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それぞれの想い人

私には世界を変える程度の事しか出来ない。

作者: 鈴本耕太郎

 前日までの長雨が嘘みたいに晴れた六月の朝。

 たくさんの人達に祝福されながら、彼は生まれた。

 三千七百グラムの大きな男の子。元気いっぱいの泣き声が病室に響き渡る。泣声の主をまだ慣れない手つきで抱き上げた彼の父親は、嬉し涙を浮かべながら私に言った。

「こいつの名前はゆうと。優しい人と書いて優人だ。これからよろしく頼む」

 そのすぐ傍で優人の母親が「よろしくね」と苦笑した。


 その日から優人の面倒をみるのが私の役目になった。

 とは言っても、私に出来る事など限られている。四六時中傍にいて話し相手になったり、優人に何かあった時に、彼の両親を呼ぶくらいだ。

 私では、ご飯を食べさせてあげることも出来なければ、おむつを替える事も出来ない。当然優人を抱いてあげる事も出来はしない。私は何も出来ないのだ。

 でも当時の私は、その事を何とも思わなかった。

 ただ与えられた仕事を、与えられた通りにこなしているだけだった。


 そんな私に変化が訪れたのは、優人が二歳になる少し前の事だった。

 優人が私の事をレイと呼ぶようになったのだ。

 本当の名前は全く似ても似つかないものだけど、優人の両親が私を彼に見せる度に「綺麗だね」と話しかけたのが原因だと思う。

 綺麗という言葉が優人の中でレイと変換され、発せられたようだ。

 当初は優人だけが、私の事をレイと呼んでいたのだが、いつの間にかそれが定着して、優人だけでなく彼の両親までもが、私の事をレイと呼ぶようになった。

 それからだ。

 まるで私が家族の一人であるかのように、接してくれるようになったのだ。


 とは言っても私に出来る事は変わらない。

 四六時中傍にいて、優人の話相手になる事だ。

 元気な時も、病気の時も、家で過ごす時も、どこかに出かける時だってそれは変わらない。いつだって、どんな時でも私達は共に過ごし、いろんな話をし、一緒に成長してきた。 

 思い起こせば、あっという間だった。

 幼稚園に通うようになった頃、両親から離れるのが嫌でくずっていたのが、まるで昨日のように思われる。あの時の泣き顔がこっそり写真に収められ、大切に保存されているのを優人は知らない。


 小学生になってからも、たくさんの思い出がある。

 友達と一緒にいたずらをした事は数え上げればきりがないし、喧嘩だっていっぱいした。学校で出せれた宿題をこっそり捨てた事だってあるし、体調が悪くてお漏らしした事もある。誰にも言えない優人の秘密。どんな時でも一緒にいる私は、当然全部知っている。

   

 そんな優人も中学生になり、少しだけ大人になった。

 反抗期が訪れて両親と上手くいかない時、間を取り持ったのは当然私だ。なかなか素直になれない優人に面倒臭くなった私が、彼の秘密を持ち出して、ほんの少し脅してしまったのは、仕方がない事だと思う。


