酸化と灰
欲しいものが手に入らないと分かったとしても、俺たちは歩みを止めずに上がらい続けることが出来るのだろうか。
教員の部屋を探索し終わり、引き続き特殊教室に向かう。
「すいません、運搬に協力できなくて」
アンネは申し訳なさそうにお辞儀をした。
「気にすんなって、女の子に死体運ばせるとか、ありえないだろ」
ミルはそう言いながら、アンネの肩を叩く。ざっくばらんではあるが、意外に紳士だった。
「特殊教室は一つだけ使っていたらしい」
「どこだっけ」
「薬草学の教室らしいですよ」
教室につくと焦げた匂いがついことに気が付いた。
「扉があきません」
アンネは必死に扉を引くが一向にあく気配がない。俺とミルも手伝ったがピクリとも動かなかった。
「カギはついてないから、昨日ので立て付けが悪くなったのかな。仕方ない。二人とも少し離れて」
俺は杖を取り出した。「コラプス」、扉の中心が円形にボロボロと崩れ始めた。アンネとミルは少し驚いていた。
「お前、なんだその魔法。聞いたことねぇぞ。それに詠唱省略使えるのかよ」
「ジジェク卿が考案した原子魔法ですよ。なんでもこの世界は砂よりも小さい単位でできていいて、それをくっつけたり、離したりすることであらゆる現象がおきるとかなんとか」
アンネは得意げに言った。
「うん、大体そんな感じだね。ただ結合を壊すには魔力が足りないから、今回は酸化させて壊したけど」
「酸化? この灰みたいになることか?」
「簡単に言うとね」
後で教えろ、とミルは言い教室の中を覗き込んだ。
「じゃあ、この中も酸化か?」
穴から教室の中を覗くと、ほぼすべてが炭と化しており、一部ではチリチリと火が立っていた。中に入ろうとしたが、扉の周りには息のあるうちに外に出ようとしたのか人の体と思われる黒々とした物体が積み重なっていた。出入り口にすがるように手を伸ばした姿で。
アンネには外で待っているように指示し、俺とミルで中に入った。教室に入るともっと凄惨で、教室の隅では生徒が山になり、空気を求めてか天井にまで達していた。
五、六歩入ったところで、
「ケン、ダメだ。息苦しくなってきた。出よう」
と胸を押さえ始めた。空気が薄い、俺とミルは肩を組んで扉へ向かう。一瞬だが、扉の裏には引っ掻いた跡が扉全てを埋め尽くすようにびっしりとついていた。
「大丈夫ですか」
扉を出ると俺たちは倒れこみ、アンネが背をさすってくれた。あのなかは、とアンネは口に出そうとしたが途中で言葉を濁した。
「誰も生きちゃいない」
ミルは息も絶え絶えに答えた。
他の教室は荒れてはいたが、無人で特に必要そうなものもなかった。今頃には再び日が暮れようとしており、今日の探索は打ち切った。
競技場に戻ると、探索に出た仲間は皆肩を落とし、誰一人として言葉を発しようとしなかった。皆俺達と似たような光景を目にしたのだろう。昨日何とか助かった人も何人か息を引き取ったらしい。その事実も俺たちの心を削っていった。
半刻ほど休憩をしたところで、ヴァンは俺たちを集めた。広場に集めた遺体を火葬に処すとのことだ。今日運んだ死体にももう蛆がわき始めていた。これ以上、友人の穢れていく姿をみることには耐えられなかった。皆は広場に集められた遺体から身分のわかるものや遺品を回収し始めた。
俺はというと、控室にいるシュウを迎えに行った。
部屋につくと鼻を突く匂いが充満しており、どこから入ったのか蠅が飛んでいた。俺は、あぁもうシュウは死んだんだ、と改めて認識した。今日見た光景が衝撃的過ぎてシュウを忘れることが出来ていた。それでもシュウを前にすると忘れていた現実が、自責の念が俺を襲って息が上がる。蠅を叩き潰し、なんとかシュウの体を抱き上げる。石鹸の匂いはもうしない。冷たくなりすっかり体は硬直していた。背中側が漏れ出した体液で濡れている。意識のない体がこれほど重いものとは知らなかった。魔法で運ぶこともできたが、俺は抱いて運んだ。
控室から中庭の広場までどう歩いて行ったのか覚えていない。
広場につくと、他の遺体は一か所に集められ重ならないように並べられていた。俺はシュウをその列に加える。シュウの制服から名札と杖、俺が昔プレゼントしたハトのネックレスを外す。「着けてたんだな」俺はネックレスを握りしめ呟く。
火葬の準備が整った。
集められた遺体は百名前後、学校の職員生徒合わせて約半数が亡くなった。正確には薬草学室のような教室が何か所かあったため、行方不明を含めると三分の二程度であろうか。その三分の二にシュウは入ってしまった。例えば俺が死んでいればシュウは生きていたのだろうか。そんな〝たられば〟が頭を駆け巡る。意味をなさない仮定が俺の施行を埋め尽くし、全てが虚しく憎くなる。
日が沈みあたりは闇で覆われた。
「詠唱を始める」
ヴァンが大声をあげ指示を出す。皆杖を構え詠唱を開始した。
「火を司る精霊よ、我が血肉を以て、汝の糧とせん」
中級魔法のフレイムを詠唱する。十数人で行われた魔法は全ての遺体を覆い尽くし、燃え始めた。シュウの体は泡立ち、次第に黒くなっていった。音を立て、異臭を発し、真っ赤に燃えた。俺は途中で今日の光景を思い出し、嘔吐した。他にも俺と同じように詠唱を続けられなくなった仲間もいた。それでも徐々に形を失っていくシュウから目が離せなかった。
世界に還るその時まで見届けなくてはいけない。誰からも強要されていない義務感がこみ上げる。
段々とシュウは小さくなっていき一刻程で骨も消え灰になった。灰が風に舞い、空に飛んでいく。俺は膝を着きながらいつまでもそれを眺めていた。