禁書と襲撃と死
個人の狂気は稀なものである。しかし、集団、民族、国家、時代となると、狂っているのが常なのだ。
金庫の中は外と同様に本で埋め尽くされていた。
違ったのは匂い。古書特融の埃の匂いが充満していた。ミルが期待していたような金目のものは一切ない。本屋や書類が並べられているなか、一つだけ木箱が置かれていた。特に厳重といったわけではない。何気なく置いてあるだけだった。
「イマヌエル著」
掠れた文字が書いてあった。その中で作者の名前だけが辛うじて読むことが出来た。
箱を開ける。
絶大なる魔力を得たモノよ
汝の道に後悔はないか、絶望はないか
我の言葉に耳を傾けよ
さすれば再び其の生を授けん
対価を我に
箱を開けたとたん、宙に言葉が浮かびだした。
それを読もうとしたが、文字は一瞬の内に消えた。
「へぇ、開けたんだ」
後ろから尖った声が聞こえた。声の先にはアイリスがいた。
「どうした」
「どうしたはこっちのセリフ。あんたが帰ってこないってアンリが泣きつくから探しに来てやったのよ」
嫌味たらしく言っていたが、嫌味は長く続かず。金庫の中身に興味があるようだった。近づいてきて金庫の中を覗く。
「ただの古書だけか。何か他にはなかったの」
「変だったのはこの木箱だな。開けたら目の前に文字が出てきた」
一瞬、アイリスの顔がこわばった。
「何か知っているのか」
「いいえ」
アイリスは口を噤んだ。
「そういえば、アイリス、君は無傷だったんだよな」
「そうね」
アイリスは俺を睨む。
「とっさに障壁張れたのか」
「感がいいのも面倒ね。張れたわよ。だって、死にたくなければ障壁を張れって言われていたから」
開き直ったように言う。
「それはどういう……」
アイリスは俺に杖を向けた。
「光が満ちたら障壁を張れ、それが指令。禁書を持ち帰れ、それが命令」
アイリスは無詠唱で数え切れぬほどの真っ白な球を作り出した。
「あなたがそれを開いちゃったから命令は達成できなかったけどね」
アイリスは付け加え、泡を俺に叩きつけた。俺はとっさに障壁を張る。泡は障壁に当たり一面が煙で見えなくなった。
「つまり、お前は俺の敵か? アイリス」
タンペート、風魔法を呟く。煙が晴れた。
「まぁ、敵ね。一つ訂正だけどアイリスなんて名じゃないわ。私はシーニャって言うの、よろしくね」
アイリスは俺に微笑んだ。
つまり、シュウを殺したのはこいつらか。
「もう時間だから、いい子は捕まりなさい」
アイリスは杖を振り上げた。吹き飛んだはずの煙が集まり俺の周りを球形に包む。それと同時に遠くから悲鳴が聞こえた。
「何をした」
見えなくなったアイリスに叫ぶ。
「もう時間って言ったでしょう、私もここに居続けるのが嫌だったからね。仲間を呼んだの。私にはあなたも必要だから。実は私、攻撃魔法苦手なのよ。障壁を張ったり、煙を使うぐらいしか出来なくてね。少しの間そこにいて。後で迎えにくるわ」
風魔法を唱えるが煙は消えない。アイリスの足音が離れていこうとしていた。
コラプス。俺は煙を分解する。
「どこに行くんだ。アイリス」
俺は杖を構え、再び風を起こす。風を球体にまとめ、圧縮し背を向けるアイリスに叩きこむ。
「どうして出てこられるの。ミルが言っていた崩壊魔法?」
倒れるアイリスに杖を向ける。
「そんなことはどうでもいい。お前は敵なんだな」
アイリスに問いかけながら風魔法で死なない程度に切り刻む。アイリスの全身から血が流れ、肉片が飛ぶ。
「シュウを殺したのはお前たちなんだな」
おれは問うが、アイリスは答えない。
「答えないか、離さないなら舌は要らないな」
痛みで悶えるアイリスの髪を引っ張り、杖を口に突っ込む。
ル・ヴァン、風の初級魔法をアイリスの口に放つ。アイリスは声にならない叫び声をあげ血を吐いた。
辛うじて動く右手と左足を動かし逃げようと這いずる。