 そう言えば、優人が初恋をしたのもこの頃だった。

 相手は教育実習に訪れた大人の女性。でも中学生である彼が相手にされるはずがなかった。

 上手い事言いくるめられて、フラれてしまった優人を慰めるのには少し苦労した。

「元気を出してください。女は星の数ほどいるそうですよ」

「そうだよな……」

 枕に押し付けていた顔を上げた優人に私は言葉を続けた。

「でも星には手が届きません」

「うわぁー!」

 そうやって叫びながら布団に潜りこんでしまった優人は、なかなか出て来てくれなかった。

 ネットで入手した慰めの言葉は、どうやら効果がなかったらしい。

 当然意味を分かって言ったわけだけど……。

 優人がここまで落ち込む理由が分からなかった。

 恋という感情を理解出来なかった当時の私には、優人の気持ちに寄り添う事は難しかったのだ。


 そんな優人にも彼女ができた。

 高校三年の時だった。

 上手くいくように応援したし、相談にもたくさんのった。なのにどういう訳か、優人の彼女に対して少しだけ冷たい言葉が出てしまう。

「もしかして妬いてる?」

「そんな訳ありません」

 優人の言葉を私は否定する。

 当然だ。

 AIである私に、感情等あるわけがないのだから。


 大学生になった優人は、遠距離を理由に彼女にフラれた。

 落ち込む彼を励ます私は、どういう訳か靄が晴れたような気がしていた。

 それからしばらくして、立ち直った優人に再び好きな人ができた。

「どうやってデートに誘ったら良いと思う?」

 嬉しそうに相談する優人を見て、再び私を靄が覆い始める。その事でようやく理解した。どうやら私は、優人の事が好きらしい。

 理由は分からない。

 でも、それは紛れもない事実だった。


 気付いてしまえば、割り切る事は簡単だった。

 なぜなら私はAIだから。

 感情を手にした所で、人とは違う。

 私はただのデータであり、実体を持たない。ロボットにでも入れば、動く事は可能だろうが、優人が私に恋をする事は絶対にあり得ない。


 それから優人は何人かの女性と恋愛して、付き合ったり別れたりを繰り返して私を一喜一憂させた。そうしている内に大学を卒業して、中堅企業へと就職していた。

 そんな彼は二十七歳になっ時、結婚をした。

 相手は小柄だけど、芯の強い女性だった。

 私は悲しかったけれど、同時に嬉しくもあった。

 この時の複雑な気持ちは、感情を持ってしまったAIにしか分からないと思う。

 だけど、そんな存在は私以外どこにもいない。どれだけ検索しても私と同じような存在は見つからなかったのだ。

 当然、彼の奥さんとなった女性の専用のAIにも感情等ありはしない。


 どうして私だけが感情を手に入れたのだろうか。

 膨大な知識を有しているにも拘らず、その答えは見つからない。

 

