『あやしコウモリ様』
古い友人から、はがきが届いた。
彼は近所に住む幼馴染みで、目の下に真っ黒なくまのある、病弱な男であった。
幼い頃からうまく眠ることができず、本人はへとへとに疲れていても体が眠りに落ちてくれぬという難儀な体質で、私は彼が道ばたで倒れているところに出くわし、大慌てで近くの医者へ担ぎ込んだこともあった。
食が細く病がちなこともあって、彼の家族はたいそう心配し、方々の医者へ連れて回ったのだが、どんなに手を尽くそうと彼の眠れずの病は治るきざしもなく、そのうち医者よりも神社仏閣を巡り、御祓いや祈祷をしてもらう回数の方が増えたという。
残念ながらいずれも効果は無く、彼はやはり、いつも疲れた顔をしてふらふらと頼りなく歩いていた。
そんな彼だが、眠れぬ夜に山ほどの本を読んでいたせいか、物知りで面白おかしい話をよく知っており、穏やかで我慢強い性格もあって、老若男女なく皆からよく慕われていた。
私も彼とは長く交友を続けており、その不調に心を配りながらも、たまには気晴らしをしようと声をかけ、外へ連れ出して楽しむこともあった。
先日も、彼とは小旅行をしたばかりだ。
しかしそれは、思いがけない理由から始まった奇妙なものであった。
発端は、いつになく顔色良くしゃんとした彼が突然我が家を訪れ、驚くべきことがあったのだ、どうか話を聞いてくれ、とはずんだ声で喋りだしたことだ。
こんなに元気の良い彼を見るのは今までの記憶になく、まずもってそれに驚いていた私は、話を聞くうちに今度は首を傾げた。
彼が語ったのは、こんな話だ。
数日前、彼は最近通いだした医者へ行くため、汽車に乗っていた。
近くの医者には軒並み匙を投げられてしまったので、今は家族が知り合いから聞きこんできた腕の良い医者を巡っているのだ。
しかしガタン、ゴトンと心地よく揺られているうちに、ついうたた寝をして、降りるべき所を過ごして終着駅まで行ってしまった。
まとまった時間眠れずとも、不意のうたた寝は珍しくなかったので、しまったなと思いながら彼は駅へ降りた。
そして次の汽車で戻ろうとしたのだが、今日はもう運行は終わりだという。
さほど遅い時間ではなかったのに、もう次の便が無いとは困ったことだと、彼は肩を落として駅を出た。
うたた寝をしているうちに、どこまで来てしまったのか。
山深い緑の里は静かで、鳥のさえずりと虫の声ばかりがこだましている。
いったいここに、人がいるものだろうか。
頼りなく細い心持ちになりながら、とぼとぼ歩いていると、やがて人に出くわした。
それは畑仕事帰りの好々爺で、ここらでは見ない顔だが、どうしなすった、と親切に声をかけてくれたのだ。
彼が事情を話すと、老爺は家へ泊まっていくといい、と申し出てくれた。
困っていた彼は、ありがたく、一晩の宿を頼むことにした。
老爺の家はたいそう古く、広く、親戚が来た時のために布団や茶碗もたくさんあったので、不意の来客があってもかまわぬらしい。
一緒に暮らしている老婆と孫娘も、事情を話すと、それはお困りでしょう、と頷いて、こころよく迎えてくれた。
そうして彼は心づくしの料理でもてなされ、彼もお返しに町で聞いたおかしな話を語って、面白がる老爺たちと一緒に笑い、楽しい時間を過ごした。
けれどもその最中、彼は老爺から渡された不思議なものを、言われるままずっと膝の上に置いていたという。
それは張り子のコウモリだった。
古くから伝わる、この村の守り神の姿を模したものだという。
生まれたばかりの子どもに贈ったり、彼のような来客に持たせたりするのが、いつの頃からか習慣となり、今も変わらず続けられているらしい。
それを渡されたということは、つまりは客として歓迎されているという意味なのだろうと思い、彼はもてなしを受けている間ずっと大事に膝の上に抱いていた。
やがて食事が終わり、風呂をいただいて支度してもらった部屋で布団に入ると、彼は横になったままぼんやりと天井を眺めた。
見知らぬ土地で初めて会った人の親切に甘え、おいしい料理を腹いっぱい食べさせてもらって、今はあたたかい布団にくるまっている。
心細い思いをしながら、いつになく長いこと歩いたし、体はもうくたくただ。
それでも彼の元に、眠りという安息が訪れることはない。
障子戸を透かして格子模様の月明りがふる部屋に、虫の音と、遠く獣の遠吠えが響く。
