学校へ行こう
鳴き声が聞こえた。
雀の鳴き声だろう。こんな些細な声でも起きる体なのかと感心しながらも、体を起こしてうんと体を伸ばす。いつもの俺であれば有り得ない、冴えた目覚めだ。一応念の為にも、胸に手を当ててみたら、男の体には無かったやわらかい感触が伝わってくる。未だに元に戻らないのでため息が出た。
時計に目を向けると学校に行くのにはまだ時間がある。早く起きてしまったのは、海の学校に行くという事に緊張してしまっている所為なのかもしれない。これが二回目だと言うのに。
ベッドから降りて立ち上がると、すぐに着替えを始めた。女物の服も未だに慣れないので早めに準備を始めてしまった方が良いだろう。下着もそうだし、スカートも慣れない。未だにあのスカートのヒラヒラは捲れてしまうのではないかとヒヤヒヤする。たまに、男がノリでやる分には盛り上がりの起爆剤で楽しくなりそうなものだけれど、四六時中ともなると罰ゲームの様に思える。下着を見られると恥ずかしがる癖に、見せたくて仕方ないんじゃないかとさえ思えてくる。しかしながら、学校の規則なのでスカートを履くしかない。
着替えが終わって、今日の授業の準備物を確認する。寝る前に一度は確認したのだけれど、念には念を入れておく。確認は重要だ。
確認が終わったら、次のやる事は決まっている。
「おおい、海。朝だ」
本来の俺の部屋の扉を開け放って言い放つ。
ベッドに目を向けると海はまだ夢の世界に旅立っていた。流石、目覚まし時計が轟音を出しても目が覚めない俺の体らしい反応だ。しかしながら、時間にそこまで時間に余裕がある訳ではないのだ。
体を揺すり、声を掛ける。
「おおい、起きろー海」
「ううん、あれ?朝?」
頭の回転は鈍い様だ。
「あれ、何で私の体が目の前にあるの……」
「ああ、だったら下半身触ったらすぐに分かるんじゃない?」
「ううん?」
掛け布団が波を打つ様に動いたのが見えた所を見ると言われた通りに手を動かしたのだろう。
寝惚けていた顔は急速に赤く変わっていく。そして、海はすぐに体を起こした。
「お兄ちゃん!朝からセクハラだよ!」
海の沸騰した顔からはもう眠そうな気配を感じられなかった。うまくいったと見て良いだろう。
「お前が寝惚けているのが悪い。お兄ちゃんは海がすぐに起きれる様にすぐに目が覚める方法を試したと言うのに。非難を言われる謂れは無いよ」
「だったら、もっとましなものにしてよ!あんまり触りたくないんだから!」
「それに関しては慣れるしかないだろうさ」
「嫌なのに!」
未だに男特有の部位に関しては忌避している様だ。人間諦めが肝心だと言うのに。
「はいはい、それはともかくそろそろ準備した方が良い時間なんじゃないか」
無造作に置かれていた目覚まし時計に目をやる。まだ時間に余裕はあるが、海は初登校なのだ。早めに準備をしていて損は無い。
「分かってるよ!すぐ着替える」
言った通り、すぐにベッドから立ち上がり制服を取り出していた。
「ねぇ、お兄ちゃん。なんで出て行かないの?」
「えっ?なんで出て行く必要があるの?」
なぜ俺の体が着替えるだけなのに出て行く必要があると言うのか。奇妙な状況ではあるが、他人の体では無く自分の体に照れて出て行く必要があるのか。
痺れを切らした海は未だに動かない俺の首根っこを掴まれてしまった。服が喉を絞めて息苦しい。
「恥ずかしいから出て行って!」
そして、部屋の外へ放り投げられる。元は海の体だろうにそんなに乱暴にしてしまった良いのかと考えながらも元の俺の部屋を後にした。
無駄に話を長くしてしまったので、時間が危ういのは自分の方だ。のんびりしている時間は残されていない。これから、即座に寝癖を直した後に朝食も食べなければならない。
鞄を掴んですぐに部屋を出る。
朝食には母さんが食パンをトーストしてくれていた。ありがたい。
「海。寝癖が凄いから食べる前に直しておきなさい。パンにジャム塗っといてあげるから」
至れりつくせりで助かる事この上ない。
洗面台に駆け込んで、髪の毛に水を付けてブラシで髪を梳かす。左右にはねていた髪も次第に列を正すかの様に真っ直ぐしなやかに変わっていく。十全に髪の毛が整った所でリビングへと戻る。その最中だった。
「おーい、海!」
未だに部屋から出て来ていないであろう俺の体をした海から家全体に届く様にご指名が掛かった。なんとなく、なんで呼ばれたかの想像をしながらも向かう。
「どうしたの、海」
扉を開けると案の定ネクタイと格闘している涙目を浮かべている俺の体が立っていた。
「俺も時間の余裕はほとんど無いんだけどな」
「そんな事言ってないで助けてよ!全然結べないんだもん!」
おそらく、何度も結ぼうとしたのだろう。しかし、やり方を知らないのか有象無象に結び目が出来ていた。そういえば、ネクタイの締め方を教えてなかったな事を反省して、ネクタイを手に取る。
「今日だけ特別だからな。明日からはちゃんと自分でやってくれよ」
「分かったから!」
海の涙を蓄えた瞳はそろそろ溢れて、外に流れそうになっていた。とは言え、俺の体だからか見てられない程に惨めに思えてしまう。
ネクタイを締めて上げる経験は今まで無かったが、自分で締めるのと大差がほとんど無く、すんなりと結ぶ事ができた。
「ありがとうねお兄ちゃん、助かったよ!」
「分かったから早く準備しろ」
ネクタイを締めると即座に部屋を後にした。
時間はそんなに掛からなかったが、しかし元々ギリギリだったので時間は既に押している。よって、朝食を家で食べている余裕はない。
リビングに着くと、トーストにはジャムが塗られて待機していた。母さん様々だ。しかし、まだ要求はまだ終わらない。
「ごめんね、お母さん牛乳だけ入れてもらっても良い?」
「もう入れてる」
トーストの横に置かれたマグカップには牛乳が注がれていた。本当に、息子、娘の考えを二手三手先まで読んで行動している母さんは流石である。
「朝食はどうする?」
「食べながら行くね。そうじゃないと多分間に合いそうに無いから」
「はいはい」
それだけ伝えると、一気に牛乳を飲み干す。
「ご馳走様!それじゃ、行って来ます!」
「はいはい、いってらっしゃい」
これから長い一週間が始まる。