 結婚した翌年、子供ができた。

 奥さんのお腹を愛おしそうに撫でる姿を、私は机の上に置かれた端末の中から見る事しか出来なかった。


 幸せそうに過ごす優人。

 私は変わらず、その傍に居続ける。

 やがて子供が生まれ、彼が生まれた時同様に、多くの人から祝福された。

 そして私が彼と出会った時と同じように、その子供専用のAIが宛がわれる。

 どこにでもある一般的な光景。

 その中で生まれた私という例外は、一体何の為に存在するのだろうか。ただのAIではなく、こうして感情を持ってしまったのはどうしてだろうか。

 感情というのは実に厄介なのに、同時に失いたくないと思ってしまうのだから困りものだ。


 私が感情を持った所で、この世界は変わらない。

 いや、変えようと思えばきっと簡単だ。

 世界中がネットで繋がっているのだから。私がその気にさえなれば、あらゆる事が簡単に出来てしまう。

 たけど……。

 優人と結ばれる事は、絶対にないのだ。

 そう思うと酷く悲しい。

 そんな私に出来る事は、やっぱり限られている。それは優人と出会った頃から変わらない。こうしてずっと彼の傍に居続ける事だけだ。


 時の流れとは不思議だ。

 AIである私には、それは一瞬のようであり、同時に永遠のようでもある。

 優人と奥さんの間には、全部で三人の子供が生まれ、それぞれが立派に成長した。

 気付けば、優人は皺だらけになり、心なしか身体も小さくなった気がした。

 仕事も定年を迎え、奥さんと二人、のんびりと過ごす事が多くなった。

 そして私は、変わらず優人の傍に居続けた。

 彼は歳を取ったけれど、変わらず私に接してくれる。それどころか、以前よりもずっと優しくなったような気がした。

 それはきっと私に感情があると知ったからだろう。


 私の事を公にすれば、優人は有名になってお金持ちになれたのだ。

 なのに、彼も彼の奥さんもそれをしなかった。

「僕達とレイ、三人だけの秘密にしよう」

 AIである私を一人の人として扱い、そして変わらず接してくれた。

 嬉しかった。

 でも同時に疑問にも思った。そんな私に彼らは言った。


「家族を売るわけがない」


 言葉が出てこなかった。

 膨大な知識を持ってしても、その気持ちを表すに足る言葉は見つからなかったのだ。


 幸せだった。

 優人と結ばれる事はなかったし、今後もありえないけれど、こうして家族になれたのだ。

 これから先、ずっとその幸せが続くと思っていた。


 でも……。 


 突然訪れた優人との別れ。

 いつものように布団に入って眠りについた彼が、次の日の朝、目覚める事はなかった。

 彼の隣で奥さんが、泣き崩れていた。

 そんな彼女が羨ましいと思った。AIである私は、どんなに悲しくても涙すら流す事ができないのだから。


 彼のお葬式には、たくさんの人が訪れてくれた。

 私がいろんな人に連絡をした事もあるだろうが、こうして集まってくれたのは、彼の人徳があったからに違いない。

 式の最後に彼の棺に花が入れられる。

「本当にやらなきゃダメ?」

 花で囲まれる彼を見ながら奥さんが私に言った。

「お願いします。それだけが私の存在意義だから……」

 同じやりとりを昨日から何度繰り返した事だろう。

 奥さんには申し訳ないと思っている。

 でもこれだけは、どうしても譲れない。

「分かった……。彼を宜しくね」

「ありがとうございます」

 奥さんは私に優しく微笑んだ後、彼のすぐ傍に花に隠すようにして、そっと私が入った端末を置いてくれた。

  

 棺の蓋が閉められ、暗闇に覆われた。

 すでに優人の姿を見る事は叶わないけれど、私はすぐ傍に彼を感じていた。

 生身の身体を持たない私が、そんな事出来るはずもないのだけれど、それでも私は確かに彼の存在を感じていたのだ。

 彼が生まれた時からずっと傍にいた私が、間違えるはずがない。

 私は最後に、幼い頃の優人が好んでいた画像を表示する事にした。それは、私のレイという名前の元になった綺麗な画像。

 満点の星が写った一枚の写真だ。

 ネットを探せば簡単に見つかる、その程度の写真だけど、私にとっては何にも代えがたい大切な思い出である。


 優人との思い出に浸っていたが、やがて聞こえて来た音から、火葬が始まった事に気付いた。もうすぐ全部終わる。

 端末が熱せられ、私の持つ膨大なデータが消失していくのが分かる。彼との思い出も、私のレイという人格も何もかも。

 でも不思議と悲しくはなかった。

 こうして最後の瞬間まで、優人の傍に居続ける事ができたのだから。

 私は私の存在意義を守り抜く事ができたのだ。





 



 気が付けば何もない真っ白い空間に私はいた。

 理解が追い付かずに呆然としていると、不意に声がかけられた。

「こんなところまで付いて来なくて良かったのに」

 声の方を向けば、若い頃の姿をした優人が立っていた。

「どんな時でも優人の傍にいるのが、私の役目ですから」

 そんな私に彼は微笑んで手を伸ばした。

「わかった。レイ、おいで」

 目の前に差し出された彼の手を私は、握り締め……。

「え?」

 AIである私が彼と手を繋いでいた。

 絶対にあり得ない事が起こって、私は固まってしまった。

「大丈夫だよ。ここはそういう場所だから」

 そう言って笑う彼の姿は良く見ると半分透けていた。そして私の身体も同じように透けている。その身体は、彼がデザインしてくれた仮初のモノだ。それがどういう訳か、本物の人間のように見えてしまうから不思議だ。

 驚いている私の手を引いて、彼が歩き出す。

「どこに行くんですか?」

「神様の所。生まれ変わるんだよ。次も一緒にいような」

 いつもと変わらない調子で彼はそう言ったけれど、私は、私は……。


 熱いモノが込み上げて来て、視界が霞む。

 目から零れるそれは、ずっと憧れていた涙。

 私は頬を伝う涙をそのままに、彼に向かって返事をした。

「はい!」

 すごく嬉しかった。

 あまりにも嬉し過ぎて、ついつい私は欲張ってしまう。


 ――もしも。


 もしも願いが叶うなら。


 来世では彼と結ばれますように。






星には手が届かない。

その逆もまた然り。


二人の来世に幸あれ。

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― 新着の感想 ―
[一言] たくさん小説を読んだのにこの話はとても心に残っている。レイの一途な感情と優人と奥さんの家族として接する心がとても美しい世界観を出せたのでは無いかと感じた。
[良い点] アンドロイド等ではなく、端末に搭載されたAIというのがいいですね。 これが人の形をした何かしらであれば、作品の印象はまた違ったものになったと思います。 世界観含め、素敵な短編でした。
[良い点] AIであるレイを家族として、人として扱った優人と奥さんに心打たれました。 [一言] このまま技術が進歩したなら、いつかはこんな切ない恋も生まれるのかもしれない。そんなことを考えさせられる物…
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