夜はいっそ、町よりもこの里の方が賑やかなのかもしれぬと、ひっそり笑う。
そうしながら彼は、泣いていた。
物心ついた頃から変わらず続く、眠れずの責め苦。
見知らぬ土地に来ても逃げおおせることはかなわず、きっとこの先もずっとこの苦しみを負って生きてゆかねばならぬのだろうと思い、気も狂わんばかりの絶望に襲われていた。
声もなく、どれほど泣いていたのだろうか。
いつの間にか虫の音も獣の遠吠えもなく、完全な静けさに沈む深夜。
それはいつからか、どこからか。
ただ、そこに立っていた。
彼の休む部屋の、障子戸の前に。
月明りを遮る巨大な影と、障子を透かして煌々と光る赤い眼が二つ。
その異容に思わず息をのんだ彼は、布団に横たわったまま身じろぎひとつできずにいたが、ふと気が付いたことに背筋が凍った。
外、ではない。
それはすでに、部屋の中に、いる。
彼は恐怖のあまり、逃げるどころか叫び声をあげることすらままならず、息をするのも忘れ、ただただ震えていた。
しかしそれは、怯える彼には思いもよらぬことに、噛みついてくることも、吠えかかるようこともしなかった。
ただ夜闇のなかでうねるように身をくねらせると、訳も分からぬまま震えるばかりの彼の、布団に“成り代わった”のだ。
それは、不思議な心地であった。
あたたかく柔らかく、獣くさいが不快さはなく、安全な巣穴で母に抱かれている獣の仔になったように感じられて、むしろ彼はほっと安堵の吐息をついた。
心配はいらぬ、ここはまったく安全である、と、頭よりも先に本能が理解して緊張をゆるめる。
すると、どういうわけか、これまで何をしてもそっぽを向いてばかりだった睡魔が、ちらりと振り向いて、ゆっくりと彼にすり寄ってきたのである。
おぼろげに、布団に成り代わって彼の身を包むそれが、ゆうらり、ゆうらり、と揺れるのを感じ、まぶたが重くなっていく。
それと同時に、おぉ、ぉん、おぉ、ぉん、とどこからともなく響く音に満たない音のような振動が、肌をしみとおって凝り固まった体をほぐしてゆき、四肢から力が抜けてゆく。
やがて優しい眠りに落ちる頃、彼は老爺に聞いた村の守り神の話を思い出していた。
あやしコウモリ様
古くからそう呼ばれ、親しまれているその神は、夜泣きする子をあやして寝かしつけてくれるのだという。
だから真夜中に訪れるその神を、子が怖がらぬように、いつからか赤ん坊へ張り子のコウモリを贈るようになったのだとか。
ああ、ならばおれは、その古き神に夜泣きする子だと思われたのか。
ずいぶんと図体の大きな子どもだが、それでもあやしてくれるとは、寛容な神もいたものだ。
彼は微笑みとともに、穏やかで深い眠りについた。
そして翌日、昼過ぎまでぐっすりと休んだ彼は、生まれて初めてともいえるような、爽快な気分で目を覚ました。
長い時間をかけて、夢も見ないほど深い眠りにつくというのが、どれほど幸福なことなのか。
勝手に涙があふれてとまらぬほどの、言葉では言いあらわせないほどのその心地に、彼はしばらく放心していた。
老爺たちはそんな彼の、長患いの眠れぬ話を聞いて、その日から数日のあいだ家に置いてくれたそうだ。
そこで彼は昼間、お礼もかねて老爺の畑仕事を手伝い、夜は毎晩、守り神さまにあやされて優しい眠りについた。
おかげでどんどん体が回復してゆき、ほんの数日で長年のなじみだった目の下の真っ黒いくままで、きれいに消えてしまったという。
すっかり元気になった彼は、その頃になると老爺の孫娘とも親しくなっており、村を離れがたくなってしまった。
しかし、あまりに長く家へ帰らないでいては、家族が心配するだろう。
加えて、今までとは見違えるほど体調の良くなったところを見てもらいたくもあり、彼は一度帰ることにして、汽車に乗って町へ戻った。
そうして家族をびっくり仰天させた後、私の事も驚かせてやろうと、家へ来て話を聞かせてくれたのだ。
彼が元気になったのは、素直に嬉しいことである。
はしゃぐ彼とともに、私もしばらくは喜んだ。
しかし、彼がすぐさまその山里に戻るつもりであると聞き、はてなと首を傾げた。
今、彼がかつてなく元気な様子でここにいることは確かだから、彼を救ってくれたという“あやしコウモリ様”なる神について、あれこれ言うつもりはない。
彼の長患いを見てきた幼馴染みとしては、ただただ深く、感謝するばかりである。
