実家から離れた今だからこそ楽しむことのできる味わいであり、それがまた愉しい。


 ぱらり、と静かな音がした。

 向かいに座った彼が、私の渡した書き物を読み、一枚、また一枚とめくる音である。


 私は煮干しをかじりながら、胸の内に(おも)はゆいものを感じつつ、彼が読み終わるのを待っている。

 渡したこちらが少しばかり戸惑いを覚えるほど、目線で字を追う古馴染みは真剣な面持ちだ。


 一度読み、顔を上げるかと思えばもう一度、今度は指先で輪郭をなぞるようにするすると読み直し、最後の一枚までゆくとそのままの勢いでこちらを向いた。

 感想を待ち構え、酒も煮干しもとうに飲み込んでいた私が、どうだった、と問うまでもなく。

 唐突に言う。


 お前は見送ってしまえるのだな、と。


 訳が分からず、どういう意味だ、と首を傾げた。

 すると、自覚が無いのか、とどこか寂しげな顔をした彼が、言葉を続ける。


 これはどこかへ行ってしまった人々について書かれているようで、しかし見送ったお前の在り方を書いたものでもある。

 お前には執着というものがあまり無いと、ぼくもそれなりに知っていたつもりではあるが。

 こうもあっさりと見送ってしまえるお前の姿を、見せつけられるのは、なあ。


 視線を合わせるのを避けるように、横を向いてしまった彼を、ぽかんと見つめた。

 けれど沈黙が落ちた部屋で、じわりじわりと言葉が染みてきて、私はいつしか額に手を当てていた。


 いや、そんなつもりは、なかった。

 私は、ただ、


 何を言いかけたのか、自分でも分からないその言葉は途中で遮られた。

 お前はぼくを見つけてくれる、と独り言のような彼の声。


 人は自分の見たいものを見たいように見るから、数年越しにおとずれた姿形の変わらぬぼくを、たいていは同じものとして思わない。

 こちらから声をかけても、はてこれは誰であったか、という顔をする。

 それを知ってから、ぼくは自分から声をかけることをやめてしまった。

 けれどお前は、ぼくを見つけて、当たり前のように声をかけてくる。


 おう、と先もお前から声をかけてくれたろう。

 あの時にどれほどぼくが安堵したか、お前は一生わかるまい。


 それなのに、それだというのに、とうつむいた彼は声を震わせる。

 同じその手でぼくにこれを読ませるのだ、お前というやつは、と。


 こんな話をしたのは初めてで、彼がそのように心細い思いをしていたなどと、私はまったく知らなかった。

 根無し草のようにあちらこちらへ旅をしているらしい彼は、身なりも仕草も世慣れたふうで、おそらく方々(ほうぼう)に親しくしている人がいるのだろう、と。

 勝手に思い込んでいた私を、ふいに顔をあげた彼の眼差しがとらえた。


 なあ、お前。


 先の震える声とはまるで違う、体温のない口調で問う。

 蛇に睨まれた蛙のように、身をすくませた私へ。


 もし、ぼくがお前を連れてゆきたいと言ったら、人であることを()ててくれるか。

 これに書いた者たちのように。


 これに、と言いながら動いた彼の手が、紙束を私の眼前に突きつけた。



 なあ、お前。

 人であることを、棄ててくれないか。



 何も答えられない私の前で、彼が指をほどく。

 ぱらぱらと舞い落ちる紙に、我知らず視線が引き寄せられる。


 そして次に顔をあげた時、そこにはもう誰もいなかった。


 けれど私は泣きそうに顔をゆがめた彼を、舞い散る紙の狭間(はざま)に一瞬、確かに目にしたように思う。

 それで記憶が蘇った。



 彼と初めて会った時は、たぶん私が、そんな顔をしていた。





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