見苦しい。
俺は氷の槍を作り出し、体幹に突き刺した。まるで標本にされた昆虫だ。
汚らわしい。
「つまらんな、殺してやる。焼けて死ね」
俺は初めて人を殺した。少しは気が晴れるかと思ったが、実際は何の感傷も生じなかった。
アイリスは灰になり跡形もなく消えた。
図書館を出て競技場に向かう。悲鳴はやはり競技場化rあらしかった。競技場からアンリが走り出てきた。
「ケンさん、変な障壁魔法を使って、みんなを拘束してます。私はヴァンさんが逃がしてくれて」
アンリは俺に縋りつく。
「そうかわかった。落ちついて聞け、アンリは図書館に隠れていろ。金庫が開いているから」
アンリを落ち着けるように言い聞かせる。
「俺はヴァンを助けてくる」
アンリが図書館に向かうことを確認し、図書館へ。
競技場に着くと、ほとんどの学生がアイリスのした様な拘束魔法をかけられていた。
「ヴァン大丈夫か」
姿の見えないヴァンを呼ぶ。
「来るな、ケン。こいつらはマードックの特殊部隊だ」
煙に隠れて見えなかったが、三十名ほどの軍人がいた。
「わざわざ捕まりに来たのか。それとも仲間を助けに来たのか。いずれにせよ、無駄な抵抗をしなければ悪いようにはしない。もうこの国は我々のモノだ」
マントを羽織った軍人が言う。ヴァンはこの軍人にとらえられているようだ。
「そうか、マードックか」
軍人を無視してヴァンに答える。
「まぁどうでもいい」
マントの軍人を睨みつけ、「俺はお前らを殺しに来たんだ」杖を構えた。
ラファール、風魔法ではこの纏わり付く煙は消えない。ならば、俺が風魔法を唱えても仲間は敵に守られている。
「皆殺しだ」
突風が軍人を切り刻む。かなりの魔力を込めたかまいたちは、自分たちの煙のせいで防ぐことが出来ず、半数の軍人を倒した。
ようやりおる、とマントの軍人が答える。杖をかざし、俺を捕まえようとするが、追ってくる煙に崩壊魔法をあて分解する。
「シーニャが追っていったのは、お前か」
「シーニャ? あぁアイリスのことか。あいつは灰にした」
声を上げ笑いながら答えた。
多くの軍人は捕縛に専念しているためか、攻撃をしてこない。
「仕方ない捕まえた奴らだけを連行、撤退しろ。貴重な魔法師の卵だ」
「待てよ、殺させろ」
俺は笑いながら、大声をあげる。
「狂った馬鹿に付き合う必要など皆無だ。任務を全うする。だがお前は俺が相手をしてやろう。マードック共和国筆頭魔術師ルネだ」
マントを羽織った軍人が立ちはだかった。
氷の剣が俺の周りを取り囲む。
「年齢に見合わぬ魔力だな、それはどうした」
「さぁな、あの爆発以降魔力が上がったみたいでな」
ルネはなるほど、やはりか、などと呟く。
「実験は成功か、皮肉なものだ。それがわかれば貴様に要はない」
そういって、氷の剣が降り注ぐ。障壁をはり、風魔法で相殺するが、相殺したと思った瞬間に剣は爆発した。爆発により障壁が消える。
「それだけか」
爆発で吹き飛ばされた体に氷の剣が追撃を仕掛けてきた。背中に剣が刺さる。
エフォンドレメント、最上級崩壊魔法をルネに向け真っ直ぐに放つ。ルネとの間にあるものが全て消え失せる。正面の氷は消すことが出来た。ルネも危険を察知し、ヴァンを放ち、身を引く。
「何だ、それは」
「教えてやる義理はない」
「私の仲間は撤退したようだ。これ以上続ける意味はない。帰らせてもらうよ。面白いものを見せてもらったお礼だ。その少年は返してあげよう」
ルネはとどめを刺さずに去っていった。
「ケン、大丈夫か」
ヴァンが駆け寄り、体を抱き上げた。
「無様だな」
「そんなことはない。今治癒魔法をかけよう」
ヴァンの手を静止する。
「助かんねぇよ。それにこれでシュウのところに行ける」
背中が生暖かく、血が流れているのがわかる。
「図書館にアンリがいる。迎えに行ってやれ」
ヴァンに伝えると俺はそこで意識を失った。