お嬢様の変物語
彼女、リーニ・アイリーが、彼、ハンス・ブラウンに出逢ったのは、彼女が通う学園での事だった。貴族の身分で、かつ資産家の娘でもあった彼女が通っていたのはとある名門の学園で、そこに決して裕福とは言えない平民のハンスが通っていたのは、最近になって整備された奨学制度のお陰だった。彼は実力を認められ、その名門校に通う事になったのだ。
学園内で平民である彼は名門の生徒達から蔑視されていて、実を言うのなら、リーニもその一人だった。一方、自らの実力のみでその学園に入学したハンスには自負と自信とがあり、やはり彼らの事を馬鹿にしていた。
リーニとハンスは、だから初めは互いに反目し合っていたのだ。そんな彼女らの関係が一変するのは、クラス対抗の球技大会が切っ掛けだった。ハンスの活躍で、なんと彼女のクラスは優勝をしてしまったのだ。彼らは普段のわだかまりを乗り越え、互いに協力し合ったのである。
そしてそれからしばらくが経った頃の事だった。リーニは自分がハンスに対して言い知れぬ想いを抱いている事をに気付くのだった。ハンスについて考えるだけで胸が苦しくなり、彼の顔を見る度に緊張と喜びとが走る。
「それは変で御座います、お嬢様。お嬢様はそのハンスという殿方に、変心を抱いているのです」
病気ではないかと悩む彼女の相談を受け、そう言ったのはメイドのエイマだった。歳の離れたエイマを、彼女はとても信頼している。
「変心? この気持ちが変だと言うの、エイマ?」
そのリーニの言葉に、エイマはゆっくりと頷く。
「はい。変です」と。
それを受けて彼女は思う。
“なんて事なの! 変がこんなにも苦しいものだっただなんて!”
或いは、その苦しみの半分はハンスと自分との間にある越え難い身分の差の所為だったのかもしれない。
彼と自分は一緒にはなれない。
彼女はそれを自覚していたのだ。
しかし、頭でそう考えていても彼女の気持ちは日を追う毎に大きくなるばかりだった。しかしも、そんな中でハンスも彼女の想いに気付いていく。心の奥底では、平民である事にコンプレックスを抱いていた彼は、その彼女の想いに癒され、いつしかそれは強い好意へとかわっていった。つまり、彼女達は互いに強い変心を抱くに至ったのだ。
そんな二人が隠れてこっそりと逢引きを繰り返すようになるまでに、それほどの時間はかからなかった。しかし、名門であるが故にあまり自由がなく、監視されているような生活のリーニに、いつまでもそれを隠し続けられるはずがない。やがて二人の関係は明るみになってしまった。
周囲の人々は激しく彼女達の変愛関係に反対をした。身分が違い過ぎる。諦めろ、と。だが、周囲が反対すればするほど、彼女達の変愛は逆に燃えがっていくのだった。
そんな中で、彼女達の関係を応援していたのは、メイドのエイマだけだった。そして、彼女は彼女達の変が成就する可能性をただ一人考えてもいた。リーニは次女で、家にとってそれほど重要な位置にはいないのがその理由の一つだったが、それよりも大きな理由があった。実はリーニの母親もかつて平民との変に落ちた事があったのだ。
リーニの気持ちはよく分かるはず。
しかし、リーニの母親がその娘の変を認める事はなかった。そして、徐々に追い詰めらていったリーニとハンスは遂に駆け落ちを決心するのだった。もう自分達が結ばれるには、それしかないと。
しかし、無情にもそんな二人の計画は、アイリー家の者達に知られてしまい、リーニの母親の元へとも伝わってしまう。報告を受けると、リーニの母親は静かに命じた。
「止めなさい。絶対に二人を行かせてはなりません」
しかし、そんな場面にメイドのエイマが現れたのだった。
「奥様……、」
彼女は言う。
「何故ですか? リーニ様のお気持ちは、あなたが最も分かっているはずではありませんか」
その言葉にリーニの母親は冷徹にこう返す。
「ええ、よっく分かっていますとも、エイマ。変など一時の気の迷いである事を。私もかつてはあの愚かな娘のように馬鹿な考えを抱きました」
それを受けると、「そんな……。リーニ様があれほど苦しんでおられるのに……」とエイマは訴える。それでもリーニの母親は何も答えない。しかし、その瞬間、エイマは彼女が表情をわずかに歪めたのを見逃さなかった。口を開く。
「自分に嘘はつかないでください。奥様は、今でもあのお方から貰ったプレゼントを大切にしているではありませんか!」
その言葉を受けると、大きくリーニの母親は目を見開いた。それは小さな手作りの貝のネックレスだった。今も彼女の部屋の戸棚の中に仕舞われている。
“トマス……”
と、彼女は心の中で呟く。
それから彼女は直ぐに近くにいた召使に命じた。
「さっきの命令は取り消します。止はしません。リーニ達を行かせなさい!」
その言葉にエイマは目を潤ませて「奥様……」と呟くように言った。リーニの母親はそれに淡々とこう返す。
「勘違いをしないでください、エイマ。私はあの娘に自らの愚行を悟らせる為に行かせるだけです。どうせ、直ぐに懲りて帰って来るに決まっていますから。変愛などに人生を棒に振る価値はないのです」
ただし、それは自身に対して言い訳をしているようにも思えた。そして「はい」と答えたエイマはとても嬉しそうな顔をしていた。
遠く離れた汽車の中。リーニとハンスの二人はとても仕合せそうに身を寄せ合っていた。この変は絶対に上手くいく。そう彼女達は心の底から信じているのだ。
一度でも、読み間違えた事のある、そんなあなたへ。