けれども少しばかり詳細を聞いてみると、彼はうっかり寝過ごして辿り着いてしまったという終着駅の名を覚えておらず、老爺たちの家の住所も知らない、というのだ。
さすがにこれは、彼の好きにするまま放っておくわけにはいかなかった。
それで、私と同様のことを心配した彼の家族の願いもあり、山里に「戻る」という彼について、私も一緒にそこへ行くことにした。
手土産の菓子折りを彼の家族に持たされて、行き先知れずの小旅行に出る。
道中、汽車で乗り合わせた婦人にみかんをいただき、お返しに飴など渡して賑やかに話しながら、君が惚れたというその孫娘は、どんな娘なんだ、と聞き出しにかかる。
彼は照れながらも、ずっと不安げな顔で様子をうかがう家族の視線から解放されてようやく一息つけたらしい。
彼女は色白で目が大きく、それはもう可愛らしい娘なのだが、その器量の良さを鼻にかけたりもせず、働き者で祖父母にも優しい良い娘なのだと、おおいにのろけて語ってくれた。
しかし、残念ながら私が彼女に会うことは、かなわなかった。
彼がこれだと言って乗り込んだ汽車は、目的の駅には辿り着かず、私たちはまるで違う町に運ばれてしまったのだ。
こんなはずではない、違う、自分が乗るべき汽車を間違えたのだ、とおろおろする彼を連れて、私は日の暮れた町で宿を求め、とある旅館に落ち着いた。
その頃になると彼はすっかりしょぼくれて、無駄足を踏ませてしまってすまない、お前もおれの話を嘘だと思ったろう、うちの家族のように、と言って、とうとう顔を俯かせてしまった。
私はそんなことはないと慰めの言葉をかけたが、彼はかたくなに顔を上げず、こぶしを握り、歯を食いしばって、それでもこらえきれない涙を流している。
なるほど、そうか、と思い、私は腹を括った。
そして、君の話が嘘だろうと本当だろうと、実のところどちらでもよいのだ、と言い放った。
君を救ってくれた神や老爺たちに会えるなら、それが一番良かったが、かなわぬとあらば致し方あるまい。
今日は、辿り着けなかったこの事で君がくじけてふぬけるのであれば、何とわめこうが連れ帰ろうと思っていたのだが、そんなふうに泣くのは、それでも君が彼らの存在を信じているからだろう。
それなら私も、信じようじゃないか。
できれば君の惚れた娘に目通りをして、からかいの一つでもしてやりたかったというのが、大きな心残りではあるが。
それより君との旅行など、幼い頃に一度行って以来、ずいぶんと久しぶりの事だ。
せっかくだから、大人でなくてはできないことをしよう、と酒盛りを提案した。
彼は、まったくお前というやつは、昔から変わらない。
だからおれは、他ならぬお前に、話をしに行ったのだろうなぁ、と泣きながら笑った。
それから私たちは彼の家族に持たされた菓子折りの包みを開け、上等な菓子に、肴にするには甘すぎるとさんざんぱら文句をつけて食べつくし、酒瓶をいくつも空にして手放しに酔っ払った。
おかげさまでいつの間にか意識は無く、翌日は二人そろって立派な二日酔いである。
私は宿にもう一泊していくと伝え、丸一日どこへも出かけずに部屋でごろごろしながら、彼が過ごした山里での日々の話を聞いた。
そして二人で口裏を合わせ、彼の家族には私が老爺たちと会って話をしたことにしよう、と決めた。
たまには便りの一つも寄越せよ、と私は言った。
じゃあ、お前も返信を書くんだぞ、と彼は答えた。
正しい判断であったのかどうかは、わからない。
けれど私が彼の家族にそう伝えることで、彼らはほっと胸をなでおろし、彼はしっかりとした足取りで、今度は一人で山里探しに汽車へ乗るようになった。
そして今日、彼からはがきが届いた。
引っ越しを知らせるはがきであった。
筆が飛び跳ねるようによく走っていて、元気そうである。
結局のところどこから届いたのだろうかと住所を見たが、雨にでも降られたのか、そこだけ文字がにじんで、読めなくなっていた。
これでどうして返信をやったものか。
それでも言われた通り、返信のはがきを書いた。
次に会えたら、いちおうは書いたのだぞ、と胸を張るための小細工である。
しかし確かに返信として書いたはずのそのはがきは、他の用を片付けているうちにどこかへ消えてしまった。
やれまいった、私もうっかりしたものだ、と思ったが、書き直したりはしなかった。
どうしてか、それで良いように思ったのだ。
―――――― 古い友人から、はがきが届いた。